フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

熊本(1)再会の旅

2013-10-13 15:53:16 | 日記

   3日ほど熊本に行っていて昨夜帰京したところだが、熊本に滞在中ホテルのテレビを点けると我が住む三鷹で起きたストーカー殺人事件とその後起きた福岡の整形外科医院の火災事故のニュースで持ちきりであった。
   その話題はさておき、熊本に行ったのは2つの”再会”が目的であった。

   私の中国での教え子の一人が2年前から熊本・八代市のトマト農園で研修生として仕事をしているのだが、首都圏での研修生と違っておいそれとは会いに行けなかった。そんな折、会社時代に1年半勤務をした八代の工場のOB会が開催され、その案内を受けたので教え子との再会とOB会の出席を併せて出かけたものである。
   工場の協力も得て車を出してもらい、昼下がりに空港から直行してLさんの仕事場を訪ねたら、東京からわざわざ来るということで社長の配慮で半休をもらって待っていた。現在中国人研修生が13人いるそうだが、挨拶を交わした社長はLさんを高く買っていて嬉しかった。Lさんは3年研修の3年目、仕事は忙しく残業続きだそうだ。しかし日本が気に入って、帰国後また日本に来たいと言っていた。八代市およびその周辺はかつては日本一のイグサの産地、現在はトマト栽培が盛んな所である。訪ねた先は市街地から離れた一面のビニールハウス地帯で、宿舎もそのど真ん中にある社長さん宅の離れである。近くには遊ぶ所やショッピングを楽しむ所が全くない。若い人達には退屈なことこの上ないと思うのだが、中国人研修生はそう思っていないらしい。ともかく彼女を市街地に連れ出して私の”勝手知ったる”所を案内したり(写真下)、食事をして再会を楽しんだ。 

           


   一方の工場OB会はその翌日の晩。第7回目の総会になるのだが、東京に住んでいる私に案内が来たのは初めてのことであった。実は、私がこの工場に1年半ちょっといる時に丁度操業60周年の節目を迎え、事務方トップだった私はその記念行事として工場OB会の設立に携わった。歴史ある工場のOBは多士済済、役員の選考等の設立準備や総会開催には総務課長とともに苦労を経験した。私は在任期間が短く、またそれから16年も経っているのでそのことを覚えている人は多くない。それは別にして、会に出席した現役の工場管理職や退職OBからは非常に多くの挨拶を受けて嬉しかった。会は本社(東京)からの社長を始め250名ほどが出席して盛況(写真下)、私も懐かしい面々を見つけては席に赴いて言葉を交わし互いの健勝を祝したりした。

           ← 盛会のOB会に本社(東京)から社長が挨拶に立つ  

   工場勤務時代は宴会の後というと繁華街に繰り出して二次会、三次会・・・というのがお定まりのコースであったが、元社長らから声が掛かって会の前の昼に”プレ二次会”をやっており、一人で昔ひいきだった居酒屋に入ってそこの名物のふぐ汁と焼酎で締めをした。やはりOB会の流れで一人で来ていた面識のない隣席の人と言葉を交わしたところ、何と前出の教え子の研修先の社長と懇意だとのこと。世間は狭いものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする