毎日のできごとの反省

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パネー号事件論争

2019-05-31 00:52:20 | 軍事

 昔話に属するが、雑誌「正論」で、パネー号事件を主題とした、中川八洋筑波大学教授(当時)と海兵出身の元エリート軍人奥宮正武元中佐との論争があった。論争のテーマは中川氏の主張する、①パネー号事件は誤爆ではなく、海軍の上司の命令による米艦船攻撃であり、攻撃部隊の奥宮氏は相手が米艦船であることを、国旗の表示によって視認していたにもかかわらず攻撃した。②奥宮氏は南京にいて、「南京大虐殺」の現場を見たと主張するのはねつ造である。③海軍の多くのエリート軍人の多くは、戦後まで海軍の名誉を守るため、日本民族に不利な偽証をし、それが大東亜戦史の定説となっている。これに対して一般の認識と異なり陸軍のエリートは、一部のコミュニストを除けば、見識ある人物が海軍より多い、といったものだろう。

 最近、この論争をたまたま再読する機会があったが、読後感は、論争は中川氏の圧勝であった。中川氏はエキセントリックな性格であるが、論理は明晰である。これに対して、奥宮氏は中川氏が軍人でない素人だ、という点に依拠して反論しているに過ぎないように思われる。この論争は、旧海軍のエリート軍人のひとつの典型を示すものとして興味があるので触れたい。

 論争は「良識派軍人奥宮正武氏への懐疑」(以下甲1と略す、H12.9号)、これに「中川八洋氏に反論する」(乙1と略す、H12.11号)が続き、「ふたたび奥宮正武氏に糺す」(甲2と略す、H13.1号)、奥宮氏の「ふたたび中川八洋氏の詰問に答える」(乙2と略す、H13.3号)、の4回で終わっている。

 この論争の中で、奥宮氏は信じられない間違いを書いている。それも海兵出身者という頭脳明晰な人物とは思われないミスである。甲1で中川氏は奥宮氏が「さらば海軍航空隊」で当時視程50キロの快晴で、高度500mの低空に急降下して攻撃していたから、甲板上の星条旗がみえたはずだ。(P293)という。

 これに対して乙1で、地上を視認できるのは搭乗員のうちほんの一部だという事実を、軍用機に乗ったことのない中川氏には分からない(P293)、と反論する。ところが甲2で、「さらば海軍航空隊」で、奥宮氏自身が「私は、下方の(パネー号等)四隻の甲板上に濃紺の服装をした中国の軍人らしい人々が満載されているのを見て・・・()内は中川氏による注記。」と乙1と矛盾することを書いていると、中川氏が反論する。

 これに対して乙2で、奥宮氏は何と「私の著書のいずれにも、パネー号上に中国人がいた、とは書いていない。(P321)」というのだ。その上「他人に質問するのであれば、当人の著書をよく読むべき・・・」とさえ書く。小生は図書館から「さらば海軍航空隊」を取り寄せたが、そこには確かに、「私は、下方の四隻の甲板上に濃紺の服装をした中国の軍人らしい人々が満載されているのを見て・・・」と書いてある

 甲板に星条旗が書いてあったのは、パネー号以外の船ではないか、というのは奥宮氏自身によれば、あり得ないという。なぜなら乙1のP295に「最初の爆撃で、パネー号の甲板が破損していたので、ますます甲板上の国旗を見分けにくくなっていた。」と書いているのである。

 中川氏によれば、国旗が分からないほど破損している甲板に、中国兵がいられるはずもなく、搭乗員のほとんどが地上の様子など見えない、というのも真っ赤なウソなのである。

 私には奥宮氏がこのように調べれば簡単に分かる、自らの著書の記述について間違えるのが不可解である。中川氏が指摘した「さらば海軍航空隊」のページと小生の手元の本のページは数ページずれている。このようなことは本の版が変わると珍しいことではない。当然該当箇所を小生ですら簡単に見つけた。

 このような奥宮氏の自著の読み忘れ(?)は軽いものではない。「さらば海軍航空隊」には爆弾投下した瞬間に英国旗のユニオンジャックが見えたので、あせって、友軍機の爆撃をやめさせようとした、と書いている米英は中立国だから艦船を爆撃してはならない、という戦時国際法を準用すべきことを思い出したのである。パネー号は米船だから「英国旗」ではなく、「星条旗」が見えたはずなのに、「英国旗」が見えたと嘘をついた上に、論争では国旗自体が見えなかった、といった矛盾の明白な嘘をついている。乙1では自身が下を見えなかった、といっているのに、著書ではちゃんと国旗や中国人を見たと書いているのである。見え透いた嘘が過ぎる。星条旗を視認しても撃沈してしまったとすれば、それは誤爆ではない。中川氏も小生もそう思う。つまり著書に書いてもいないことをねつ造するな、という勘違い(あるいは嘘)はパネー号事件の本質を指摘されたから慌てたためのように思われる。

