毎日のできごとの反省

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共産主義国の私有財産の不思議

2019-10-25 23:18:11 | 政治

 昔話だが、平成21年の暮、こんなニュースが国際面の片隅に載った。「立退き抵抗排除モスクワ」、という見出しである。モスクワ市当局が、1950年代に菜園要地として河川労働者に分与され、小家屋の建築が認められたのが始まりで、ソ連崩壊後に土地が転売されたり、一戸建て住宅が建てられたと言う。その後モスクワ市が1998年にこの一帯を自然公園に指定して、違法建築として住宅の強制撤去を始めたと言うのだ。長年住んでいるのを一方的に自然公園に指定して、強制撤去するのが通用するというのはロシアらしいでたらめである。

 だが小生が不思議に思うのはその点ではない。私有財産、つまり土地や家屋などを個人で保有する事が禁止されているはずの共産主義で、土地が労働者に与えられていたと言う事実である。だからこそ今頃になって強制立ち退きなどと言う問題が発生したのである。しかし一方でこの話で納得する事がある。皆が不思議に思わない不思議である。単純な小生は、ソ連が崩壊して資本主義になった時、ロシアには大混乱が起きるだろうと思った。

 ソ連では、土地や家屋などを個人で保有しておらず、全てが国の資産で、現在住んでいるのは、仮に国から割り当てられているだけのはずである。するとソ連が崩壊すれば、土地や家屋を誰が保有する事になるかについて、奪いあいの大混乱が起こるのに違いない、と予想したのである。つまり誰の土地でもない、と言う事は体制が変われば誰にでも権利がある、と言う事だからである。

 ソ連は平等のはずだから、誰も平等に財産を受ける権利があるはずである。例えばソ連崩壊にあたって、国有のはずの土地の配分について、こういうルールを定めたとしよう。一家の人数の頭割でその家族がもらえる総割り当て面積を決める。モスクワとシベリアでは人気が違うから、面積の比率を決める。次に各地の土地の保有の希望を募り、抽選で配分していく、などなどである。だがどのようなルールを決めても皆が公平だと納得できるルールなど作れまい。

 ところがそんなルール作りも行われず、混乱も起きなかった。その理由は、全ての国民が先の河川労働者のように、土地を配分されてそこに住んでいたのである。つまり土地の国有などと言うのは建前で、実際にはそこに住んでいた者の所有になっていたのである。もし住人が仕事の都合で転地すれば、その土地は不要になるから売って、その金で転地先の土地を買ったのであろう。

 ソ連にも貨幣はあったのである。貨幣があれば土地にも自然に価格がついたのである。そもそも貨幣の保有だって私有財産である。しかし建前では土地は国有だから、あまり公然とはできなかったのには違いない。だから土地の転売で騙されても裁判には持ち込めないから、裏では色々な問題が鬱積していたのに違いない。つまり資産の国有の建前は、国民に不便を強いていたのに過ぎない。ノーメンクラツーラと呼ばれた赤い貴族、つまりソ連の政府高官一家が世襲の豪邸に住んで、豪勢な暮らしをしていた事はソ連末期には広く西側世界にも知られていた。

 彼らは大資産を事実上私有していたのである。ソ連崩壊後、彼らは公然とそれを私有したのである。共産主義の実際とはそんなものだったのである。ソ連の初期には国営農場などが作られて、農民は土地を奪われて、かつての自分の土地を共同で耕させられていた。これが資産私有の禁止と言う、共産主義を厳格に実現する唯一の手段であった。しかしまもなく農民は共同農場では真面目に働かないために、能率が低下して個人農園が認められるようになった。

 そして国営農場は崩壊したのである。昔の中学の社会科の教科書には、ソ連のコルフォーズ、ソフォーズと言った国営農場で大規模農業があたかも理想の農業であるかのように、写真入りで紹介されていた。その後の経緯をみればそんな事は幻想であった事が分かる。つまり資産の私有禁止、つまり共産主義などと言うのは実際には運営できないのである。単純に考えてみるがよい。ソ連にだって貨幣はあった。貨幣の保有は私有財産の保有である。貨幣の保有なしに日常の生活ができようはずはない。だから、共産主義の絶対原則たる、私有財産の禁止、などというものがそもそも夢想である

 だから世界中で共産党が消え、中共ですら資本主義化した。いや、中共ですら人民元という通貨はあるのだから、初めから私有財産の禁止などというものは、有名無実だったのである。そう考えると日本にある「日本共産党」なるものに所属する人たちの知能はどうなっているのだろうかと、小生は思うのである。

 西欧諸国では「共産党」なるものはフランスにしか存在しない。現在のドイツでは、共産主義とナチズムは、ファシズムである、ということで政党の結成は事実上禁止されていることは有名な話である。日本の戦前はファシズムであった、などと見当違いの批判をする人士が、日本共産党の存在を支持している場合が多いことは、小生には奇怪なこととしか思われない。



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4 コメント

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共産主義 (テレビとうさん)
2019-10-26 07:34:22
「共産主義思想」は「資本主義国家」の微小部分でしか機能しません。「共産党」も同様に「資本主義経済(マクロ)」の「内部構造(ミクロ)」でしか「正常」に存続できません。それを保障しているのが「民主主義」なので、世界で最も民主的な国家は日本国と言えると思います。
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コメントありがとうございます。 (猫の誠)
2019-10-26 18:00:29
昔読んだ本で、西洋人が、数百人規模の人工社会を作って、周辺社会と隔離して共産主義計画経済を行う、という社会実験を行った、という話を読みました。結局、何か月も持たずに破綻したそうです。
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貨幣の歴史の勉強 (8ちゃん)
2019-10-28 07:53:18
貨幣は近代的な経済制度になり始めて人類史に登場したのではありません。貨幣が発明された契機は「物と物との交換」を円滑に進めるのに便利な仕組みとして生まれました。物同士の交換に際して、複数の物に共通の価値があれば、物の価値に差異が起こりにくいからです。このような経済上の仕組みは古代より存在したと考えられます。宝貝(タカラガイ)というものがあり、それは希少価値を持つ貝なのですが、それが今の貨幣の役割を果たしていたのです。貨幣の役割を担っていた宝貝が使われていたのは資本制生産様式が発達するはるか以前のことです。その時代の「所有形態」は小さな人間集団での、「共同作業で得られた収穫物は共同体に属する」と言うものでした。その時代には「私的所有」はまだ発生しておりません。それにもかかわらず「貨幣」が存在していたのです。それ故、「貨幣の存在」が「私的所有の存在」を証明する指標とはなりません。経済制度の違いを超えて「貨幣」は存在しうると考えるべきだと思います。
はるか昔に勉強した経済史ではそのように習った記憶があります。
ちなみに現代の貨幣は貨幣を発行する中央銀行(その信用は国家により担保されている)の信用度に依拠しています。大戦間のドイツのスーパーインフレを思い出してみましょう。トランク一杯の紙幣で買えるモノがパン数個であったことがあります。それ故、貨幣のモノとしての価値は交換価値に裏打ちされているのです。貨幣の存在は所有制度には関係ない概念とわたくしは理解しております。
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コメントありがとうございます (猫の誠)
2019-10-28 16:24:18
貨幣についての詳説ありがとうございます。根本において小生の貨幣の理解とは一致すると考えております。
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