

本栖湖湖畔から千円札の富士山に描かれている景色が見られるというので、そこに行った。
私の日ごろの行いもあって好天。
iPhoneで撮ったんだけど、分かるかな?
「マリアビートル」伊坂幸太郎 角川書店 2010年
「グラスホッパー」に続編が。新幹線の車内だけで物語は進む。1.息子が突き落とされその復讐に燃える木村雄一(元殺し屋、後に更正) 2.木村の息子だけじゃなく数々の人たちを翻弄する悪魔のような中学生、王子慧 3.誘拐された峰岸(こわいおじさん)の息子を奪還する、蜜柑と檸檬という名前だけはカワイイ、凄腕の殺し屋二人組 4.尋常でないほど運が悪い殺し屋の七尾。身代金の強奪を依頼されている・・・新幹線車内のバトルロイヤルの行方は・・・
うむ。読むのにすごく時間がかかった。のべ10時間以上読んでいたと思う。1600円の本を1時間で読み終えた場合より、10倍のリターンがあったと言えるのかはよく分からないけど、即読み終わるような作品よりもずっと楽しめる。
ドタバタ喜劇と呼べばいいのか、深刻な人生哲学と呼べばいいのか。あるいはその両方がそこにあると言えばいいのか。てな感じ。冲方丁との対談では、グラスホッパーはどこが面白いのか分からないと言う人がいたので、リベンジして、同じ世界観で面白いと思わせてやりたいと言っていた。しかし、あー面白かった!というようにシンプルには思わなかった。
何が正義なのか。何が正しい行いなのか。そこ根底をゆらゆらと揺する、稀有な物語だと思う。伊坂幸太郎の意図に反して、私は純粋エンターテイメントとは違うように感じた
しかしややこしい。誰が何をしているのか、非常に入り乱れているので、だからサッと読めない。狭い空間だからこそ、複雑なプロットが生かされているのだろう。
人間には自己正当化が必要なのだ。自分は正しく、強く、価値のある人間だと思わずには生きていられない。だから、自分の言動が、その自己認識とかけ離れたとき、その矛盾を解消するために言い訳を探し出す。子供を虐待する親、浮気をする聖職者、失墜した政治家、誰もが言い訳を構築する。他人に屈服させられた場合にも同様だ。自己正当化が発生する。自分の無力や非力、弱さを認めないために、別の理由を探し出す。「俺を屈服させるからには、この相手はよほど優れた人間に違いない」と考え、さらには「このような状況になれば、誰であろうと抵抗は出来ないはずだ。と納得する。自尊心があり、自信を持つほど、言い聞かせの力は強く、一度、そうなってしまえば、力の上下関係は明確に刷り込まれることになる。(96頁より引用)
この箇所を読んで、あそうだそうなんだよ、と思う人はこの本をきっと楽しめると思う。(お気楽な娯楽を求める人よりも楽しめると思う)(たぶん。)「グラスホッパー」の続編だけれど、読んでなくてもそれほど問題ないと思う。読んだ私はすっかり忘れていたいたし。
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日曜日に富士五湖方面におった。本栖湖畔で、千円札の裏側の富士山と同じ景色が見られるというのでそこに行った。
するとやや怪しげな人間たち。なんでこんなとこに警備員が?なんでこんなとこに高橋レーシングの車が?と思っていたら、
非常に腰の低いスタッフ(小太り30代男性)がニコニコ近づいてきたので何の撮影か訊いたところ、テレビドラマの撮影だった。なるほど。しかし、写真撮ったりするのに邪魔だなと思っていたら、訊いてもいないのに、「月曜九時です。流れ星です」なるほど。しかしどこにも役者っぽい人がいないので気にしないでいた。
富士山をカシャカシャ撮って撮影隊の方をふと見ると車の中に男女が。あれ?あーれー?
よく見たら、上戸彩と竹之内豊だった。おい!撮っていないときには大きな傘で隠しているのでなかなか気づかないのだ。
すぐ近くを通ったんだけれども、竹之内の顔小さいねー。髪切ってヒゲも生やしてないと好青年風。例えば歯医者に行って彼が担当の歯科医だったら、100パーセントの女子たちがとろけてしまうだろう。
同行者が望遠レンズで二人の姿を隠し撮りした(まさか撮ってたとは)んだけど、肖像権の問題もあるし載せないでおこう。生写真は、一枚3000円のところを、今日は特別価格。980円でご奉仕!