 まだ奥宮氏には奇妙な間違いはある。乙2のP319に朝日新聞の児玉特派員の記事で、海軍機が、陸軍部隊に急降下攻撃を見せる姿勢を示したので、陸軍の部隊長が皆に日の丸の旗を振れ、といって皆で旗を振ると、先頭機は通過していったが、次の機は爆弾を投下していって爆発音が3回聞こえた、と書いている、という中川氏の指摘に対して、奥宮氏は「これも全くのつくり話である。しかも前大戦後に、私の著書をヒントにして書かれたものと思われる。」と説明している。

 ところが、中川氏の指摘するこの記事は、甲2によれば(P282)、昭和十二年十二月二十五日の支那事変の最中の朝日新聞の記事であり、中川氏はそのことを明記している。しかも中川氏は、これに関連する一連の記事が嘘なら、なぜ当時の海軍は「虚報」として抗議しなかったかと言っているのである。

 奥宮氏は昭和十二年当時海軍大尉である。それ以前に奥宮氏が文筆活動をしていたとは寡聞にして知らない。国会図書館のデータベースでは、奥宮氏が世に著作を出したのは昭和26年の淵田美津雄氏との共著「ミッドウェー」が最初である。なぜ児玉特派員が昭和十二年の記事に、奥宮氏の戦後の著書をヒントに「つくり話」の記事を書くことができたのだろう。なお、中川氏が指摘する、児玉特派員の記事が実在することは国会図書館の東京朝日新聞のデータベースで確認した。またしても奥宮氏は中川氏の文章をろくに読まずに嘘の反論をしたのである。

 自著に明白に書かれているものを、書いたことはない、と否定したり、戦前の新聞記事が戦後の著作をヒントに書いた作り話だなどといったり奥宮氏の頭脳には論争以前の問題がある。繰り返すが、海兵出身の明晰な奥宮氏がどうしたことだろう、と首を傾げる次第である。

 また、奥宮氏は国際法に理解がないふりをいるか、知らないかである。国際法に関する奥宮氏の反論について、中川氏はあえて一切触れていないようである。奥宮氏は乙1(P299)で「投降の意志が示された敵兵を捕虜にするか否かは交戦相手部隊の自由である。」という中川氏の説明に「そのようなことを認めている条約はない。」と断言する。

 そのようなことを明記した条約がないことは事実である。だが、国際法とは、条約だけで成立しているものではない。その多くが、その当時確立されている国際的慣習によるものが、国際法のほとんどである。日清戦争当時、東郷艦長が起こした、英商船の高陞号撃沈事件は、東郷が国際法に則って実行したとされているが、英国では東郷の処置にごうごうたる非難が起きた。しかし、当時の英国の国際法の権威が、東郷の処置は国際法上正当である、という見解を発表したとたんに、英国世論は東郷の処置の正当性を認めて収まった。

 もし、国際法が条約だけで成立しているものとすれば、条約の説明だけで済み、権威者の見解など必要ないのである。もとより帝国海軍軍人たる奥宮氏がそのようなことを知らぬはずはない。奥宮氏はためにする議論をしたのである。

 また、奥宮氏がハーグ条約などというものはなく、外務省の正式文書には必ず、ヘーグ条約と書かれている、と中川氏は知識不足である、と断じている。小生の持っている「国際条約集」という本にも確かに「ヘーグ条約」とかかれている。だが、戦前の国際法の権威の一人の立作太郎氏の「戦時国際法論」(昭和6年刊)には「ハーグ」條約と書いてあるし、同氏の「支那事変国際法論」には、ハーグどころか「海牙」と書かれている。「海牙」をハーグと読むかヘーグと読むかは、その時の慣習に過ぎない。ハーグ条約が間違いなら、ヘーグ条約も間違いである。当時は「条約」と書かずに「條約」と書くからである。言葉をあげつらうものではない。

従って、これも中川氏の知識不足を印象づける操作に過ぎず、議論の本質ではない。これら国際法関連については、中川氏はばかばかしくもあり、議論の本質にも触れないので無視したと、小生はよきに解釈している。奥宮氏は国際法の本質を知っていることを、中川氏は百も承知しているはずなので、国際法の講義をするまでもないと思ったのであろう。小生もそう思う。

 公平のためにも、1点、中川氏も珍妙なことを書いていることを指摘しておく。甲2のP286に「南雲忠一中将の機動部隊はハル・ノートが手渡される二十五時間前のワシントン時間十一月二十五日に択捉島を出撃した。中学生でも知っている有名な史実である。」と書いている。いくらなんでも「中学生でも知っている」はないだろう。冒頭に中川はエキセントリックな性格である、と述べる所以である。

 以上は、正論誌にかつて載った中川VS奥宮論争の一部を抜き書きした。再読して見て、改めて中川氏の圧勝と感じた。当時日米間では誤爆という事で決着しているが、パネー号事件は誤爆ではなかったのであろう。しかし、全貌は不明である。パネー号事件が誤爆ではない、と奥宮氏が認めれば、歴史の不明点がさらに見えたはずなのは残念である。また、中川氏が甲2で論争を離れて、国家や軍人のあり方について、奥宮氏を真摯に諭しているように見えるのに、奥宮氏が虚言まで使って、弁明に汲々としているのは、奥宮氏が身命を賭して日本のために戦った軍人であるのに、残念だと思う次第である。

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