フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

日大アメフト監督の辞任表明だが・・/52年ぶりに初のクラス会

2018-05-20 08:14:29 | 日記

   マスコミ等から轟々の非難を浴びている日大アメフトの卑劣な反則プレー。その非難の的の中心となっている内田監督が”事件”に対して口を開かず、外野ばかりが騒ぎ立てていたがようやく昨日(19日)、「自分の責任」として相手チームの関学大の選手への謝罪と自らの辞任を表明した。だが、報道陣の質問に対するコメントは、これまでの傲慢とも思える沈黙への不信を払拭するような内容ではなかった。「反則選手への指示があったのか」等については相変わらず口を閉ざしている。一方チームの方は関東大学リーグの加盟チームから完全に危険視扱いされて、交流戦の拒否が続いたし合同練習もキャンセルされている。日大チームは内部外部ともにズタズタの状態である。アメリカンフットボール界の名門日大の汚名とアメフト競技のダーティーなイメージを晴らすには時間がかかりそうである。


   母校の大学は入学後2年間は全員教養学部に所属し、一般教養主体の教育を受ける。クラスの方は理科系と文科系及び選択した第二外国語によって編成されるが、3年次からは専攻の学部・学科に進級するので卒業後のクラス仲間意識が極めて薄い。卒業時の学部・学科のクラス会は大概開かれているが、教養時代のクラス会というのはほとんど聞かない。私の所属したクラスについても同様で、私自身52人のクラスメートの内でいまだに親交があるのは2人だけである。2年前だかに、北海道で勤務医をしているクラスメートが上京するのに合わせてその2人を含めて6人が集まったことがあって、それを機にクラス会開催の話が持ち上がったことがあったが、その後沙汰やみになっていた。
   そこで今年こそはと意を決し、5月にある大学祭に集まることを目標にしてクラスメートの消息を手繰って行った。それぞれも仲間の消息に乏しく、蜘蛛の糸を一本々々手繰るような感じであったが、昨日の大学祭までに21人のメールアドレスが分かり、大学祭を覗いた後近くの中華料理屋で13人のクラス会を開くに至った。クラス解散後52年、それ以来初めて再会した面々が多く、懐かしく大いに盛り上がった。席上「あいつは今どうしているの?」の声もあり、さらにメンバーを増やしてまた開きたいところである。

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