毎日のできごとの反省

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勘違いだらけの日本の政党政治

2020-03-31 20:46:52 | 政治

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 かつて日本には民主党という政党があった。マスコミの政権交代論の支援もあって、あれよあれよという間に政権政党になってしまった。その民主党は政党の体を成していなかった、と言ってもいい。看板となって表に出てくる鳩山総理などは自民党出身だし、多くが松下政経塾出身の寄り合い所帯もいいところで、政権を獲りたい、という点しか共通点はなかったのである。その上、固定支持基盤と言えば、官公労を中心とした労働組合であった、という支離滅裂ぶりであった。そのなれの果ての現在の立憲民主党の勢いたるや、かつての民主党と比べるべくもない。

 国家への忠誠心や信念、といった日本人の根本にかかわる理念が多くの人たちに共有されていた、という点では戦前の方が余程ましだったと言える。しかし、それでも当時の政党も党利党略に走っていた事には変わりはない。例えば野党の政友会はロンドン軍縮条約締結の際に統帥権干犯と批判して政権奪回を図った。本心は軍縮しなければ財政破綻の恐れありと考えていたのに、政局に利用するために反対したのである。

 満洲等における条約上の約束を破り続ける中華民国に対して、幣原外交の政党政府は対支融和策に出るだけで無策であった。あまりに支那に迎合するために英米からは、支那と融和して英米を支那から排除するのではないか、と疑われた位である。中西輝政教授が条約を守るまで保障占領するのは国際法上の権利であると言ったがその通りで、何も謀略的に満洲事変を起こして国際的非難を浴びることはなかったのである。しかし政治家にはそのような当たり前の知恵がなかった。それもこれも政党政治の無為無策に起因したものであって、満洲の権益を守ることを任務とした関東軍としては、軍事力行使しか使える方法はなかった。

 政治は無為無策だったから、もし満洲事変がない上に、ブロック経済が日本の貿易を阻んだ現実が続いたら、日本は疲弊して米英ソに対抗する軍事力を保有できず、日本自身が米国の支那大陸進出のための植民地となり、満洲朝鮮はソ連領、大陸本部は米英仏に分割されていたであろう。我々は有色人種も独立国家を持てるのが当然の現代にいるから、当時の欧米ソ連の世界覇権の恐ろしさが見えないのである。そして有色人種も独立国家を持てるのが当然である時代を招いたのは大東亜戦争である、というのは事実であって夜郎自大ではない。

 かつて、民主党が政権交代を実現しようとしたとき、多くの評論家が二大政党政治の実現への期待を表明した。しかし、戦前でも日本は立憲政友会と憲政党の二大政党政治は実現していたのである。それにもかかわらず、二大政党はうまく機能しなかった。そのことを反省しようとすらしない原因は分かる。GHQの焚書坑儒による教育と洗脳により、全ての戦前の失敗を軍部の特に陸軍の責任に帰したからである。いや大東亜戦争は単純な失敗ではない。敗戦と言う点では失敗だが、有色人種が独立国を持てるのが当たり前の世界を招来したという世界史的観点から失敗ではない。それを失敗だけと思い込まされているのである。日本は戦争目的のひとつを達成した。しかし真の失敗は、その後にある。唯々諾々と連合国に思想改造されたことにある。

 日本人が連合国によって植えつけられた思想は、大陸侵略の意図を持った陸軍がテロなどで右翼と組んで政党政治を消滅させた結果、対米戦に突入して滅んだ、と概括すれば良いだろう。だがこの考え方は本末転倒しているのだ。支那の革命外交によって大陸の権益が失われようとしている時、政党は政権獲得のための政局に狂奔していた。統帥権干犯という言葉は右翼と言われる北一輝が発明したが、有名になったのは前述のように、政権欲しさに憲政党批判に政友会が利用したからである。

 現実には外交など国際問題に適切な判断力を持っていたのは政党ではなく陸軍であった。もちろん海軍などは埒外である。東京裁判で文民政治家の廣田広毅すら処刑されたのに、残りは全員陸軍出身者であり、海軍軍人出身者がただの一人も処刑されなかったのは、日本海軍の首脳が連合国に都合のいい存在であったことを暗示しているかのようである。政策だけではない。実質的戦果の少ない真珠湾攻撃で米国に開戦の正義を与え、その後は野放図に戦線を拡大し、まずい戦闘で負け続けてくれたのである。

 当時の日本の国際的課題の基本は支那周辺のユーラシア大陸との関係であった。日露戦争で得た、満洲鉄道とそれを護るための関東軍の存在がそれであった。元々が東亜の大部分は欧米の植民地であった上に、不況でブロック経済化する世界情勢の中で唯一日本が期待できるのが満洲であった。マッカーサーが証言したように、満洲を失う事は、日本経済の壊滅を意味した。世界は現在のような自由貿易の世界ではなかったからである。だから当時の新聞に満蒙は日本の生命線、という活字が躍っていたのは正鵠を得ていた。

 日本陸軍が永田鉄山や石原莞爾といった戦略家を生んだのは、陸軍が満洲駐屯を通じて国際政治の何たるかを身に着けざるを得なかったからである。これに対して海軍には戦略はなく、建艦予算獲得のために、する気もない対米艦隊決戦を呼号していた。典型的官僚発想である。さらに、プロの政治家たちは政争に明け暮れ、軍縮条約交渉すら政局にして国内政治と化し、選挙の勝利を得るための方便にしていただけであった。国際政治については欧米にも支那にも協調外交しか能が無かった。この点は現代日本の政治家と酷似している。勉強の場が無い者にはその方面の知識も判断力も生まれないのは当然である。東京裁判史観に呪縛されて国際関係や軍事について自由な思考ができない分だけ、現在の政治家の方が劣化しているとさえ言える。

 実は外交や軍事に関しては、戦前の政党政治でもうまく機能していなかったのである。それでは何故、米英ではうまくいっているのであろうか。根本的には現在でも世界の覇権を握るのが欧米諸国だからである。もうひとつはエリートの育成という点が重要である。だがこの点についてここでは触れない。

 近代日本史から分かるのは、危機が迫っているが真に緊急事態に至るまでは政党政治は政権欲しさに危機に対応する能力がなく、真の緊急事態に直面すると日本人は政党政治を放棄したという事実である。危機をも前提とした米欧の議会制民主主義が、危機に至ると忽然と独裁制度に移行して、平時になると元に復帰することができるシステムを持っていることである。第二次大戦のチャーチルとルーズベルトの支配は事実上の独裁であって、選挙が独裁への移行への支持の手続きであった。チャーチルは英国崩壊の危機を独裁で支えたが故に、危機が去ると遠慮なく選挙民に放擲された。ルーズベルトは4期もつとめて戦争中に任期途中死ぬまで政権を離すことはなかった

 日本の議会制民主主義に基づく政党政治に必要なのは、議会制度を維持しながらも非常時には統帥を担う独裁となり、平時には独裁を止めるシステムを作ることである。戦前の日本は、議会を解散して大政翼賛会を創設した。これもひとつの知恵であろうがここでは触れない。現在の日本の状態を日清日露の戦争直前の危機に例える輩は多い。しかし、全世界に有色人種の独立国がほとんどなく、白人支配の世界であった戦前と現代とでは基本的状況が違う。イスラムの台頭も戦前にはなかったことである。日本の危機はGHQや共産主義に洗脳されてまともな歴史観を持てない、日本人自身が作っている。



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