昨日は、牧師になって3回目の葬儀でした。
教会員Yさんのご主人の葬儀です。
ご主人がパーキンソン症候群になり19年。
最後の6年は完全に寝たきり。
その間、妻であるYさんは、
ご自宅で、本当に心を込めて、
丁寧に介護をされました。
そして月曜日の朝、
Yさんがご主人の様子を見に行ったら、
息をされていなかったということ。
Yさんは、最愛の夫を失った悲しみはあるけれども、
どことなく、
最後まで看きったという満足感があるように、
見受けられました。
最近思うのは、
結婚というのは、
「死が二人を分かつ」ときに、
はじめて完成するのではないかということ。
相手が衰え、
コミュニケーションも取れなくなり、
異性としての魅力もなくなり、
なんの見返りも期待できなくなったときに、
神の奥義としての結婚が光を放つ、
…のだと思う。
体験していないからわからないけれど。
先の見えない淡々とした介護の毎日、
いつお別れがくるかもわからない毎日の中で、
なお湧き上がる連れ合いへの愛。
伴侶が老いて衰えていく中での
相手の人格そのものに触れる経験。
そんな中で、本当の意味で、
二人は一つになっていくのではないかな。
そして御国では、
地上で人格的に一つとされた記憶がよみがえり、
なつかしさの中で二人は再会し、
恋愛や婚姻関係を超えた交わりが
再び始まるのではないかと、
思うのだけれど、違うかな。
とにかく、
今は途上だということ。
これからまだまだ育つということ。
そこに期待しよう!(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます