毎日のできごとの反省

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山本五十六の引き倒し

2019-06-24 23:23:56 | 大東亜戦争

 山本五十六が対米戦反対であった事をもって立派な軍人であったとするのは、私には信じられない。山本五十六を反戦軍人であるかのように言う輩は、軍隊の「シビリアンコントロール」なるものを重視する輩であろう。シビリアンコントロールなるものでは、軍人が政治に口を出してはならない。つまり、軍人に対米戦の可否を言う資格はない、と言うべきである。

 軍人が対米戦をやるべきではない、と主張するのは、対米戦をやるべきである、と主張するのと同様に、政治的判断に口を出しているという意味においては、シビリアンコントロールなるものの枠を明白に超えている。せいぜい対米戦が起きた場合の戦い方と戦局の見通しを語るだけであるべきである。山本五十六は軍人である。軍人が考えるべきは、まず対米戦をいかに戦うか、勝利のためにはどんな準備をすべきか考えることである。

 東郷平八郎は明治天皇の御下問に対して、バルチック艦隊に勝てるとの戦闘の見通しを述べただけであって、日露開戦の可否を述べたことはない。現代の多くの日本人は対米戦に反対を表明したか否かのどちらの立場にいたかをもって、その人の正邪を判定する愚を犯している。

 また、山本は、三国同盟締結反対のゆえに、右翼に狙われていたとされる。そのために、米内海軍大臣が暗殺を恐れて、海上勤務にするために連合艦隊司令長官にしたと言われている。もちろん、この決定は山本本人の責任ではない。しかし、軍人としての適性から司令長官にしたのではない、というのは余りに不適切な人事である。まして、対米戦争の影が近付いている時期である。危機意識の欠如した悪しき官僚的発想の見本である。山本を讃える人はセットで米内を褒めているから、米内も武人ではなく悪しき官僚であったというべきであろう。このエピソードを山本シンパは、あの悪しき三国同盟に反対して、右翼にすら狙われた、と称賛したいのであろう。だが、このように贔屓の引き倒しなのである。

 日露戦争の際、山本海軍大臣が順当な人事なら連合艦隊司令長官に日高壮之丞がなるところを、敢て東郷平八郎を起用したのに比べてひどすぎる。日高は我が強過ぎるが、東郷ならいうことを聞く、と山本が判断したと言う定説はそれだけではなく日高の健康問題もあったようであるが、山本は、皆の反対する真珠湾空襲とミッドウェー攻略を強引に進め、日本の敗北の端緒を作ったのは事実である。

残念ながら、山本がミッドウェー攻略を強硬に主張したのは、ドゥーリットルの東京空襲を防止できなかったことの不評を、ミッドウェーの戦果で相殺しようとしたのである。日露戦争で、ウラジオ艦隊の跳梁跋扈によって、上村司令官の私邸が非難投石されたことを思いだして恐怖したのである。この山本の判断は軍人の為すことではなく、世論を気にする典型的政治家の判断である。ドゥーリットル東京空襲計画こそ、真珠湾以来連敗の米国民の不満を解消するための、ルーズベルト大統領による政治的人気取りであったのである。それと同じ次元のことを軍人たる山本が行ったのは、軍人の分を超える。

 ミッドウェー作戦の失敗への批判は、索敵の不備、作戦目的の不徹底、情報機密保持の不徹底、信賞必罰のなさである。これらのほとんどは山本自身の責に帰すべきものである。もちろん連合艦隊の最高責任者という組織上の責任ばかりではなく、ミッドウェー攻略は、山本自身の発案で、しかも強硬に主張した本人だからである。索敵の軽視は当時の日本海軍軍人の欠陥であったから、山本だけの責任とは言い難い。ただし組織として海軍は永年索敵を重視していたのである。索敵能力に問題がある潜水艦に水偵を搭載運用したのは日本海軍だけである。艦載用の水上偵察機を海軍は熱心に開発充実していた。それならば、索敵の重要性によって、教育訓練も十分なされていたはずである。索敵の不備があったとすれば、指揮官個人の判断である。せっかく準備してあった索敵用機材をうまく運用しなかったのは、軍人が官僚化して、実戦的判断を軽視したからである。その欠点を最も体現していたのも山本である。

