フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

熊本(2)球磨川・SLの旅

2013-10-15 11:25:44 | 日記

   前号(10/13投稿)の「再会の旅」を終えた3日目は予備日として帰りは遅いフライトを予約してあった。特に予定外のことも入らなかったので、熊本城と水前寺公園でも見て帰ろうと思い、ホテルを出て八代駅まで行ってみたら 、次の下り列車は「SL人吉」とあった。約1時間後の発車である。私が八代にいた時分にはこんな列車はなかったが、後で調べると2009年4月から蒸気機関車を復帰させ、臨時列車として土日祝日等に熊本―人吉間を走らせているのだそうだ。私はJR(旧国鉄)からSLが消えて以来、SLに乗ったことがないのでこれ幸いと思い終点の人吉までの切符を買った。

   SL列車は八代駅を起点とする肥薩線をずっと球磨川沿いに走って、城下町の人吉に至る。
   八代駅では7分停車、大勢の乗客がホームに降りて記念写真を撮っている。私も乗り込む前にSLをバックに写真を撮ってもらった。 

     

   列車は客車3両編成で全指定席。客席は床が木のフローリングのほか木をふんだんに使ったぬくもりのある内装である(写真左下)。1号車の先頭部分と3号車の最後部は展望ラウンジ(写真右下)になっていて、私は指定席を離れてほとんど最後部にいて180度の景観を楽しんでいた。

     

   列車はひたすら球磨川沿いを走る。傍らに国道も走っていて、私は2度ほど車で人吉に行ったことがある。球磨川はご存じのように、富士川、最上川と並び日本三大急流に数えられ、急流下りの川遊びが知られている。数年前に川下りの船が岩石に衝突して転覆し、死者を出した事故があったのをご記憶の方もあるかも知れない。
   この日は残念ながら川下りの船を撮ることができなかったので、パンフレットの写真を転用して雰囲気を感じていただきたい。

   
               上は遡るに連れて変わっていく球磨川の眺め  

         ←球磨川急流下りのパンフレットから


   SLと言えば、その吐き出す煙が魅力のポイントになっているが、車中ではそれは味わえない。写真下は最後部展望ラウンジから撮った煙で、左は球磨川沿いに煙を吐き出しながら進む光景、右はトンネルを抜けると充満していた煙がトンネルから溢れ出ているところである。

   


   列車は快速列車だが、途中停車駅では乗客が記念写真などを楽しめるように5~10分停車する。また沿線の見どころの車内アナウンスなどのサービスもあって旅行気分満点で終点人吉駅に着いた。
   写真左下は停車駅で乗客の記念写真に気楽に応じる運転手さん。右下は人吉にある国宝・青井阿蘇神社に参拝。

        

  

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熊本(1)再会の旅

2013-10-13 15:53:16 | 日記

   3日ほど熊本に行っていて昨夜帰京したところだが、熊本に滞在中ホテルのテレビを点けると我が住む三鷹で起きたストーカー殺人事件とその後起きた福岡の整形外科医院の火災事故のニュースで持ちきりであった。
   その話題はさておき、熊本に行ったのは2つの”再会”が目的であった。

   私の中国での教え子の一人が2年前から熊本・八代市のトマト農園で研修生として仕事をしているのだが、首都圏での研修生と違っておいそれとは会いに行けなかった。そんな折、会社時代に1年半勤務をした八代の工場のOB会が開催され、その案内を受けたので教え子との再会とOB会の出席を併せて出かけたものである。
   工場の協力も得て車を出してもらい、昼下がりに空港から直行してLさんの仕事場を訪ねたら、東京からわざわざ来るということで社長の配慮で半休をもらって待っていた。現在中国人研修生が13人いるそうだが、挨拶を交わした社長はLさんを高く買っていて嬉しかった。Lさんは3年研修の3年目、仕事は忙しく残業続きだそうだ。しかし日本が気に入って、帰国後また日本に来たいと言っていた。八代市およびその周辺はかつては日本一のイグサの産地、現在はトマト栽培が盛んな所である。訪ねた先は市街地から離れた一面のビニールハウス地帯で、宿舎もそのど真ん中にある社長さん宅の離れである。近くには遊ぶ所やショッピングを楽しむ所が全くない。若い人達には退屈なことこの上ないと思うのだが、中国人研修生はそう思っていないらしい。ともかく彼女を市街地に連れ出して私の”勝手知ったる”所を案内したり(写真下)、食事をして再会を楽しんだ。 