まあそれはいいとして、役者二人を囲むようにしてスタッフがいて、特に女性のスタッフが一般人にかなりキツイ視線を送っているのが気になった。予想通り一般人と口論になっていたけど。
しかしたった数秒のために一時間撮影し、何時間もかけてこの場所にやって来ないといけないわけで、大変な仕事だなーと思った。
来週かどうかは分からないが、二人が富士山をバックにしたシーンが出てきたら、その右側に私がいることを意識しながら観てもらえると、「流れ星」がよりお楽しみいただけると思う。生写真は今売り切れた。御免。
「サバイバル登山家」服部文祥 みすず書房 2006年(初出「山と渓谷」「岳人」など)
TBS系列日曜23:00放送の情熱大陸という番組をご存知だろうか。先日の放送で私はノックアウトされてしまった。その強烈なキャラクターと強烈な登山に。極端なほど装備を減らして登山をする。携帯なしガスなし。食料は玄米のみ。猟銃を持って猪や鹿を狙う。当たればさばいて食う。そのギラギラした目。自信満々な語り口。
服部文祥という名で検索すると著作があったので早速読んでみた。雑誌に書いたエッセイを集めたような形式で、93年知床半島を春期全山縦走した話から(あんなところを一人で寒い中登山するのは狂っていると思う)日高から襟裳岬まで歩いた話(え?)冬の黒部など苦労した山岳行、それに釣りや自分の哲学などが語られている。
そこにはかなり女々しく内省的で、テレビで観た姿とは違う服部がいた。
そしてそこらかしこに含蓄のある文章があった。
キノコ図鑑を持ち歩かないといけないことについて、
現地調達といっても、スーパーできれいにディスプレイされた食料の中から、その日食べたいものを選び出す生活に浸りきっている僕には、自然界から食料を探し出す能力が身についていなかった。何も知らないので、知識が書き記された書物を持ち歩かなくてはならない。無知とはそのまま余計な労力なんだということを僕は始めて実感した。(48頁より引用)
知は力なりと言うけれど、それを実感できたのは学校でのテストという場か、あるいはトリヴィアな知識が合コンを盛り上げたことぐらいか。知=力であることを服部が教えてくれる。
ロープや登攀具を持たなければ、荷はよりシンプルになる。軽くなればその分、身体能力が上がることになる。道具を否定した登山は、自分の力を発揮しなくてはならないという面と、発揮しやすくなるという二つの面を合わせて、相乗効果で人を山に近づける。(57頁より引用)
なるほど。引用は次のを最後にしたい。
やや穿った見方だが、都会に生きる人々の大多数は一方的に消費するだけの人間という意味でお客さんである。買い物客、乗客、もしかしたら患者まで、自分で解決する機会を奪われたか、あきらめるようにしむけられてきた人々だ。食料の調達をあきらめてスーパーに買いに行き、自分で移動することをあきらめて電車に乗り、自分で治すことをあきらめて病院に行く。僕は街にいると、自分がお金を払って生かされているお客さんのような気がして、ときどきむしょうに恥ずかしくなる。(250頁より引用)
うーむ。服部は押し付けがましくない。自分はこういう生き方をしている、しようとしている、それはなぜけかと言うと、と説明する。しかし、それを他人に押し付けようとはしていない。自己を過剰に肯定せず、過剰に否定せず、しかしやや肯定しやや否定し揺れ動いている様が人間的だからこそ、彼の言葉が入ってくる。
押し付けようとしていないにも関わらず、私には服部がこんな風に叫んでいるようだ。
お前はお客さんか!
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「お台場アイランドベイビー」伊与原新 角川書店 2010年
横溝正史ミステリ大賞受賞作。
近未来の日本。東京は震災で崩壊。長引く不況、混乱。ストリートチルドレン、元刑事、学者、都知事と復興にまつわる汚職・・・横溝賞受賞作の中でもっとも泣けるそうだが・・・
うーん。あっという間に読み終わってしまった。もちろん泣く暇もなかった。
近未来の設定に突き抜けるモノがなく、一番読み応えがあるはずの部分がちょっと。人物造形が悪くないのに、なんだか軽い感じがした。リアリティの欠如によるものか。背景設定と人物どちらともすごく悪いわけでもないのに、高い評価はしにくい。
しかし、すらすら読ませるリーダビリティを持った人なので次回作に期待したい。過去の横溝賞受賞者のリストを読むと、ほとんどがもう書いていないか書いていても出版されているのを見たことがない人ばかりのよう。新人賞を取ってもなかなか後が続かない厳しい世界なわけね。だからこそ、ぜひ次回作を。
横溝正史ミステリ大賞受賞作。
近未来の日本。東京は震災で崩壊。長引く不況、混乱。ストリートチルドレン、元刑事、学者、都知事と復興にまつわる汚職・・・横溝賞受賞作の中でもっとも泣けるそうだが・・・
うーん。あっという間に読み終わってしまった。もちろん泣く暇もなかった。
近未来の設定に突き抜けるモノがなく、一番読み応えがあるはずの部分がちょっと。人物造形が悪くないのに、なんだか軽い感じがした。リアリティの欠如によるものか。背景設定と人物どちらともすごく悪いわけでもないのに、高い評価はしにくい。
しかし、すらすら読ませるリーダビリティを持った人なので次回作に期待したい。過去の横溝賞受賞者のリストを読むと、ほとんどがもう書いていないか書いていても出版されているのを見たことがない人ばかりのよう。新人賞を取ってもなかなか後が続かない厳しい世界なわけね。だからこそ、ぜひ次回作を。
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伊与原 新 | |
角川書店(角川グループパブリッシング) |
「二人静」盛田隆二 光文社 2010年(初出本が好き!2007年7月~2009年1月)
32歳サラリーマン周吾。母は亡くなり71歳の父と暮らす。認知症が進んだ父を介護老人施設に預かってもらうことになった。父に振り回され仕事に邁進できない。32歳介護士のあかり。離婚して小学校4年生の娘と二人暮らし。娘は場面寡黙症で、学校でほとんど喋る事ができない。過去の恋愛から新しい恋に踏み出せない周吾。元夫によるDV体験から新しい恋から逃避するあかり。もどかしい二人の恋の行方は・・・
いやいやいや。参った。さすが、もどかしい大人の恋を書かせると巧い。
最初、父の介護のかなりリアルな場面が続いて読んでいて滅入る。まさか一冊丸ごと介護小説じゃないよなと思って読み続けていたらもちろんそうじゃなかった。
とても「いい人」である、周吾とあかり、それぞれになかなか人生が好転せず、読者としてはつい応援してしまうのだが、そう簡単にはうまく回っていかない。このもどかしさがいい。
また、介護という障害を抱えた父と場面寡黙症という障害を抱えた娘、周吾とあかりの人生の重なりについて、色々と考えさせられる。ロクな人生を歩んでいない私も、誰かからすれば要介護のジジイかも知れないし、誰かからすれば特別なケアの必要な子供なのかも知れない。などと思えば、他人事じゃない。
父の日記にある介護士さんが好きと書いてあるのをを読んで、
「それって父の精神年齢が小学校一年生並みってこと?」
佳代が珍しく食ってかかる口調になった。
「そんなことは言ってないよ。人を好きになる気持ちが、加齢とともに、何の打算もなくて、穢れのない、純粋なものになっていくなら、それはいい話だなって、俺は感激したんだけどね」
なるほど、と周吾は深くうなずいた。七十一歳の父が七歳の子供に戻っていく。息子にとってはつらいことだが、橋爪の言うように<いぬいさん、大好き>という鉛筆の文字に父の無垢な気持ちを見て取れるなら、むしろ心が洗われる思いがする。(65頁より引用)
佳代が珍しく食ってかかる口調になった。
「そんなことは言ってないよ。人を好きになる気持ちが、加齢とともに、何の打算もなくて、穢れのない、純粋なものになっていくなら、それはいい話だなって、俺は感激したんだけどね」
なるほど、と周吾は深くうなずいた。七十一歳の父が七歳の子供に戻っていく。息子にとってはつらいことだが、橋爪の言うように<いぬいさん、大好き>という鉛筆の文字に父の無垢な気持ちを見て取れるなら、むしろ心が洗われる思いがする。(65頁より引用)
娘について学校の先生と話すと
「乾さん」と鶴瀬は続けた。「ドアは内側からしか開かない。いくらノックをしても返事がないならここは温かく、粘り強く見守ってあげるしかありません」(123頁より引用)
懸命に生きる人たちの姿を見ていると懸命に生きていない私にはとてもまぶしくそして心地が良い。二人静というタイトルの意味はよく分からなかったが、過去の人の事を思うという意味だすれば、それがメインテーマになるわけで・・・お?深いね。
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戦争中ニューギニアで銃殺されたという日本軍兵士。その真相を探るべく奥崎謙三が西へ東へと移動しそして関係者に話をきくというドキュメント。
いやいや。ずっと観よう観ようと思いながら逃げていた作品をついに観てしまうた。何とも表現しがたい気分になりやした。重い石を飲み込んで胃の底に沈んでいるような。いい気分とか爽快からはほど遠い。
奥崎という人がとても興味深い。右翼の街宣カーのように一見みえるが実はアナーキストな装飾をほどこした車で移動。そこには「人類を啓蒙する手段として田中角栄を殺す」とデカデカと書いてある。どっからどう見えてアブナイ人にしか見えない。先日の情熱大陸でやっていた、サバイバル登山家の服部文祥と同じぐらい強烈だった。
しかし、腰が低く礼儀正しい。そして上官を訪ね、話を聞いているうちに、相手が誤魔化しはじめたり態度が悪かったりすると、突然奥崎スイッチが入る。首を絞めようとしたり蹴ったりしようとするのだ。うーむ。現実の世界で決して近くに来て欲しくない人第一位にランクイン。
まあそれもそのはず。奥崎は不動産屋を傷害致死で13年刑務所にいたし、天皇にパチンコ玉をぶつけようとしたし、天皇一家の写真にポルノ写真を合成したビラをまいたし、筋金入りの人なわけである。
でも、奥崎にどこか尊敬の念を抱いてしまう。積極的に悪い事(であると知っていて)をして、そして積極的に責任を取ろうとする姿に、どこか自分が決して持てないモノを持つ者に対する畏敬の念を。そう尊敬より畏敬の方が近い。
かなり観る人を選ぶ作品であるように思う。理解の知的レベルというような意味ではなくて。何これバカじゃないの?と思ったり、つまんないと思う人か、あるいはどこか心を揺さぶられてしまう人か、そのどちらかに極端に分かれるんだろうと思う。
私は観て良かったと思ったが、しかし決して二度と観たくないとも思った。
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近頃見かけるこんなファッション。G短パンから出てるポケット。
これって、アリなのだろうか?
