昨日千秋楽の大相撲7月場所は幕内に復帰したばかりの照ノ富士が優勝した。場所は新型コロナ感染の状況から名古屋を国技館に変更、例年より一週間遅らせたり観客数を限定したりの条件下で開催された。
今場所の見所の一番は新大関朝乃山の活躍だったろうか。正攻法の力強い取り口で横綱への道が期待されており、常勝白鵬の牙城を崩すかと注目された。その両者が9日目まで無敗で並走して場所は盛り上がっていたが、一方で幕尻の照ノ富士が力強い相撲で復活が本物であることをファンの目に焼き付けていた。
5年前に照ノ富士が関脇で優勝して大関に昇進した時は、スケールの大きなパワー相撲でものの数場所で横綱まで上り詰めるのではと思われた。しかしその後大きなケガに見舞われてほとんど相撲が取れず、大関を陥落して一気に序二段にまで番付を落とした。2年前からはNHKの大相撲中継からその姿を消した。元大関としての名を汚すため普通は引退に追い込まれるが、師匠がそれを押しとどめて復帰を待ったとのことだ。4場所連続休場で「ふんどし担ぎ」とも呼ばれるような序二段に落ちた昨年の春場所で優勝して以来、まだ十分とは言えない体調回復の中ではあるが圧倒的な星を残して再上昇。とうとう幕内に復帰した場所で堂々の優勝を果たした。今場所の優勝はラッキーな面もあったろうが、これから大関復帰はもとよりまた横綱を狙える存在になるのではなかろうか。とにかく照ノ富士の復活劇には感動した。
朝日新聞で連載を始めた夏の甲子園の歴史を振り返る連載「あの夏 ベストセレクション」。
その第2回の今日(3日)は『雨中の怪物 最高の一球』の見出しで、第55回大会の作新学院対銚子商業戦の模様が載った。高校野球界で既に「怪物」の名をほしいままにしていた作新学院の3年、江川卓投手が雨の中の延長12回裏に押し出しのフォアボールでサヨナラ負けし甲子園を去った。その試合およびそこに至る模様を描いたものであるが、私は江川投手を高校野球史上最高の”怪物”として仰ぎ見て来た。「仰ぎ見て」と言っても私は高校球児だったわけでないし、中学生以前の高校野球については伝説でしか知らない。
”伝説”や”伝聞”では終戦前の沢村栄治(京都商)や嶋清一(海草中)、野口二郎(中京商)などの名前はよく知っているが、生まれる前の選手であるし、戦後でも板東英二(徳島商)、平古場昭二(浪商)なども活躍の時期のことは知らない。記憶に残るのは王貞治(早稲田実)、尾崎行雄(浪商)くらいからであり、その後平松政次(岡山東)、柴田勲(法政二)、八木沢壮六(作新学院)などのヒーローが続いた。
そして夏の決勝戦引き分け再試合で大フィーバーとなった大田幸司(三沢)や愛甲猛(横浜)、荒木大輔(早稲田実)などアイドル的ヒーローが相次いで誕生。桑田真澄(PL学園)、水野雄仁(池田)、田中将大(駒大苫小牧)と斎藤佑樹(早稲田実)、ダルビッシュ有(東北)、菊池雄星(花巻東)そして大谷翔平(花巻東)へと連なって行くのだが、戦争前後の大投手は別にしてこうした錚々たるヒーロー達の中で、私は「怪物」ナンバー1に江川卓を挙げるのである。
私がまだ若いころ、職場内ではよく高校野球のトトカルチョを楽しんだ。それで一番強く記憶に残っているのが、その日の試合での江川投手の奪三振数を当てる賭けだ。9回で試合が終れば私の予想が当たって総取りだったのだが、同点延長になってしまい”当り”が変わってしまった。その思い出はともかくとして、とにかく江川投手の快投に酔いしれた高校野球であった。