苦しい人生を生きている者たちを描く短編集
金持ちの娘と結婚した。彼女は妊娠した。しかしおれは不倫している。不倫相手は少しアブナイ女だった。という<雨のなまえ> 呆けが始まったかも知れない義母と同居することになった<記録的短時間大雨情報> 自分は不細工なのに、大学時代に知り合ったすごい美人と結婚した。幸せな毎日だったはずの<雷放電> 高校の教師の男。クラスではいじめがある。かつて目の前で友だちが自殺していた<ゆきひら> 夫とは別居中。離婚届に判を押してくれない。PTAの活動が面倒くさい。小学校一年の息子は知らない間に他の家に入り浸っているらしい。シングルマザーの苦悩を描く<あたたかい雨の降水過程>
苦しさが痛いほど伝わって来たり、強烈などんでん返しやオチがあったり。全体として一貫したテーマがありそうでない。何の本だか説明の難しい本。面白いことは面白かった。
澱んだ水たまりのような女。巧い。他人事ではなく私も澱んだ水たまりのような男になっていないかとふと我を省みてしまった。
人間は慣れる生き物である。それはビックリするほど。いい事にも悪い事にも簡単に慣れる。だからこそ、なるべく自分が幸せに、長期的に見て幸せになれるような環境に自分の身を置きたいものである。
うーむ。考えさせられる。夫婦でも恋人でもそれ以外の人間関係においてでも、一緒にいると自分が大きくなるような関係もあるし、逆に縮こまってしまうような関係もある。必ずしも暴力をふるうような人やいつもニコニコしている人でなくても。どんな相手であっても大きくしてくれる人もいるだろうし、どんな相手でも委縮させる人もいるだろう。しかし相性の問題も大きい。結婚して子供を産んで、その後で相手は自分を小さくする人だと気づいたから、だから離婚してくれというのは確かに周囲に理解してもらうのは難しい。だったら、結婚する前に気づけよというのもたやすい。しかしなかなかそうもいかないのが人間なのだろう。少なくとも自分に関しては、後になってから重大な自分の心境の変化によって他人に迷惑をかけるより、なるべく事前に自分の心変わりの可能性を予期しておきたいとは思っているけれども。昔よりはそれができるようになっている。ような気がしているけれども幻想だろうか。
今日の一曲
大江千里の曲を秦基博がカバーした、「Rain」
ジャズを学ぶために日本でのキャリアを捨て、ニューヨークの学校に入った大江千里。大きな何かを得るためには、大きな何かを捨てる。男はこうでなくっちゃね。
では、また。
金持ちの娘と結婚した。彼女は妊娠した。しかしおれは不倫している。不倫相手は少しアブナイ女だった。という<雨のなまえ> 呆けが始まったかも知れない義母と同居することになった<記録的短時間大雨情報> 自分は不細工なのに、大学時代に知り合ったすごい美人と結婚した。幸せな毎日だったはずの<雷放電> 高校の教師の男。クラスではいじめがある。かつて目の前で友だちが自殺していた<ゆきひら> 夫とは別居中。離婚届に判を押してくれない。PTAの活動が面倒くさい。小学校一年の息子は知らない間に他の家に入り浸っているらしい。シングルマザーの苦悩を描く<あたたかい雨の降水過程>
苦しさが痛いほど伝わって来たり、強烈などんでん返しやオチがあったり。全体として一貫したテーマがありそうでない。何の本だか説明の難しい本。面白いことは面白かった。
「あなた…お義母さんのこういうくせ、知ってたじゃないの?」
夫は黙っている。二人で目もあわさず、テーブルのどこかを見つめている。この人に恋をしたことも確かにあった。二人の間に生まれた子供を二人で育てた。それほどの縁があった。それなのに、心は近づいては失望し、それでまた近づいて、離れていく。それでも同じ家に住み続けることの愚かさを抱え続けたまま、私は澱んだ水たまりのような女になってしまった。