           


   一方の工場OB会はその翌日の晩。第7回目の総会になるのだが、東京に住んでいる私に案内が来たのは初めてのことであった。実は、私がこの工場に1年半ちょっといる時に丁度操業60周年の節目を迎え、事務方トップだった私はその記念行事として工場OB会の設立に携わった。歴史ある工場のOBは多士済済、役員の選考等の設立準備や総会開催には総務課長とともに苦労を経験した。私は在任期間が短く、またそれから16年も経っているのでそのことを覚えている人は多くない。それは別にして、会に出席した現役の工場管理職や退職OBからは非常に多くの挨拶を受けて嬉しかった。会は本社(東京)からの社長を始め250名ほどが出席して盛況(写真下)、私も懐かしい面々を見つけては席に赴いて言葉を交わし互いの健勝を祝したりした。

           ← 盛会のOB会に本社(東京)から社長が挨拶に立つ  

   工場勤務時代は宴会の後というと繁華街に繰り出して二次会、三次会・・・というのがお定まりのコースであったが、元社長らから声が掛かって会の前の昼に”プレ二次会”をやっており、一人で昔ひいきだった居酒屋に入ってそこの名物のふぐ汁と焼酎で締めをした。やはりOB会の流れで一人で来ていた面識のない隣席の人と言葉を交わしたところ、何と前出の教え子の研修先の社長と懇意だとのこと。世間は狭いものだ。

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今朝の新聞から

2013-10-09 11:49:55 | 新聞を読んで

   今朝の朝日新聞で、一面左に『高3女子、刺されて死亡』という記事が載った。私の住む三鷹市内での出来事である。
   昨日プールから帰宅の途中、暗くなった上空にヘリコプターが2機ほど飛んでいた。「何かあったか?」とは思ったが気に留めずにいたが、夜外出から帰った家内が開口一番「今日三鷹で殺人事件が起きた」と言うのだ。9時のテレビのニュースを見たら、トップで報じられた。場所は私の家から離れているものの、ボランティア活動で通いなれた町の一角である。新聞によると被害者は小さな時から女優を目指していた私立高校生で、当日の朝「ストーカー事件になるかもしれない」と警察署に相談に行っていたのだそうだ。 犯人は21歳の青年で、閑静な住宅街で実に物騒な事件が起きたものである。

   一面トップは『組員融資、歴代トップに報告』 『みずほ銀 検査の1年以上前 「役員まで」の説明覆す』の見出しで、暴力団組員への融資問題でのこれまでの説明がウソであったことを報じている。銀行トップにまで責任追及されないように、とウソを重ねて来たが覆い隠し切れず失態が暴露される形だ。みずほ銀行は富士、第一勘銀、興銀の大手3行が合併してできたメガバンクであるが、旧第一勧銀時代にも暴力団員絡みの問題で企業のコンプライアンス(法令順守)に著しい傷をつけた過去があるし、合併直後には銀行取引が一切出来ない重大なシステムトラブルを引き起こしており、各方面から「またしても」の深いため息が聞こえて来る。今度ばかりは金融庁からの鉄槌は免れないだろう。