山本が、阿川弘之等の信奉者の言うような名将であったなら、索敵の不備に気付いたであろう。そもそもミッドウェー作戦を実施する前に山本が珊瑚海海戦の戦訓を取り入れた節が全くない。珊瑚海開戦当時ですら米海軍の防空陣は強力で攻撃隊は大損害を出している。空母祥鳳は魚雷7本、と13発の爆弾という大量の被害を受けて簡単に撃沈された。米空母は既に攻撃力も大きく、防空能力も高く、戦意も高かったのである。そして珊瑚海での初の空母戦闘の戦訓を山本は聞こうともしなかったのも知られている。

 前述のようにミッドウェー作戦を強行したのは、山本個人であった。今度の作戦は簡単だと愛人に漏らしているのは機密保持の考えが全くなかったことばかりではなく、珊瑚海海戦への反省もないことを証明している。珊瑚海ではガソリンへの引火というラッキーパンチによりレキシントンを撃沈するという大戦果をあげたが、珊瑚海海戦の戦訓を冷静に考えれば双方に同程度の被害を与えているノーガードの殴り合いに等しいのが当時の空母戦だということが分かるはずである。

子細にみれば、後日のように鉄壁と言えずとも、米側の防空力の方が強力であることが分かる。山本がミッドウェー攻略を占領と米空母撃滅の二股をかけた、というのは後の海軍の作り話だという説があるが、その通りであろう。米空母への対応も考えるように、という指示をしていたのなら、そのような陣形をしたのだろうが、そんな形跡はない。当時の海軍の一致した判断は、米空母はミッドウェー付近にはおらず、日本の攻略部隊を迎撃できるはずではないというものである。愛人に語ったように、米側の抵抗は大したことがないから、上陸作戦は簡単に行く、と踏んだのである。

 山本の信奉者が別の場面では、日本軍には信賞必罰がないから、適切な人事配置ができていない、などと批判するのは大矛盾である。南雲や草鹿などの指揮官級に対して何の処罰もしなかったのは、山本自身の判断である。そして連合艦隊は大敗北の実情を知った下級の兵士を隔離したり前線に飛ばすなどの隠ぺい工作を行った。そのことを最高指揮官である山本が知らないはずがない。日本軍の欠陥として言われる上官に甘く、下級兵士に厳しい、という典型が山本自身であった。そもそも山本自身が、何ら責任を取っていない。部下を責めることのできないのは当然である。平成二十四年に公開された映画「山本五十六」で敗戦した南雲を慰めているのを人情ドラマ風に描いているのはいかがなものか。山本は、自分の指示に忠実に従って敗北した南雲たちを、責められるはずはなかったのである。指示に反していたら激怒していたのに違いない。

 真珠湾攻撃で米国世論が激高すると、山本は事前通告が遅れたと悔やんでいたと描かれている。しかし米墨戦争や米西戦争などの戦史を確かめれば、米国政府は相手に先手を打たせて世論を盛り上げるという手法をとっていることは分かるはずである。それを想定しなかったとすれば、山本は米国民性も知らなければ、戦史から教訓を得ることもしなかったのである。真珠湾以前に宣戦布告されたか否かが問題になった史実はない。

例え、一~二時間前に宣戦の通告をしたところで、米国民はルーズベルトの演説に興奮したのに違いない。テキサスをメキシコから奪った時も、メキシコ領内に砦を築いてアメリカ人が居座ったから、メキシコ軍に全滅させられた。メキシコは自国領を侵略したものを撃破して守る正統な権利を行使したのに過ぎない。アラモ砦が先制攻撃されたから、米国民は怒ったのではない。他国の領土に砦を築く不当なことをしていたことは、マスコミが発達していたアメリカ国民も承知していたのである。だが領土欲にかられた米国民は喜んだのである。

 山本の指揮についても考えさせられる。確かに無線通信手段が発達した昭和の戦争では、東郷元帥のように陣頭指揮をとる必要はなかったのかも知れない。だが、真珠湾の石油タンクや工廠を攻撃しなかったのは、山本がその必要性を感じていなかったとすれば、無知である。反対に分かっていて南雲に言明しなかったとすれば、指揮権を放棄したのである。どちらにしても褒められたことではない。