夫は黙っている。二人で目もあわさず、テーブルのどこかを見つめている。この人に恋をしたことも確かにあった。二人の間に生まれた子供を二人で育てた。それほどの縁があった。それなのに、心は近づいては失望し、それでまた近づいて、離れていく。それでも同じ家に住み続けることの愚かさを抱え続けたまま、私は澱んだ水たまりのような女になってしまった。
澱んだ水たまりのような女。巧い。他人事ではなく私も澱んだ水たまりのような男になっていないかとふと我を省みてしまった。
東京にスコールのようなこんな雨が降っても、もう誰も驚かない。地球温暖化とか、ヒートアイランド現象が原因とか、そんなことはもう誰も言わない。
いつも間にか皆、慣れてしまった。
いつも間にか皆、慣れてしまった。
人間は慣れる生き物である。それはビックリするほど。いい事にも悪い事にも簡単に慣れる。だからこそ、なるべく自分が幸せに、長期的に見て幸せになれるような環境に自分の身を置きたいものである。
そんな理由じゃ離婚するのは難しい、と誰からも言われた。けれど、子どもが生まれて三年たって、初詣に行った帰り、この人とはもう暮らせない、とはっきり思った。安らぐ、とか、気持ちが落ち着く、とか、そんな気持ちを子供を産んでから持ったことがなかった。
その夜、夫に向かって、あなたと暮らしていると箱の中に入れられて、その箱がどんどん小さくなっていくような気がする、息苦しくてたまらないのだ。と、床に両手をついて、吐物をまき散らすように泣きわめいた。
その夜、夫に向かって、あなたと暮らしていると箱の中に入れられて、その箱がどんどん小さくなっていくような気がする、息苦しくてたまらないのだ。と、床に両手をついて、吐物をまき散らすように泣きわめいた。
うーむ。考えさせられる。夫婦でも恋人でもそれ以外の人間関係においてでも、一緒にいると自分が大きくなるような関係もあるし、逆に縮こまってしまうような関係もある。必ずしも暴力をふるうような人やいつもニコニコしている人でなくても。どんな相手であっても大きくしてくれる人もいるだろうし、どんな相手でも委縮させる人もいるだろう。しかし相性の問題も大きい。結婚して子供を産んで、その後で相手は自分を小さくする人だと気づいたから、だから離婚してくれというのは確かに周囲に理解してもらうのは難しい。だったら、結婚する前に気づけよというのもたやすい。しかしなかなかそうもいかないのが人間なのだろう。少なくとも自分に関しては、後になってから重大な自分の心境の変化によって他人に迷惑をかけるより、なるべく事前に自分の心変わりの可能性を予期しておきたいとは思っているけれども。昔よりはそれができるようになっている。ような気がしているけれども幻想だろうか。
今日の一曲
大江千里の曲を秦基博がカバーした、「Rain」
ジャズを学ぶために日本でのキャリアを捨て、ニューヨークの学校に入った大江千里。大きな何かを得るためには、大きな何かを捨てる。男はこうでなくっちゃね。
では、また。
本作は、2番目と最期の章がグサっと来ました。
男性が読むと、また違った視点や感想なのが、興味深いです^^
ところで、最後から2番目の恋は、私も大好きで、前回の放送の時も、今回も楽しく見ています。
最近、めっきりドラマは見なくなってしまったのですが、これだけは別です。
この前の回も、中井さんと小泉さんの最後のお酒を飲みながらの会話、凄く染みましたわー。
ロケ地、実は私も行った事があります。
残念ながら、cafeは定休日で閉まっていましたが・・・。
ドラマですが、先週のハマグリ焼きながらの中井貴一と小泉今日子二人の会話はまさに「親友」という感じでした。
内田有紀のひきこもりたくなる気持ちや、飯島直子の10万円という解決策など、見どころたくさんでした。
三ヶ月と言わず、一年じゅうずっとやっていて欲しいドラマです。
カフェの内装は、ドラマのものとは多少違います。