福祉亭日記

日々の出来事を更新していきます.

弁当屋

2017-09-19 05:52:24 | 日記
敬老の日のTVで、奄美の弁当屋さんの奮闘を放映していた。
高齢化する地域で、ご高齢者の食を下支えしている。
お一人、独居の高齢者が、低栄養から体重も減り、味覚も落ち、なかなか食が進まない。
お弁当を注文して、配達してもらっても、ほとんど口にできない。
口に合わない・・と。
お弁当を食べるそのかたの手元が、アップになる。
しょう油をどのおかずにもたっぷりかけて。
地域のお祭りにお弁当屋のお兄さんが、何度も誘い、やっと祭りも終わるような頃に出てみえて、焼きそばを花火をみながら一人食べておられた。

番組を観ながら、お弁当屋さんの役割というものが、ジブンの中で変化していくのを感じた。
レストランとか、惣菜屋さんとかに比べ、お弁当屋さんって、どこか軽くみていたような・・
福祉亭を始めた頃は、三角巾を頭に巻きエプロンしている姿を、ちょっと、恥ずかしく思ってもいた。
でも、作業のスタイルの大事さ・・を次第に理解するようになったし、喜んで頂けるものをお出しする努力と労力・・というものもわかってきた。
理解が進めば、世界観も変わる。
手だしせず、訳知り顔で料理を批判していたジブンがいたかもしれない。
たくさんの手で、複雑で、大変な工程を努力をするのが、食べ物の世界。
たかだか500円の定食であっても、それは、同じ。

番組のお弁当屋さんは、注文に応じて、配達もしていた。
早くお届けしたい・・と、小走りで。
もうそろそろ食材がなくなる頃に5つのお弁当の注文が入ると、残っている食材をながめ、足りないことがわかると、「いいよ。また、作るから・・」と取り掛かっておられた。
福祉亭の風景にも似る。

もちろん、それは、売り上げということもあるにちがいない。
でも、それ以上に、再度、また、食材を揃え、調理し直して、注文に応えていくことは、相当な努力。
朝からの仕事で、疲れてもいる。
やれやれ・・とした気持ちを立て直す必要もある。

今でも、福祉亭を説明する時、定食屋をやりたかったのではなく・・とか、
配食をやろうとしているわけでもないのです・・と言っている。
それに間違いはないけれど、この街の住民のみなさんに、まちの定食屋、弁当屋として位置づけられる福祉亭であっても、それは、それとして、まあ、よし・・とできなくては。
定食屋、弁当屋として、注文に応えていく姿は、福祉亭がめざす「支えあうまちづくり」ができるかどうか・・と、ほぼ同等の値打ち。
どちらが高くも、低くもない。









コメント
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