 ミッドウェー海戦にでも、攻撃中に戦闘を指揮した形跡がない。事前に半数の艦上機を空母出現に備えよ、と言ったというが、各空母ごとに半数の艦上機を、空母攻撃用に残すと言うことは、運用上不可能である。山本の指示に従うなら、半数の空母を米空母対策用に温存していなければならない。それならば、作戦計画で艦隊の編成を山本が確認した際に、どの空母は米空母対策であるかと言うことを確認していたはずであるが、そんな事実はない。それどころか、次々に南雲艦隊の空母が損害を受けた報告を次々と受けると、平静を装って、またやられたか、とうそぶいていたと言うのだから、危機管理能力も指揮判断能力も欠如していたと言わざるを得ない。

 いくら状況がよく分かっている現場に任せよ、といったところで、敵情を確認して指揮した形跡がない。なさすぎるのである。日本海海戦の際に東郷司令長官は、対馬迎撃を決断し、T字ターンの際には自ら回頭のタイミングを下令している。その後30分も経たずに大勢は決したので指揮は参謀に任せた。白旗を掲げながら航行をつづけた戦艦ニコライ一世に対して、東郷は国際法に従って砲撃を続け、停止するとようやく砲撃中止を指示した。東郷長官は、残敵掃討まで指揮したのである。真珠湾攻撃の不徹底と言い、ミッドウェー海戦を南雲長官に任せきりにした山本とは、大違いである。

指揮したことがあったのは、唯一空母が全滅した際に、戦艦で攻撃してでも上陸作戦を決行しようと打診した南雲艦隊に、作戦中止を命じたくらいであろう。時事刻々変化する戦況に対応して指揮しようとしたことはない。それは、上陸作戦が唯一の作戦目的である、というのが山本の意思として伝わっていたからこそ、現場では戦艦でもってしても、上陸作戦を強行しようと上申したのである。山本が米空母撃滅のためにミッドウェー攻略を企画したと言うのは、戦後の海軍関係者のでっちあげに過ぎないとしか考えられない。山本が参戦中止を命じたのは、損害のあまりの大きさに、茫然自失したのに過ぎない。

 山本信奉者の通弊は、海軍の失敗は山本の責任ではなく海軍の通弊や部下の責任に帰し、成功は山本の功績にしていることである。でっち上げも過ぎる。贔屓の引き倒しである。海軍の作戦の成功も失敗も最高指揮官たる連合艦隊司令長官の山本の責任であるのは、間違いない。


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3 コメント

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追伸 (猫の誠)
2019-08-17 20:35:50
 連合艦隊司令部で、工廠や石油タンクを爆撃したら」という議論が出たとき、山本長官が「南雲はやらんよ」と言ったという説があります。これを小生は山本がこれら施設攻撃の重要性を承知していたと弁護するためのでっち上げと推察しています。しかし、このような説を後日海兵出身者が言いふらすのは、国際法上問題ないとの判断によるものと考えます。陸士や海兵出身者は戦時国際法には十分詳しいですから。パネー号誤爆事件は誤爆ではなく、国際法違反承知の確信犯だということを、海兵出身の奥宮正武氏との論争で、中川八洋氏が論証しています。
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意外な指摘感謝します (猫の誠)
2019-08-17 20:23:41
立作太郎氏の「支那事変国際法論」によれば「・・・南京は他に其類例を見ざる程最も堅固に防御せられたる支那作戦中の中枢根拠地である・・・」ため南京市内の軍事機関や軍事施設を爆撃するのはやむを得ない、と論じています。これら施設爆撃により民間人に被害を与える可能性があり「やむを得ない」と論じているようです。これを適用すれば工廠とは軍の工場の意であり、石油タンクも同様であるので、軍事目標として爆撃するのはやむを得ない範疇かと考えられます。ただし立氏の説を過大に解釈すると都市爆撃容認論になりかねません。戦時国際法の解釈は自国に有利に、という原則を固持すべきと思います。小生の戦時国際法は、立作太郎氏の「戦時国際法論」に依拠しています。近年なら佐藤和男氏です。
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猫の誠さんへ。 (テレビとうさん)
2019-08-17 18:44:14
「真珠湾の石油タンクや工廠を攻撃しなかった」理由。

今まで私は「民間人に被害が及ぶのを危惧したから」と、良いように解釈していましたが、如何でしょうか?
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