「エレクトラ 中上健次の生涯」高山文彦 文藝春秋社 2010年
1992年に46歳で亡くなった、作家の人生を描くルポルタージュ。web本の雑誌で、作家桜木紫乃が影響を受けた本としてあげていた。
中上健次は、被差別出身という生い立ちを必ずしも自分を鼓舞する動機とは出来ず、自堕落な生活を送る。極端な貧困が彼を形成したのだと思っていたので意外だった。母が再婚した男性が裕福だったからかも知れないし、性格のせいなのかも知れない。この貧乏をプラスのエネルギーに変え切れなかったのは私のことでもあるので、変なシンパシーを感じる。
エネルギーとなったのは、自らのコンプレックス、兄の自殺、彷徨っていた浪人生時代なのかも知れない。
また、他の作家や編集者に暴力をふるったりする無頼派というイメージがあったが、むしろ、文庫巻末解説で勝目梓が
と書いているように、中上がどう変身してゆくのか、作品を生み出す過程を通して読んでいくと、やめられないとまらない、極上の本だった。
本書を読んだからといって、中上健次の小説を必ずしも読もうという気にはならない。作品が面白いということと、その人が面白いということは全く別のことだからだ。(その人が好きだという事と、その人の作る料理が好きなのは違うし、最低の人間が最高の音楽を作るということもある)
文体がやや苦手なので手を出したことはなかったけだ、まあ、でも読もうかとは思い「岬」と「枯木灘」は買った。いつ読むか不明。その前に大江健三郎を読むべきかと思うけれど、彼の作品も苦手。喰わず嫌いというより、噛んでみたけど飲み込めずだ。飲み込んではみたけれど、消化されずだ。ある種の消化酵素が私には欠けているのか。
では、また。
1992年に46歳で亡くなった、作家の人生を描くルポルタージュ。web本の雑誌で、作家桜木紫乃が影響を受けた本としてあげていた。
中上健次は、被差別出身という生い立ちを必ずしも自分を鼓舞する動機とは出来ず、自堕落な生活を送る。極端な貧困が彼を形成したのだと思っていたので意外だった。母が再婚した男性が裕福だったからかも知れないし、性格のせいなのかも知れない。この貧乏をプラスのエネルギーに変え切れなかったのは私のことでもあるので、変なシンパシーを感じる。
エネルギーとなったのは、自らのコンプレックス、兄の自殺、彷徨っていた浪人生時代なのかも知れない。
また、他の作家や編集者に暴力をふるったりする無頼派というイメージがあったが、むしろ、文庫巻末解説で勝目梓が
当時の中上は、十四歳年長の私の眼には、<パッシング>どころか、親の仕送りに頼ってジャズ喫茶にいりびたり、薬物に刺激を求めるなどしてのうのうと日を送っている、甘ったれで頭でっかちの、ただの文学青年にしか見えませんでした。けれども彼はたちまちのうちに、油断のならない異様な文学熱を放射しはじめて、雑誌仲間の間で存在感を発揮してきたのです。(457頁より引用)
と書いているように、中上がどう変身してゆくのか、作品を生み出す過程を通して読んでいくと、やめられないとまらない、極上の本だった。
本書を読んだからといって、中上健次の小説を必ずしも読もうという気にはならない。作品が面白いということと、その人が面白いということは全く別のことだからだ。(その人が好きだという事と、その人の作る料理が好きなのは違うし、最低の人間が最高の音楽を作るということもある)
文体がやや苦手なので手を出したことはなかったけだ、まあ、でも読もうかとは思い「岬」と「枯木灘」は買った。いつ読むか不明。その前に大江健三郎を読むべきかと思うけれど、彼の作品も苦手。喰わず嫌いというより、噛んでみたけど飲み込めずだ。飲み込んではみたけれど、消化されずだ。ある種の消化酵素が私には欠けているのか。
では、また。

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