友人Yちゃんが言った。「ドラマの不毛地帯あるじゃん。あれ職場で観てる人ほとんどいないのよー。でもこないだの女子会でさー不毛地帯の話になったら、みんな観てるのよー。なんでだろうね?」
高校の仲良かった友達同士で随分前に女子会というのを結成して月一回だかなんだか知らないが持ち回りで幹事をやって毎回違う旨い店を食べ歩いているそうだ。女子じゃねえだろ?もう?などというツッコミは厳禁である。
彼女は「職場の方が平均年齢が低い→若い者は不毛地帯のようなドラマは観ない」と言っていた。正しいリアクションかどうか分からないが、私の反応は
「そりゃさー君の高校偏差値高いじゃないのさ。知的レベルの差じゃないの?」
とかなんとか言いながら巧みに彼女にゴマをする私。そのゴマすりの瞬間、彼女はone of 職場のメンバーであるということを忘れ、one of 偏差値高い高校の卒業生 であるということしか覚えていないのだから、嬉しそうな顔をする。それはそれでいいだろう。いいのか?いいだろう。
しかしである。ふむ。若い者たちは不毛地帯を観なくて、年寄りは観るのだろうか?たぶん違うような気がする。もし年寄りがやや小難しい物語を好むのなら、電車の中でポール・ケネディでも鶴屋南北でも円朝でもハックスリーでもマルクスでもなんでも読んでいるかと思うが、私が目撃した年寄りの書物は佐伯泰英ばかりである。だからと言って不毛地帯を観ていないとかなんとか言い切るのも難しいけれど。正直、想像と偏見でしかない。
でも、若い人は小難しい物語を避け、大人たちは小難しい物語を好む、ということは全然ないように思う。三つ子の魂百までと言うけれど、不毛地帯のようなドラマは観る人は中学生のときでも、70歳になっても観るし観ない人はずっと観ない、それだけのような気がする。だから不毛地帯の低視聴率は10年後に放送された場合でも10年前に放送された場合でも、変わらないように思う。天勉也さんが「昔も良くなかった」という名言を書かれていたが、もしかすると良いのは今も昔も良くて、良くないのは今も昔も良くない。良し悪しだけじゃなくて、壮大なのも、ショッパイのもいちびっとるのも今も昔も変わらないのかも知れない。NOT諸行無常 BUT千古不易
話は変わるけど、個人的な嗜好としては、推定73歳のじいちゃんが、ハンナ・アーレントの「人間の条件」だとか、「革命について」を読んでいたり、推定68歳のばあちゃんがシモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」を読んでいる姿を見たら胸がキュンとしてしまいそうである。年寄りにはそうあって欲しいと願う。
しかしですね、面白いですよ不毛地帯。私は好きでございます。私のような下賤な者が好きだというのもおかしいものですけれどもね。おほほ。では、ごきげんよう。
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