毎日のできごとの反省

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日本軍の敗因 「勝てない軍隊」の組織論 藤井非三四 学研

2019-07-18 23:51:49 | 大東亜戦争

 近年の著書なので、意外性を期待したが、従来の日本軍批判と大差なかった。根本が戦後流布された日本罪悪史観に汚染されている。ポツダム宣言が無条件降伏を言っているのは国際通念に対して異常だから、説明を求めて有利な条件を引き出すことができたはずた、(P38)というのだが、これは一部の人と同じく、ポツダム宣言が軍隊の無条件降伏を求めているのに、国家の無条件降伏と混同しているとしか考えられない。それに、向こうは交渉する気がないのに、この期に及んでどんな有利な条件が引き出せたのか、不可解な論としか言いようがない。

 ・・・ほとんどの日本人はアジアの人々を蔑視していたのが実情で、そのアジアの人々のために死んでも構わないと考えているものがいたとしたら、それはごく少数の奇特な人だけだったろう(P35)。現実にはインドネシアですら、3千人の日本兵が残留し、戦い千人が亡くなっている。これだけの人たちは残ったが、現地に心を惹かれても望郷の思いから帰国を選択した人々が多かったのは当然である。

 奇特という言葉には、もの好きだと言う厭味が感じられて仕方ない。これだけの多数が他国の独立運動に敢て残ったと言うのは、歴史上稀であろう。現在では無視されようとしているが、アジア各地ばかりではなく、支那でさえ日本兵と現地人との心温まる交情はあった。著者はこれらを無視するのである。ものごとは相対的なものである。欧米人が有色人種を人間ではなく、獣扱いして残虐行為を繰り返していたのとは、日本人のアジア人蔑視とは桁が遥かに違う。幕末の西欧の接触と共に、ほとんどの日本人がアジアの植民地化に憤ったのは事実である。

そして対米開戦と共にその気持ちを明確にしたのである。母は尋常小学校出であるが、対米開戦と聞いて、それまでの曇った気持ちが晴れ晴れとしたという意味の事を言ったが、子供の頃だったから聞いた当時は意外であった。今にして思えば、アジア人同士が戦う支那事変でなく、真の敵である米英と戦うことの正々堂々の気持ちを実感したと理解できるのである。一部知識人は例外として多くの庶民はそう思ったのである。勝てない戦争が始まったと思って暗澹たる気持ちになったなどと言うのは、ごく少数の例外に違いないか、嘘つきであろう。

 昭和十八年に東條首相が海外放送で「・・・正に戦いに疲れ、前途の不安に襲われ、焦燥する彼ら指導者が・・・洵に笑止の至りである」と語ったのは、国内向けとしてはいいが、戦争は理念の戦いだから、海外に対しては「大東亜新秩序」について鮮明に語るべきであった。(33)というのだが、日本を叩きつぶそうとして日本人の言葉など無視している欧米に、大東亜新秩序の理念を語ったところで「笑止」されるだけである。

 日本は大東亜会議においてアジアの植民地の独立を鼓舞した。日本の理念を聞いて行動してくれるのは欧米諸国ではなく、被植民地民族なのである。そして日本はそれを語ったと共に戦った。その結果日本が負けても、被植民地民族は決起して成功したのは歴史的事実である。結果論に過ぎないと言うなかれ。西欧の産業革命は、西欧の欲望と有色人種からの搾取の結果である。産業革命は技術面の結果的利点だけを特筆したのである。日本自身が、植民地解放の偉業を語らずして、誰が日本の偉業を語ろうか。

 日本兵が捕虜ではなく、降伏敵国要員として扱い「・・・戦争捕虜として抑留されているのではないから、イギリスには最善の待遇をする義務がない。そのためイギリスが与える休養は最低限のものとなり、しかもその代償として課せられた労働は、苛酷かつ恥辱にみちたものとなった」(P100)と書くのだが、一見英軍の非人道的扱いへの非難に聞こえるが、実は日本兵に対して酷薄で英国の非道を擁護する記述である。

 降伏敵国要員と言う言葉は使われたことはあるが、ハーグ条約などの戦争法規にはない言葉である。なんという用語を使おうと降伏して武装解除されて、相手国に収容されたら、それは国際上所「捕虜」なのである。捕虜ではないから苛酷な扱いをしても国際法違反ではない、と著者は言っているごとく聞こえる、とんでもない記述である。英国の苛酷な捕虜の扱いの例として「アーロン収容所」という本の例を出すが、会田雄次氏が書いたのは、日本兵は捕虜ではなく、降伏敵国要員だから苛酷な扱いを受けたから仕方ない、と書いたのではない。

降伏した日本兵を故意に死に至らしめたり辱めたりする、英国人の捕虜に対する残虐行為を非難しているのである。のみならず、会田氏の体験は一兵士の体験だから、氷山の一角より遥かに少ない事例である。例えば佐藤亮一氏の「戦犯虐待の記録」にはいかに連合国が日本人を虐待したかが読むのも辛いほど書かれている。これですら欧米兵士の残虐行為の氷山の一角に過ぎないであろう。多くの虐待された捕虜は、拷問の挙句に殺されたから、大部分の英米軍による犠牲者は証言できないのである。

小生は悲しく思う。日本人は、維新以後、世界で最も善意を尽くして生きていたにもかかわらず、支那や欧米に残虐非道な目に合わされ続けた。だが、逆に日本人が残虐非道なことを行ったと言うプロパガンダに洗脳されてしまった。そして自らの思考で考えている、とまで信じきった悲しい状態である。この本はもちろん読む価値はないとは言わない。しかし、ここに至って読むのを放棄した。

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