   ちょっと変わったところで、やはり一面に『成人力調査、日本1位』 『読解・数的思考力トップ』という記事があった。OECD(経済協力開発機構)が先進24カ国で、「読解力」「数的思考力」「ITよる解決能力の3分野について16~65歳の成人力を調査した結果を発表したものという。
   それによると、「読解力」と「数的思考力」では日本が1位、「ITによる解決能力」では10位であったそうだ。「IT・・・」についても調査の選択の影響があって、文部省が精査してみるとやはり1位であったという。
   この結果についていろいろな見方や感想があり、文科省は我が意を得たりとばかり「日本の学校や教育機能の高さが反映されている」と鼻を高くしている。
   3分野のベスト5が新聞に載っているのでこれを見ると、日本以外は豪州が読解力4位に顔を出しているのを除いて全て北ヨーロッパ諸国なのである。フィンランド、スエーデン、オランダが3強、あとベルギー、ノルウェー、デンマークの名前が出て来るだけ。、私は日本と北ヨーロッパ諸国とはどんな共通点があるのかということに興味を持った。「移民の比率が少ない」ことを共通の要因として挙げた識者のコメントに「ほう、なるほど」と思ったりする。2000年に亘って基本的には民族の移動や受け入れのなかった日本民族の「均質性」が大きな要因なのか? 

   スポーツ面ではまたまたマー君こと楽天の田中将大投手。今シーズン最後の登板を24連勝無敗の記録更新で締めくくった。去年からの28連勝を含めて新記録ラッシュの快投である。今季は、リーグ優勝を決める胴上げ投手として1ニングだけ投げた試合を除き27試合に先発で登板、平均8イニング弱を投げた勘定である。「記録は塗り替えられるためにある」とよく言うが、投手寿命を尊重してピッチャーを起用する近代野球でこの鉄腕ぶりを越えることはもうないと私は思う。


[今日の花]

左=ノビル野蒜:ユリ科) 中=タマスダレ玉簾/球簾:ヒガンバナ科)  右=フジバカマ藤袴:キク科) 

  
              

左=オオアレチノギク大荒地野菊:キク科) 中=サルビア(シソ科サルビア属の総称)
右=フウセンカズラ風船蔓:ムクロジ科)

    
                 
 
 

 

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アーチェリーを観る

2013-10-07 22:34:46 | 日記

   東京国体観戦の話が続くが、今日はアーチェリーの試合を初めてこの目で観た。場所は前回観戦したソフトボールと同じ市内の総合グランドに設けられた特設会場である。3日間の日程の最終日で、少年男子、成年女子および成年男子の決勝戦。
   競技としては馴染みの薄かったアーチェリーも、「中年の星」と言われた山本博さんが個人種目で2度オリンピックのメダルを取って注目度が上がり、昨年のロンドン五輪では男子個人で銀、女子団体で銅メダルを獲得したことは記憶に新しい。私もそれがなければ、身近な所で試合があっても観ることはなかったであろう。まあミーハー的な観客ではある。
   テレビの映像では的までの距離感が分からなかったが、試合場を見てこんなに遠い的を射るのかとびっくりした。的の距離は70m、決勝戦ともなるとほとんど的の中心近くを射抜くのである。その技術の高さに驚いた。
   結果は青年男子が福岡県、成年女子は愛知県が優勝したが、愛知チームにはロンドン五輪メダリストの蟹江美貴選手が出場していた。山本博選手も東京チームで出場したが残念ながら予選で敗退した。

写真①:少年男子決勝の熱戦。試合は1チーム3人が2分以内に2射ずつ撃ち、それを4回戦。その合計点で争う 
同②:青年男子決勝戦。射手は中央右の人、左は次の射手。後ろからズームアップすると的(左側)は近く見える
同③:実は70mの的は遠いのだ。ただ写真は撮り様で違い、肉眼ではもう少し近い

