作家、黒川博行と言えば、建設コンサルタントとヤクザの凸凹コンビが活躍する傑作「疫病神」や、同じコンビが北朝鮮に潜入し、あろうことかあの人のことをパーマでぶと呼んでしまう「国境」あるいは、偽物古美術小説「文福茶釜」と扱っているテーマは様々なのに、常に読者を楽しませてくれる。
昨年出版された「悪果」(あっか) なかなか評判は悪くなかった。黒川博行ファンの一人として、期待を大にして読んでみると、
こりゃーたまらん。
大阪府警のマル暴担当の刑事が主役。彼の視線から語られる。最初は暴力団が仕切る賭博の摘発から始まる。黒川氏がどれだけ調べたのか分からないが、まるで元刑事が書いているかの如く、詳細に摘発に至る過程がこれでもかと目に飛び込んで来る。細かすぎてつまらないというようなことは全くなかった。いかに大阪府警あるいは暴力団担当の刑事が腐っているかが分かる。以前に北海道警の汚職が報じられたことがあったが、あれも氷山の一角に過ぎないのだろうとつい思ってしまう。
核になるストーリーは上記の賭博ともう一つある。主人公の刑事自身が大きく儲けるチャンスとなるシノギだ。学校法人が絡むというぐらいにしておいて、未読の方の興をそがないようにしておこう。このシノギの行方が「悪果」の後半のお楽しみとなる。意外なラストが待ち受けている。
閑話休題
悪人が主人公である小説や映画は、読む人を「悪人を応援してしまう」ような気分にさせる。読者の心が悪であることを必ずしも意味しているわけではない。本来、いい人である読者をつい「悪人を応援してしまうんだけど、どうしてだろう?」と思わせるのは明らかに作者の手腕に負うと思う。主人公が極悪非道であればあるほど、読者の応援の度合いが高くなればなるほど(感情移入の度合い)、それは作者の技量が高いことを意味するはずである。
映画やドラマはいい原作となる小説を血眼になって探しているようである。まあ映画化の話だけ先行して、いつまで経っても映画化しないことはよくある話だが。この「悪果」はぜひ連続ドラマで放送して欲しいと思う。また、「疫病神」コンビ、特に「国境」は映画にするとよいのではなかろうか。まあ「靖国」の上映中止問題なんてしょうもないことに揺れてしまうわけだから、無理かもしれないが。
映画やドラマとなると色々と差し障りがあるようである。しかし小説の世界では「こんなん書いてて大丈夫なんか?」と思うような作品が多いので、世間だのメディアだのお上だの圧力から自由な作品に触れたければやはり小説なんだろうか。
今日の教訓
大阪府警より、
大阪婦警に
捕まりたい。
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大阪のどっかで。
無実の罪で。
★kiriyaさん、
そうなんですよね。
主役が善であるとか悪であるということは
感情移入と直接関係ないんですよね。
「小説読みの心情」とは名言です。
大阪府警がダメなら
大阪父兄ならどうでしょう?(意味不明)
主役だったらついつい応援してしまう。
これが小説読みの心情。
わたしゃ、
婦警でもいやですが。
なにをして?