雑誌に載っているのだから、アリなのか・・・
すると私がパンツ(ズボン)の尻ポケットからポケットを出したままでも、アリだったのだろうか。
トイレに行くたびに、ハンケチを右尻ポケから出して、で、しょっちゅう尻ポケからポケットがアウトしているのに後で気がついて、で、赤面していたのに。
さて、張り切って歌わせていただきます!
わ~た~し~
だ~す~わ~
いつまでも~
だ~す~わ~
「ツリーハウス」角田光代 2010年 文藝春秋社 (初出産経新聞大阪夕刊2008年10月4日~2009年9月26日毎週土曜の連載)
新宿の翡翠飯店。一緒に暮らす祖父と祖母、父と母、仕事を辞めた良嗣とプー太郎の叔父。姉は妊娠して戻ってきた。兄はどこかに行って行方が分からない。そして祖父が死んだ。しかし何事もなかったかのように流されてゆく我が藤代家。
どうにも違和感を感じる良嗣は「帰りたい」とつぶやいた祖母に、満州へ行こうと誘う。祖母は戦争の時に満州にいたのだ。やる気のない叔父と祖母と三人で大連へ。現代と祖母の思い出が交互に語られる。満州へ渡りそして祖父と出会った祖母。そして戦争へ。引き上げへ。祖母の人生を振り返りながらそして父の人生を振り返りながら読むある家族の歴史。
いやいや。最初読みにくいなー。何がテーマの小説なのかなーと思いながら読んでいたらずっぷりとハマってしまった。面白い小説というより、いい小説だと思う。書き方によってはだいぶ暗くなる話なのに、それを少し軽めの文体で書くことによって深刻さを和らげてくれていてそれもまたいい。
良嗣が藤代家について語るのは
流されすぎるんじゃないか。家族のひとりがふらりといなくなれば、それも受け入れる。戻ってくれば理由も聞かず迎え入れる。寛容なのではなく、面倒だからだ。良嗣は今思う。そこにいないはずの誰かがいればそれに慣れ、そこにいるはずの誰かがいなくてもすぐに慣れる。疑問を持ったり、元に戻そうとしたり、訂正したりを一切しない。祖父がいないことにも、どうやらこいつらはもう慣れていやがる。かなしむより先に慣れているのだ。(29頁より引用)
なんだろうな。なんか分かる!分かるよ!って感じ。
大連に着き、一人で街をぶらつく良嗣は
大声で笑い出したくなって、それでようやく、良嗣は気づいた。おれ、今、興奮しているんだと。なんにも持たずに知らない町を歩いていることに、どうやら、興奮しているらしいと(67頁より引用)
それとは対照的に、祖母は引き上げてきたとき、
さてどこにいくか。どこに行けば食うに困らないか。どこにいけば眠る場所が確保できるか。どこにいけば、暮らしていけるのか。どこにでもいけるはずだった。けれどヤエは、大陸を目指しひとりで船に乗り込んだときのような興奮も開放感も感じなかった。どこにでもいけるのではなく、どこかにいかねばならないと、ぼんやりと逼迫した頭で思っていた(158頁より引用)
ああ。巧い。そうかこれが角田光代か。どこにでも行けることと、どこかに行かねばならないこと。なんだかじんとしてくる。
印象が薄いかと思っていた、父慎之輔は
母も自分も、もしかして父も、一生後悔していくのかもしれないと慎之輔は思う。あのときこうしていれば。こうしていなければ。生きていくということは、人とかかわるということは、この苦い後悔を増やしていくことなのかもしれない。(269頁より引用)
ああ。私が日々後悔を積んでいるのはこれなのか。と自分が赦されているような、そんな錯覚に陥った。
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角田 光代 | |
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