頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『船に乗れ!III 合奏協奏曲』藤谷治

2010-02-05 | books
「船に乗れ!III合奏協奏曲」藤谷治 ジャイブ 2009年(webマガジンブンゲイ・ビジュアルに連載、書き下ろし)

<81頁を読んでいたら、本の右半分をギュッと右手で強く握った掴んだ。まるで大切な人を守るために。まるで自分と大切な人を守っているようにずっと強く掴んだ。ずっと掴んでいたら、120頁に差し掛かった時に気づいた。私の目はずっと潤んでいたことを。鼻も湿気を帯びていた>

深夜2時ごろに読み終わったとき、こんなことを紙切れに書いていた。翌朝テーブルに置いてあるのに気がついたので、そのままアップしてみた。キモイのか美しいのかたぶん前者だろう。


藤谷治さん自身のプロフィールを見ると、洗足高校の音楽科を卒業しているのに、大学は日大芸術の映画。もし「船に乗れ!」が自身の記録に近いとすればいつか主人公サトルはチェロをやめてしまうということになるが・・・

いやいや。相変わらず内省的でなんとも形容できないほど良かった。読み終わったとき思わず今回記事の冒頭に挙げたようなことを思い、そして書いてしまった。思うのと書くのは少し違っていて、書くというのはそれをどこか残したいからであって、それだけ感じることが多かったからだ。ブログを書くということではなく、そこら辺にあった紙に手で書いたこと。捨てるであろう紙に書くのは記録として残るブログに書くのとはまた違う。

全3巻を読んであらためて、クラシック音楽の奥深さと、そこでもがいている若者あるいは若くない者たちがいることを感じる。クラシックという道具を使いながら、サトルの3年間は描かれたわけだが、クラシックを抜きにしてもリアルで明るくない青春ものとしてかなり高い評価をしたい傑作だ。

若い頃、特に中学・高校・大学というモラトリアム期間内に、直接稼ぐということと無関係な事にどれだけ懸命に血の小便が出るまでやり尽くしたかがその後の人生に大きく影響してくると、最近すごく思う。部活動でもバンドでも何でも。結果としてインターハイでは勝てなかったとかいうことは重要ではなく、自分の出せる力、自分の使える時間、エネルギーをもうこれ以上は出せないという全て使い切った明日のジョー状態になった経験があるかどうかということ。

あの子はやればできるのよとか、ボクはやればできるんだ、ではなくて、やったか、あるいはやっているか、ただそれだけだと思う。サトルが燃え尽きた三年は後の人生にポジティブな影響を与えるに違いない。そう信じて読んではいたが、未読の方は以下は読まないで欲しいややネタバレ的な引用をする。この本を決して読むことはないであろう人はむしろ以下の引用だけでも読んで欲しい。長くて恐縮。



 楽しみもあった。恋もした。けれどそんなときでさえ、僕は自分の人生を、基本的には間違いだと思っていた。こんなはずじゃなかった。電車の中で週刊誌を読み、サービス残業でくたくたになり、酒に飲んで支店長と肩を組んで歩き、日曜日に昼過ぎまで寝るような、こんな人間になるために、生まれてきたはずなかった。もっと別な、ましな人生があったはずだ。
 自己啓発とか自己開発とかいう言葉が、サラリーマンの間で流行したことがあった。そんな類のセミナーに、勧められて参加もした。得られたのはそれまでに倍する自己嫌悪と空しさだった。現状に不満なら、満足出来る方法を見つけて、それに向かって努力すればいいと、にこにこした人が言うのを僕は聞いた。努力?僕が努力で何かを得られる人間なら、今こんなところにいやしない。努力が実らないと思い知らされたところから、今の僕は始まったんだ!けれどそれが、どんな努力だったか、何を努力したのだったかは、できるだけ思い出さないようにした。そういうものだ、それが大人になるということだと、哀愁のため息をつきながら悟ったつもりになっていた僕は、驚いたことに、まだ未熟だった。人生にはその先があった。(中略)
 船はまだ揺れているのだ。(中略)
 時間が流れていった。だが今の僕は、時の経過はひたすら人生を衰退に向かわせると嘆くような、若々しし差を持っていない。と言って、人生はこれからだとか、生きてりゃいいこともあるぜとか、そんな軽薄を口走れるほど、すくすくとも生きてこなかった。僕は何も分かっていない。何も解決させていない。あの頃と何も変わっていない。それでいい。のろのろと、しかし絶え間なく、波に揺られながら、航行は今も続いている(233頁~237頁より引用)



なんでもかんでも前のめりに牽強付会気味(?)に自分に結び付けてしまうのは私の悪いクセだが、これを読んだときに、自分のことを描写しているとしか思えなくて背筋が冷たくなった。そして暖かくなった。


「船に乗れ!」というタイトルの意味がやっと分かった。この引用の少し前に書いてある。

船に乗ろう!みな船に乗ろう!俺も船に乗る!君たちも乗ろう!さあ!






part1 合奏と協奏のレビュー
part2 独奏のレビュー





船に乗れ!〈1〉合奏と協奏
藤谷 治
ジャイブ

このアイテムの詳細を見る

船に乗れ!(2) 独奏
藤谷 治
ジャイブ

このアイテムの詳細を見る

船に乗れ! (3)
藤谷 治
ジャイブ

このアイテムの詳細を見る
コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 不毛地帯観る人観ない人 | トップ | マハラジャの社長が歌ってい... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
凄い小説でした (木曽のあばら屋)
2010-02-05 17:51:54
こんにちは。はじめまして。
この小説には本当に心を揺すぶられました。
ここ数年に読んだ小説の中で一番かも。
なんというか・・・ホントに何なんでしょうこの小説は。

私もHPに感想を書きました。
作中で取り上げられた曲も、いくつか聴けるようにしてますので
よろしければご覧になってください。
    ↓
http://www.h2.dion.ne.jp/~kisohiro/fune.htm
揺さぶられましたね (ふる)
2010-02-06 16:15:21
★木曽のあばら屋さん、

たまにこんな小説にぶち当たるから、
小説読みはやめられません。
HP拝見しました。
曲については気になっていましたので、
聴くことが出来て良かったです。
「船底の隅をほじくれ」も良かったですね。
サトルがモテモテなことや南の行動など、
読んでしまった人だからこそまた楽しめました。

コメントを投稿