毎日のできごとの反省

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書評・米軍が恐れた卑怯な日本軍

2014-09-14 13:00:19 | 大東亜戦争

 最初タイトルを見たとき、内容を誤解した。バンザイ突撃を繰り返した、と言われる対米戦での日本軍の戦法は、実は、罠などを巧妙に使っていて、それが米軍を悩ませた、というだけの内容かと思ったのである。全くの見当違いではないが、やはり違った。

 戦訓からバンザイ突撃から地雷などの罠や米兵へのなりすましによる、工夫された攻撃に転換して、それが米軍を悩ませたとは書かれている。だが、それ以外に、このような工夫は、かなり支那事変で支那軍が使った戦法を真似たものであり、皮肉なことに米軍が卑怯とみていたように、支那事変当時の日本軍も同じ見方をしていたことである。

 戦法の転換は、単なる工夫ではなく、支那軍が劣勢であったから用いていたように、火力と機械力に劣る日本軍が、弱者の戦法として用いざるを得なかったというのである。ただ日本軍も便衣を使ったように、支那軍も便衣を使ったから南京事件が起きた、ということを書いているのはいささか見当違いである。日本軍も便衣やなりすましを使った対米戦闘はあったにしても、それは相対的には小規模であり、その時の応用動作としての臨時のけ戦闘の手段であった。

支那軍の場合には、子供や便衣に隠れて攻撃をしたにしても、それよりはるかに大規模に何万という人数が、一斉に便衣を着て民間人の中にいたのである。いうなれば大規模かつ組織的であって、戦闘の手段ではなく、国際法の想定外の異常事態である。この意味でも国際法違反の南京事件などはなかったのである。

著者は米軍の大戦末期の対日戦マニュアルのタイトル、直訳すれば「(ボクシングで相手のベルトの下を狙う)卑怯な一発」を意訳して「卑怯な日本軍」として、本書のタイトルにしたので、この本の紹介が大きなウエイトを占めている。このマニュアルは「自軍の士気向上のため日本兵の文化的異様さ、頭の悪さを強調したいし、・・・あまりやり過ぎても油断による生命の損失につながり不都合だと判断されたのである。」(P61)という。

意外なのは、狙撃兵の能力は日本軍より支那軍の方が高く、指揮官を狙うので対策を取らざるを得なかったということである。(P128)そしてあるの掃討に「焼却戦法」を使ったが、「敵の唯一の狙撃戦法を封じたることが出来」たと報告しているのは、「の焼尽という非民心収攬的行為に対する後付けの正当化の可能性もある」というのだが、実は、支那軍が使った清野作戦などは、日本軍にとっては、余程やむをえなければ、すべきではないと考えていたから言い訳したのである。

陸軍は一般的には非合理の軍隊と見做されている。しかし、P146に示されているように、昭和十六年時点での、戦死傷者の原因を比較的詳細に分析して戦訓としている。陸軍が相手の火力機械力を無視して精神力に頼っていた、というのも正確には違うという。日本の生産力では、ソ連やアメリカのように豊富な物量に頼ることが出来ないのが分かっていたから、重火器をふんだんに使った正攻法が取れないのである。山本七平氏は、対ソ戦法は研究していたが、対米戦法は研究していなかった(一下級兵士の見た帝国陸軍)というのだが、その意味では対ソ戦法すらなかったというのである。(P169))実は対ソ戦法も研究されていたから、なかったわけではない。ただ、圧倒的火力や戦車などの機械力の差から生まれた戦法は、肉攻などのまともな戦法と呼べるものではない。倉山満氏は「負けるはずがなかった大東亜戦争」で陸軍の強さについて、ノモンハン事変は日ソ両軍の大敗だと書いている。それは、勝ったはずのソ連軍ですら一挙に満洲を蹂躙することができなかったから、というのである。しかし、その戦果は陸軍は機械力に対する人力という凄惨な戦いで得たものである。

兵頭二十八氏だったと思うが、日本海軍は軍艦撃沈などの兵器の損耗を狙っていたが、本当に米軍が恐れているのは人命の損耗である、と書いている。ところが昭和十八年に大本営陸軍部が出した戦訓マニュアルには「米軍の弱点は『人命喪失』にある」(p165)と明記されている。だから「・・・補給の要点などへの潜入により『特に人的損害を求める如く工夫』することか・・・推奨されている」としている。この点海軍は、対米戦法として人的損害より、より大きな艦艇の撃沈に固執しているから、この考え方は陸軍だけのものであったろう。だから、より人的損耗が期待できる輸送船攻撃より、戦艦、巡洋艦の攻撃を重視した。

一説として「手榴弾を発明したのは日露戦争時の日本軍という話がある。・・肉弾戦を繰り広げるなかで、最初は石を投げていたが代わりに爆弾を投げてはという話になり、」急増の導火線付き爆弾を自作して投げたのが効果的で普及したというのである。(p225)

日本軍も同様であるが、米軍は地雷や仕掛け爆弾を恐れていた。(p263)日本軍は自分自身に仕掛け爆弾をしている場合があった。そのため、米軍のマニュアルには、「・・・投降して来たら裸にするか、あるいは撃て」と書かれているそうだ。米軍が日本兵の投降者を射殺したのは比較的早い時期からだから、「捕虜を取らない」というのはこのような戦訓によるものではあるまい。

フィリピン人ゲリラや米軍は、罠に仕掛けたダイナマイトのスイッチを子供に押させていた(p306)。日本軍も米兵の死体に罠を仕掛けたり、便衣や米軍服で攻撃するという卑怯な行為をした。しかし、沖縄戦で米軍は獲得した民間人女性を洗脳して侵入させ、爆弾などで攻撃した。日本軍が女性や子供を囮にして攻撃した事実を寡聞にして小生は知らない。女性が自発的に前線で戦うのとは違うのである。著者は卑怯においては日米どっちもどっちに近い書き方をしているが、米軍や支那軍の卑劣さと日本軍のそれは同等ではない。日本人は米軍が人道的だったと一般には考えているが、米軍の計画的非人道的戦闘法は日本軍の及ぶところではない。日本軍は敵国の女性を使って攻撃したり、民間人をターゲットにした無差別爆撃を実施したことは、対米戦はもちろん、支那事変でもない。



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