今日は「終戦の日」。8月6日の「広島 原爆の日」から始まり、9日の「長崎 原爆の日」そして15日の「終戦の日」と続くこの期間は第二次世界大戦の惨禍を2度と繰り返すまいと、国民挙げて”大戦の総括”をして来た。
私は昭和19年8月、つまり終戦の1年前に生まれたので、勿論戦時中のことや終戦直後のことは知らない。母は、空襲警報が鳴ると警察官をしていた父が家を飛び出していくので、乳飲み子の私を粗末な防空壕の中に置いて自分は畳の上で死んだ方がマシだと家の中で空襲をやり過ごした、と言うくらいであった。
一方父は全く戦争について子供(兄弟4人)に話したことがない。母から聞いた話では、警察官をしていたが兵役に志願して満州に出兵、背後から敵に撃たれて貫通創を負ったものの一命を取り止め、国内の警察官の警備が手薄になったので国内警備に戻されたという。家のアルバムに勲章をいっぱい着けた軍服姿の父と母の親子3人での記念写真があった。荒涼たる満州の光景や壕から身を乗り出して銃撃をしている日本兵の写真とか、満州の女優さんらしいブロマイドなども一緒に貼ってあった。また、小さいころから無鉄砲だったという父の次弟は特攻隊に志願し、太平洋上で撃ち落とされて豪州軍の捕虜となったものの、日本では考えられない厚遇を受けて終戦を迎えたそうだ。
結局、両親や祖父母・叔父叔母、年長の従兄など身内親戚で戦争死者は一人もおらず、生々しい戦争の話は知らないのである。
猛暑が続いている。安倍首相も人の子、この暑さの中で長い夏休みを取っているようだ。新型コロナ対策や経済再興等休んでいる暇はないという野党からの国会召集要求にも拘わらず、だんまり休みを決め込んでいる。せっかく批判の多かったアベノマスクを諦めて人並みのサイズのマスクに換えたというのに。先の広島と長崎の 原爆の日における首相メッセージはほとんどコピペ(丸写し)との嘲笑を浴びるところには健在感を示した。
一方の野党側の方は、立憲民主党と国民民主党の両民主党の再編成が熱を帯びている。またまたここでも小沢某氏が政界再編の目になっているようだ。どうか、安倍独裁政権の独走だけは止められる勢力になって欲しいと願うものである。