JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

おまけの追伸の追伸?

2006年01月16日 | g-i


昨日の追伸でふれましたが、ピアニスト本田竹広さんが、13日に亡くなりました。今日いつもの喫茶店で昼食を食べたとき、もっぱらマスターと本田さんの話。

「ネイティブ・サン」が発売になり、突如人気者になった彼らを、私は学園祭で聴いたことがありました。じつをいうと、それ以前にとあるジャズ喫茶のマスターのお付き合いで行った、新宿「ピットイン」だったと思いますが、そこでちょっとだけお話しをさせて頂いたこともありました。(もちろん、ご挨拶と他愛のないお話しを10分程度しただけだと思いましたが)
にもかかわらず私は彼のアルバムを1枚も持っていないという、なんとも薄情者であります。唯一、「ネイティブ・サン」のMDがあったので、今日は車中で聴いておりました。


こと、本田さんの話となると、マスターのほうが詳しく、岩手県宮古市出身であったこと、もともとは国立音大でクラシックを勉強していたこと、そして
「渡辺貞夫といっしょにやっていた時もあったよね」
「そうだ!!!」

一枚だけ、彼の演奏が入ったアルバムを持っておりました。それが今日の一枚、渡辺貞夫の「PAMOJA」であります。

「マスターは、彼のアルバム何か持ってるの?」と訊くと
「あるよ」と
「NOW ON THE BLUES」と「ふるさと -On My Mind-」を持ち出してきました。
「どっちも、脳溢血で倒れた後のアルバムだけど、よかったら貸してやるよ」
2つとも初見のアルバム、「ふるさと -On My Mind-」は、昨日suing a-go-goさんのブログでも紹介されておりました。ライナーノーツには五木寛之が「ひとりのピアニストが後世に贈る貴重な音楽遺産である。命をよみがえらせる演奏。」と書いております。


「いいの?」

というわけで、今日は聴きながらの書き込みであります。

ともかく、日本の名ピアニストの死をおしみ、バーボンを捧げながら、あらためてご冥福をお祈りいたします。

PAMOJA / SADAO WATANABE
1975年10月27日
SADAO WATANABE(as,fl) HIROSHI FUKUMURA(tb) YOSHIAKI MASUO(g) TAKEHIR HONDA(p) ISAO SUZUKI(b) HIROSHI MURAKAMI(ds) MASAHIKO TOGASHI(per)
1. VICHAKANI
2. MUSITONI
3. PAMOJA
4. EV'RYTIME WE SAY GOODBYE