「お前ぇ気は確かか?」と問いたくなるほどここ数日の気温が高い。沖縄気象台のデータによると、20日から23日までの最高気温(那覇)は25.1度、24.5度、26.2度、24.3度となっている。22日は用があって昼間、夏のような薄着で出かけたのだが、汗が滲んでしまった。23日の朝はたっぷり寝汗をかいていた。日の最低気温も21日と23日は20度を超えている。もう年の瀬だぜ、大丈夫か地球?と思う。・・・が、沖縄気象台の過去のデータを見ると、12月下旬で最高気温が25度を超えるのは2015年以降ちょくちょくあったようだ。私の脳が覚えていないだけのようだ。それはさておき、
前に沖縄の言葉「ウガンブスク」を紹介したが、その記事を書きながらウガンジュという言葉も思い浮かんで、「そういえば、俺はウガンジュとほとんど関係なく生きてきたなぁ、ウガンジュと言われるところに手を合わせたことは一度も無いんじゃないかなぁ」と過去を振り返った。我が家の墓、親戚の墓で手を合わせるが墓はウガンジュではない。先の大戦での戦没者を祀っている平和の礎で手を合わせたことはあるがそこもウガンジュではない。若い頃「お願い?」と女性に手を合わせたことがあるが、それは意味が違う。
そうそう、ここ30年ばかりは無いが、若い頃には正月に神社で手を合わせたことが数回ある。神社はきっとウガンジュである。「拝む所」だと思われる。
ウガンジュとは何かというと、「ウガンブスク」で書いた事の繰り返しとなるが、
沖縄語辞典によると、ウグヮンは「お願」と表記され「祈願。願。祈祷」の意とある。『沖縄大百科事典』にはウガンがあり、拝所と表記され「神霊のよりつく聖域のこと」とある。「御願所とも」と別名が記されているが、「神霊のよりつく聖域のこと」という意では御願所(ウガンジュ)の方を私は子供の頃から多く耳にしている。
つまり、簡単に言えば、ウガンジュとは「神霊のよりつく聖域のこと」。
ウガンジュは沖縄のあちらこちらにある。畑仕事に追われる前の数年前までは「趣味は散歩です」と言っても良いほど私は頻繁に散歩をしていた。私の散歩場所は公園も多くあり、私が散歩場所にしていたいくつかの公園にもウガンジュがあった。
と書いていて思い出した。私は沖縄の有名な大きなウガンジュで手を合わせたことが数回ある。そこはセーファーウタキ(斎場御嶽)、沖縄島では最も由緒ある聖域。
ウタキ(御嶽)とは『沖縄大百科事典』によると、「おがみ山・ムイ(森)・グスク・ウガン・オン・スクなどと呼ばれる聖地の総称」とのこと。御嶽は公用語ともある。
セーファーウタキについては2010年9月に撮った写真も残っているので後日紹介することとして、今回はそこここにいくつもあるウガンジュを考えてみたい。
そこここにいくつもあるウガンジュを、散歩している時に私は何度も目にしている。その場所に線香が供えられているのも何度も見ている。神霊のよりつく聖域に対し畏敬の念を持っているウチナーンチュは多くいるみたいである。私の想像だが、「子供が病気に罹りました、お助けください」とか、「子供の病気が治りました、神様のお陰です、ありがとうございました」とかいった祈りとかお礼とかであろう。
私はそういうところで手を合わせたことはない。何かを願ったことも生きていることに感謝したこともない。願わない、祈らない、拝まないなどは、「俺は俺の力で生きていける、神の助けなどいらないぜ」という傲慢さから来ているのかもしれない。
神の存在を信じ無いところから私の傲慢さは来ている。しかし、よく考えれば、そこに空気がある、水がある、食い物があるというだけでも有難いこと。そういう環境を造ってくれている何者かに感謝することは必要であろう。生きるのを助けて貰っているという普通の感謝だ。今度、ウガンジュらしきものに出会ったら、手を合わせないまでも目礼くらいはするように、少なくとも心の中では、畏敬の念を持つようにしようと反省した。
記:2018.12.22 ガジ丸 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行