咆哮の渦となりたる天の川 山崎真中
澄みわたった秋の夜空に横たわる天の川は、
七夕伝説にも見られるように、古来よりロマン溢れるものだ。
しかし、作者は宮城県在住。「咆哮の渦」は、
いまだ数千の行方不明者と、
一万を超える死者の魂の叫びの渦なのだ。
「滝」8月号〈滝集〉より抄出。(Midori)
澄みわたった秋の夜空に横たわる天の川は、
七夕伝説にも見られるように、古来よりロマン溢れるものだ。
しかし、作者は宮城県在住。「咆哮の渦」は、
いまだ数千の行方不明者と、
一万を超える死者の魂の叫びの渦なのだ。
「滝」8月号〈滝集〉より抄出。(Midori)
「真空のまちに昂ぶる立葵 山崎真中」
だけを読んだ時に思ったことをブログに書いたけれど、その後に4句を読んで震災の句だと思った。だけど書き直さなかった。駄目かなー。この一句だけを読めば「立葵」を詠んだ句に私には思えるのだけど・・・。
ただ作句されたのは数ヶ月前他の季題が無かったのだろうか。
その句が、佳作抄だととても嬉しい。
真中さんの4句で選んだ句は「咆哮」の句でした。
佳作抄の「真空のまちに昂ぶる立葵 山崎真中」
一句は、それだけで独立して読まれるべきものだから、
余計な情報は要らないと、思っていますが、
やはり震災句だと思いました。
厳しい現実、忘れてはいけないと思います。
その季節を超えて詠まれてもいいと思います。
生き生きとした一句が立ち上がれば、
それは、俳句が、単なる日記ではなく、
独立した詩となり得るのだと思います。
ほかに季題が無かったかと思っただけです。
その時期より先の季題を詠む事は汀子先生も亡父も可と言っておられのを読んだ事があります。みどりさんに誤解を与える表現をして申し訳ない。
という直観は、正しいのかもしれません。
そんな時は、遠慮なさらずに具体例を提示して、
是非教えてくださいね♪
朝になって180度変えてしまったこともあります。
真中さんの「立葵」の句も、すごい句だなと思いましたが、
すでに博子さんが鑑賞されていたので外しました。
博子さんの鑑賞文を楽しみにしています☆
「震災」という見えない前書がなくなるといいね☆