おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
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家族のことなどを書いています!

メティカフ宣教師

2015-01-10 10:07:44 | 家族

父のFBにアップされていた記事です。
とても良かったので、
父に許可はもらっていませんが、
勝手にここにシェアします。 (笑)

昨年6月に天に召された私の信仰の恩師メテカフ・ステパノ(英語読みはスティーブン)先生を紹介させてください。先生は宣教師の息子として中国で生まれました。彼自身熱心なクリスチャンでしたが、1931年、満州事変が勃発、日本軍によって捕えられ、投獄されま した。14才の時でした。しかし少年はその獄中で、自らの運命を変える出会いを経験します。それは、クリスチャンの間では「炎のランナー」として知られるエリデリック・リデルとの出会いでした。
リデルはご存知の通り、1924年、パリオリンピックの陸上短距離競技に英国代表として出場しますが、得意とする100m競走が日曜日だったので拒否、他の日に400m競走に出場しました。彼の信仰に基づく選択でした。400mで彼の金メダルを予想する人は殆んどいなかったそうです。しかし彼は見事に優勝、金メダルを獲得しました
その後、彼は宣教師となって中国に渡るのですが、やはり満州事変の時、日本軍によって抑留され、2年後に脳腫瘍のため亡くなりました。
メテカフ少年は獄中で、そのリデルから、敵を愛し、敵のために祈ることを教えられました。そしてついに、宣教師として来日することを決心するのです。しかも先生は、日本でも本州の北のはずれ、今は五所川原市と合併になっている金木町に赴任されました。方言の中でも特に難しい津軽弁しか喋らない北の果の片田舎に、なぜイギリス人の宣教師が来られたのか、なぜ0MF(宣教団)がそれを許したのか、今でもその理由が私にはよく分かりません。私としては、神の憐れみの摂理としか言いようがありません。なぜなら、私はメテカフ先生から福音を聞いて救われ、牧師になったからです。
「炎のランナー」の信仰の炎をメテカフ先生が受け継ぎ、あの雪深い田舎町で神も望みもなく、空虚な毎日を過ごしていた私にまで点火されたことを思うと、この信仰の灯火を1人でも多くの人にともし、天国の聖火台まで運んで行かねばと、新たに決意させられます。
(先生の写真はこの1枚しか残っていませんでした。小柄な方でした。私が19か20才の時でしょうか。若くて、恥ずかしい)


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