JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

曲に浮かぶ姿

2006年07月12日 | s-u

先日、浅川マキの「裏窓」なる曲の一部を取り上げました。私が持っている彼女のアルバムは、この「裏窓」と「MAKI Ⅱ」の2枚だけです。
では、何故この2枚を持っているのか????

私が高校生の頃、田舎のジャズ喫茶でアルバイトをしていたという話は以前にもしたかと思います。このジャズ喫茶、私の知っている限りでオーナーが3回替わりました。
このジャズ喫茶を立ち上げられたのはSさんという方、Sさんは、当時のジャズ喫茶の始まりがほとんどそうであったように、ジャズ好きが高じての開店であったそうです。
私が行き始めた頃は、Sマスターはいたりいなかったり、後で聞いた話ですが、ジャズ喫茶では生計が立たず、「Sは、麻雀で生活してるんだってよ」との噂が立つほど雀荘に通い詰めていたとか。

そんなSさんから店を買い取ったのは、いわゆる田舎のいいとこのボンボン、しかし、このオーナーは店にはまったく顔を出さず、とある女性に店を任せていました。彼女の名前はA・ミーちゃん、ボブカットの似合うなかなか素敵な女性でした。私にアルバイトの声をかけてくれたのも彼女です。
「バブ君、あんた毎日のように来てると、コーヒー代も大変でしょ?働く人になんない?」

この頃、高校生の常連はさほど数もおらず、彼女は「ガキ連、ガキ連」といって可愛がってくれました。寒い冬場など
「ガキ連が、寒くて鼻水垂らしてると困るから、どぶ汁用意しといたわよ」と、ガキ連のために、アンコウのどぶ汁を作ってくれていたりして。
そんな彼女も店を離れるときが来ます。
私が高校2年をもうすぐ終えようとしていた頃だったと思います。オーナーが店の権利を突然売るという話が舞い込んできました。

この歳になれば、じゅうぶん理解できる話ですが、ようするにA・ミーちゃんはオーナーの愛人といった存在だったのでしょう。縁の切れ目が店の切れ目、店の権利だけはもらえると思っていた彼女でしたがそれも叶わず、毎晩飲み続ける彼女に、私はよく付き合わされました。
客もはねて、私が帰ろうとすると、
「バブ君、最後にコルトレーン聴こう」
「もうちょっと、付き合ってよ」
「○○さんが来るから、それまでいて」
他に誰もいないと、私におはちが回ってきたのです。
「俺たち(ガキ連)にとって、ミーちゃんは憧れの女(ひと)なんだから、そんなに酔わないでよ」

彼女はジャズはもちろん好きでしたが、浅川マキも大好きで、客がいない時にそっとレコードをかけていました。
「ミーちゃん、ジャズ喫茶で浅川マキなんてかけちゃっていいの?」
「何言ってんの、サイドメンはジャズメンばっかなんだから、いいの!」
たしかに、ジャズを聴きに来るお客さんにも浅川マキ・ファンはそこそこいて、ちょっとお酒なんかはいると
「バブちゃん、浅川マキかけてよ」なんて人もいましたっけ

話が長くなりました。というわけで、彼女が好きだった浅川マキのアルバム2枚を、私は所有しているという訳なんです。

その後、ジャズ喫茶はKさんが買い取られ、私も大学にはいるまで、しっかりアルバイトを続けさせていただきました。

あらあら、またまた思い出話になってしまいました。いかんなぁ、歳をとった証みたいなものですね。
でもね、浅川マキを久しぶりに聴いてしまうと、どうしても思い出してしまうんですよ。音楽って聴くだけで浮かぶ情景や思い出ってあるじゃないですか。
私の場合、浅川マキを聴くと右手に煙草、左手にビールのグラスを持ったA・ミーちゃんが、鮮明に頭に浮かんでくるんです。

さて、今日の一枚ですが、ライブ会場の情景が浮かんでくる一枚を選んでみました。しかも、またまたテナー・バトルです。
「ハーフノート」といえば、「ヴィレッジ・ヴァンガード」などと並ぶ、ニューヨークの名門ジャズ・クラブです。もちろん良質なジャズはとうぜんですが、美味しいイタリア料理を出す店としても有名だったそうです。
イタリア移民の一家が経営していたためですが、イタリア料理に舌鼓を打ち、ちょいと一杯飲みながら、こんな演奏を聴いていた、なんとも贅沢な話です。
アットホームな暖かさを、このライブ演奏からも読み取れます。こんな店が近くにあったらいいだろうなぁ・・・・・・・・・・!?

JAZZ ALIVE ! A NIGHT AT THE HALF NOTE
1959年2月6,7日録音
ZOOT SIMS(ts) AL COHN(ts) MOSE ALLISON(p) PAUL MOTIAN(b) NABIL TOTAH(ds)
PHIL WOODS(as)[3,4]
1.LOVE COME BACK TO ME
2.IT HAD TO BE YOU
3.WEE DOT
4.AFTER YOU'VE GONE