JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

がんばれ!

2006年01月21日 | p-r

今日は「センター試験」、私が受験した頃に比べ、大学入試も大きく様変わりいたしました。
雪の影響は多少あったようですが、大きな問題は無かったようで、受験生は大変でしょうが頑張ってもらいたいものです。

毎年、新聞紙上に掲載される「センター試験」の問題を、
「ようし、挑戦してみるか」と、見たときには思うのですが、1,2問やると
「ダメだこりゃ」とすぐに、いかりや長介になってしまいます。
問題が難しくなってしまったのか、私の脳が退化してしまったのか、推して知るべしといったところでしょうか。

人間、一生の間に何度かの岐路が存在します。大学受験もその一つでしょう、ただここで躓いても、これから何度もある岐路に比べれば、小さいことかもしれません。

頑張っている受験生にソニー・レッドのお話しなどいかがでしょうか。
1950年代後半、アメリカ・ミシガン州デトロイトという町の若いミュージシャン達は、ニュー・ヨークに出て一旗揚げることが最大の目的でした。
1957年春、バリー・ハリスのコンボで働き、54年にはアート・ブレーキーのコンボでもプレイしたことがあったソニー・レッドは、カーティス・フラーと共に、大きな野望をいだいて、デトロイトからニュー・ヨークへやってきました。

ところが、すぐに仕事にありつけたのはフラー、トロンボーン奏者が比較的少なかった事が幸いしました。それに比べ、アルト・サックス奏者は掃いて捨てるほどの数がニュー・ヨークにはあふれていました。当然、ソニー・レッドも仕事にあぶれ、さらに運が悪いことに父親が亡くなり、1年少々でデトロイトに帰ることになってしまいます。
同じ野望をいだいてニュー・ヨークにやってきた二人の若者は、かたや順調な道を、かたや野望果たせず、故郷へ帰るというまったく違う道を進むことになってしまいます。

でも、でもですよ、ソニー・レッドは「夢」だけは捨てずにいました。1959年彼は再びニュー・ヨークに戻ってきます。
「たとえ煉瓦を食わなければならなくても」という強い意志を持って

そんなソニー・レッドに目を留めたのがブルーノートのアルフレッド・ライオンでした。
こうして、「夢」をあきらめなかったソニー・レッドが、ブルーノートから出したリーダー・アルバムが今日の「OUT OF THE BLUE」であります。

受験生諸君、目の前の難関を越えることも大切なことです。しかし「夢」を忘れずに立ち向かえば、みなさんの前にどんな岐路が出現しようとも、必ずや進むべき道を見つけられるでしょう。
「がんばれ!受験生」

OUT OF THE BLUE / SONNY RED
1959年12月5日,1960年1月23日録音
SONNY RED(as) WYNTON KELLY(p)
SAM JONES(b) JIMMY COBB(ds)[7,8]
PAUL CHAMBERS(b) ROY BROOKS(ds)[1~6]
1.BLUESVILLE
2.STAY AS SWEET AS YOU ARE
3.I'VE NEVER BEEN IN LOVE BEFORE
4.NADIA
5.BLUES IN THE POCKET
6.ALONE TOO LONG
7.THE LOPE
8.STAIRWAY TO THE STARS