10ポンドと15ポンドしかボールが用意されていないボウリング場で、「どちらかの球を選んでください」と言われる。自分にとって投げやすい球は12ポンドなのだが、澄まし顔で「このどちらかで」と言われる。そんな社会である。強制の意思はない。だから、選ぶほうも素直にどちらかを選んでしまう。回答のバリエーションを諦めている「紋切型社会」。
確かに。そんな「紋切型社会」と象徴する言葉を20ほど並べて、それが使われるのがいやなんだよなと、ちょっと考えもしない方向からツッコミを入れてくれる本。著者がラジオにゲストで来ていて、面白そうなので読んでみた。
色んな所にツッコんでくれている。面白い。
「1/2成人式」を教育というより罰ゲームに位置付けられる企画だとしたり、五輪に期待することというアンケートで「国民に夢や目標を与える」という回答を国民が投じるシュールさに疑いを持てないのが寂しいとしたり、曽野綾子の「貧しさを知らないから豊かさが分からないのです」という論法を下品と言い、
日本とニッポンとJAPAN。日本(石原)とニッポン(猪瀬)とJAPAN(EXILE)とカッコで所属を続けてみると、そのそれにも所属したくなくなってしまう。どうすればいいのだろう。
確かに。他には、本来言葉には処方箋はないはずなのに、言葉に明確な役割を求めすぎだとしたり、置かれた場所で咲くために(自己を肯定するために)、差し出された情報は、韓国がいかに下劣な国か、中国はいかにいい加減なのかを煽るようなもなのだから、中国に対して親しみを感じないと答える人が多くなるに決まっているとする。
また自らの母校、成城大学と東大を並べて、東大の上から目線な物言いと、成城の温厚・従順な物言いを比較するのが面白い。成城の学長の式辞を「端的に、つまらない」とするのもなかなか。
こういう本は一見すると何の役に立つのかさっぱり分からない。いやいや、本に「役に立つ」などという下賤な目的を持って接してはいけないのだろう。
今日の一曲
ラジオで映画評論家町山智浩氏がビーチボーイズのブライアン・フィリップスの伝記映画を薦めていた。彼はアルバム「ペット・サウンズ」の製作をしている間に頭がおかしくなてしまい、それから20年引きこもり生活をすることになってしまった。その原因は父親にあった。父親は自分がミュージシャンになれなかったから子供を無理矢理にミュージシャンにし虐待を繰り返しながら、息子のデビュー後も版権を勝手に売ったりしていたそうだ。しかしブライアンが引きこもり状態だったときに一緒に暮らしていたのが精神科医。この精神科医も実はミュージシャンになれなかった男。ブライアンを薬漬けにして彼のお金を自由につかっていたそうだ…映画のタイトルは「ラブ&マーシー 終わらないメロディ」
本と無関係な曲。Beach Boysで"Good Vibrations"
では、また。
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