    
                ①                        ②                      ③

写真④:ロンドン五輪の銅メダリスト蟹江美貴選手。やはり貫禄のようなものがある
同⑤:会場周囲に立ち並ぶ各県の旗。国体ムードが漂う

          
                          ④                           ⑤

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東京五輪にまつわる話題3つ

2013-10-04 19:09:10 | 時事トピックス

   「東洋の魔女」の中村昌江さんが亡くなった。中村さんというより、河西昌江さんという方が馴染み深い。1964年の前回東京オリンピックで日本国民を熱狂させた女子バレー金メダルの立役者のあの「カサイ」さんである。”鬼の大松”と呼ばれた故大松博文監督の厳しい練習で鍛えられ「東洋の魔女」と言われた全日本のキャプテンを務めてチームをまとめ上げた姿は我々世代の脳裏に50年経った今も焼き付いている。日本中の注目を浴びた決勝戦でソ連を破った瞬間、泣き崩れる選手たちの中で「主将は涙なんか流してはいけない」と言って涙をこらえた・・・昨日の朝日新聞にはそんな逸話が載っていた。五輪の翌年に結婚後は家庭婦人のバレーボール普及に尽くした80歳の人生だったという。ご冥福をお祈りする。

   
   ベルギーのアントワープで開かれていた体操の世界選手権で、男子総合はエースの内村航平選手が前人未到の4連覇の偉業を達成し、20歳の加藤凌平選手が2位というワンツーフィニッシュで幕を閉じた。内村選手の世界での無敵ぶりは改めてすごいと思う。
   ところでこの大会では、初出場の17歳白井健三選手の超難度の新技が注目されていた。何回聞いても覚えられないし、映像を見ても分かりにくい回転やひねりが入った大技なのだが、(公認競技会で)初めて新技成功と認定されるとその選手の名前が付けられるのだという。床運動と跳馬の2種目で新技を完成した白井選手がこの大会で「シライ」という技に認定されるか注目されていたのだが、17歳という少年は檜舞台で堂々と新技をやってのけた。そして床運動で「シライ」、跳馬では韓国選手との連名での「シライ/キム」という新技が認定された。
   日本選手の新技で名高いのが塚原光男選手が1972年のミュンヘン五輪の鉄棒で見せたフィニッシュの「ムーンサルト(月面宙返り)」であろうか。この技の名前は正式には「ツカハラ」と言うのだそうだ。そのほかにも日本人選手の名前が付けられた技は幾つかあるようだが、私には前回東京五輪の時の「ヤマシタ跳び」と言うのが懐かしい。跳馬のスペシャリストであった山下(のち松田)治広選手が編み出した跳び方で、オリンピックの時にはさらにひねりを加えた「新ヤマシタ跳び」で種目優勝を果たしている。  


   私は真夏の開催になる2020年東京五輪の気候について憂えておりブログにも綴ったが、今日の朝日新聞にもそういう記事が載っていた。その見出しには「暑いぞ 東京五輪」「7月24日~8月9日 今夏は大半真夏日」「運動には過酷な環境」などとあった。私の綴ったことが書かれているが、私の懸念はこれだけではない。今夏は「予想もつかない」ゲリラ雨や「経験したことがない」豪雨や竜巻被害に見舞われたが、今年が特別の夏だったとは思えない。むしろ地球温暖化が少しでも進めば、このリスクはますます大きくなるのではないかと、というのが私の心配するところなのだ。
   しかし、もう2020年の東京開催は决定されてしまった。科学や技術の進歩でどれほどリスクを小さくできるのであろうか、私には分からない。

[今日の花]

   私が児童の安全見守りのボランティアを務める小学校のキンモクセイ金木犀:モクセイ科)が咲き出した(写真左)。ところが、それから15メートルと離れていないサルスベリ百日紅:)がまだ花盛りを保っていて、ちょっと異様。

    
          咲き始めたキンモクセイ           まだ花盛りを保っているサルスベリ


   
    こちらはご存じマリーゴールド(キク科:上左・中)とランタナ(右:クマツヅラ科)

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