福祉亭日記

日々の出来事を更新していきます.

おしゃべり

2017-07-25 05:54:05 | 日記
アタマが、空っぽ。
暑さもある。
アタマを振っても、何が入っているのか、音もしないような・・

終いの作業も終え、一休み。
ふだんは、一人。
昨日は、訪問者。
よもやまばなし。
ムカシの、死までの時間。
一人の人が亡くなる・・それまでの時間の話しに。
もちろん、それぞれ、三人とも、家族が亡くなるまでの時間しか経験していない。
ムカシは、どんな時間が流れたんだろう・・というハナシに入っていく。
話しのきっかけは、お弁当の配達の帰り道、ふっと、お見かけした介護状態の男性の姿。
車椅子に乗って、無表情。
家族の手だけでは、とても支えきれるものではない。
見れば、そのことが、瞬時にわかる。

家族の死は、家族がそれぞれ自然なものとして受け止めていた時代があった。
食べられなくなれば、徐々に体力を落として、その時を迎える。
現代医学は、胃瘻という術を見つけ出し、点滴というものを見つけ出してきた。
人として生まれて、死ぬことの大変さ。
話しは、そこからさらに、お葬式のやりかたにも。

子ども時代、祖母につれられて出かけた親戚のお葬式。
土葬でした。
墓穴にゆっくり下ろされた棺。
その上に土をかける音の響き、シャベルで土をかける光景が、今も、記憶から消えないワタシ。

土地開発の仕事で、墓地を掘り返したご経験も語られる。
棺の中には、骨と髪が残っていた・・と。
命のはかなさと共に、数十年してもよみがえる光景を持ち続けることになった重みと痛み。

母が亡くなった時、リヤカーで棺が墓地に運ばれて・・と、語るもうお一人。
こんな流れの後に、お葬式の様々な様式や所作が生まれ、親族の悲しみや、苦しみを軽くする術を見つけ出してきたのが私たち・・ということでしょうか。











コメント
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