「砂の上のあなた」白石一文 新潮社 2010年
35歳主婦の美砂子。子供が欲しくて仕方がない。しかし夫の直志は昔と違って子供をそれほど欲しくなくなっているようだ。そんなとき、ある男が連絡してきて、亡くなった父が愛人に宛てた手紙を持っていると言う。それから美砂子の人生は大きく転がって行く・・・
いやいやいや。やはり白石一文。さすがである。面白くないわけがない。
俺たちは何をやっていても常にその瞬間瞬間に「俺が今こういうことをしている」「俺が今こういうことをしていた」「俺はさっきこういうことをしていたということを思い出している」と言った自覚を反復し続けます。そしてしばらくたつと少し前のことなんてすっかり忘れて、次の瞬間の複雑な行動に没頭し、また「俺は今こういうことをしている」と気づく。いいですか、美砂子さん。俺たち人間はそんなふうにして「俺」とか「私」とかを不変の指標としながら、絶えず新しい認識を繰り返し獲得し続けているんですよ(97頁より美砂子に手紙を見せた謎の男浩之の台詞より引用)
白石哲学(もしくは哲学的なモノ)については、「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」で長たらしく書いたので繰り返さない。同じ様に私の大好きな白石哲学が展開されている。白石商店大開店中である。
今回割とハッキリしたと思ったのは、白石のそれは西洋哲学とかキリスト教的じゃなくて、極めて仏教的な世界観なんだなということ。ネタバレしないように書かないけれど、ラスト近辺で人の縁が大きなテーマになってくる。まさかああなるとは。そうだ。鳥取砂丘へ行こう。
ストーリーも先が読めない。そういう意味ではとてもミステリー的文法に則った純文学である。
冒頭で、美砂子が付き合った高遠という男性はロンドン留学の際鬱病を患ってしまい、後に別れるとある。どんな風に別れたかは小出しにされ178頁になって、やっと別れ際の二人の会話が出てくる
「勃起したのは、美砂子と別れると決めて、少し心が軽くなったからだと思う。僕はそうやって大切なものをどんどん失いながら生きながらえる。誰にとっても価値のない、成長を止めた赤ん坊のようになっていくんだ。病気がよくなることもない。僕自身が、もう良くなるということがどういうことか忘れてしまった。行き先を見失った船は、永遠に広い海を漂流し続けるしかない。こうして正気でいられる時間が与えられているうちに美砂子と別れることが出来て本当に良かったと思っている」無言でなおいっそう強く高遠を抱きしめた。彼の言っていることが良く理解できた。「もう泣くことも忘れてしまったんだ」最後に高遠は言った(178頁より引用)
この箇所を読んで思わずため息をついてしまった。登場人物に感情移入するどころか、完全に自分が美砂子になってしまっていた。これが小説の力なのだろう。
この作品を10年前に読んでもたぶんそれほど楽しめなかったろう。やっと白石一文の作品は堪能できるぐらいに自分は大人になったようである。
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白石節炸裂の一冊でした。
途中から話が思わぬ方向に流れていき「えーーーっ!」の連続でした。
しっかし、登場人物の多さに私の頭の中はごちゃごちゃになっていきました。
高遠との別れが美砂子の人生に大きく影を落としていったように思います。
2人で過ごした最後の一夜は息もせず読んでいたような感じでした。
大切なものを失う(諦める)ことで生かされているなんて、二人に感情移入してしまって堪りませんでした。
私には再読の必要がありそうです。
徹夜して一気読みしてしまいましたが、もう一度じっくり味わってみたい一冊です。
先日、平成13年の「すぐそばの彼方」を再読してみました。
歳月を経て改めて感じるものがあり、白石作品を堪能しました。
ごぶさたです。
ミステリーだと思っていたのに純文学的な展開/オチなる作品てあまり面白くなかったりするんですが、
純文学的なものだろうと思っていたのに、ミステリー的に流れていって驚かせてくれる作品は好きです。
おっしゃる通り、高遠の事が彼女の人生に大きな影響をあたえたのでしょうね。
自分の周囲で「この人がもしいなくなったら自分の人生に大きな影を与える人がいるかな」なんて考えてしまいました。
○○賞をとったとか、ドラマや映画の原作になっただけじゃなくて、こういう作品も売れるといいなあなんて思ったりします。