明治33年に炭坑として開坑する
幾多の変遷の後
昭和46年まで石炭の採掘を
行っていた
櫓の高さ50.2m
立坑の深さ735.4m
内径6.4mと東洋一を誇っていたそうだ
それが今
鉄骨や滑車が錆び付いたまま
地上に聳え
建屋も朽ちてみるも無惨
痛ましい
無常感この上なし
建屋の後方のボタ山には
樹木が生えて
紅葉が真っ盛り
廃石炭の集積した
三角形のボタ山は面影がない
祇園精舎の鐘の声
沙羅双樹の花の色・・・
ただ春の世の夢の如しだ