「睡蓮の長いまどろみ」宮本輝 文藝春秋社 2000年(初出文學界1997年1月号~2000年7月号)
42年前自分を捨てた母の姿を見ようとイタリアに行った主人公は世良順哉。帰国し、会社に戻る。エレベーターが動かないときに、近所の喫茶店からコーヒーを配達に来た店員は世良の目の前で自殺してしまった。自殺の謎、母の謎、仕事。いたずら電話をかけてコーヒーを配達させた犯人探し。このミステリーのような作品の行方は…
うーむ。巧い。宮本輝は短編以外のほとんどの作品を持っているけれど、楽しみのために未読のままとってあるものがある。今回魔がさして未読の山を崩してしまった。するとやめられないとまらない。
40代サラリーマンの悲哀がテーマかと思っていたら全然違う。世良のセクシュアリテと秘密の生活がサブテーマの一つ。母がなぜ自分を捨てたのか、その秘密探しが一見テーマに見えるけれど(そう見てしまうと、単なる冗長なミステリとしか思えない)、それよりもどうして世良がそれにこだわるか。それに加えて、世良の日常に加わる妻や親たちのエピソードが絡まる。
世良という男と生みの母親を通して、いくつかのサブテーマがくるくると絡んだ重層的な物語。てな感じか。テーマを一言で表すことができない。
色々と気にとまった箇所があった。例えば、文庫版上巻231頁に出て来る話で、幼児期に母親以外に育てられた子は性倒錯の可能性があると法医学者が言ったとか(ほんまか?でもどこかで使おう。)
仏教用語の「因果倶時」という言葉がサブテーマになっていることを忘れてた。原因となることが起こった時に既に結果も現れているという意味で作者は使っている。タイトルにある睡蓮では、花の中に既に実があるので、そこに原因&結果が同時にあるというわけ。それがどういう意味で、本作の筋と関わってくるかは読んでのお楽しみ。
ちょっと宗教について読みかじってみると、仏教やイスラム、ヒンドゥの良さが結構目につくと同時に、キリスト教の嫌な感じがまた新鮮で面白い。と思う最近。
では、また。
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