A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

行き止まり。

2009-08-07 21:28:55 | 居合
検定の勉強の方を優先させてたので、久しぶりの金曜の稽古でした。
で。


最近稽古をしていても全く充実感がない。
理由はいくつか。

一つは先に見通しが全く見えないことに起因する徒労感。
ここでもたびたび書いてきたことだが、ここ数年斬り下ろしがまったく上達しない。
本心を包み隠さず言ってしまえば、自分がここから先に進めるとは全く思えない。
先生方から数年間に渡ってまったく同じ指摘を受け、(あくまでも主観で)努力をしているつもりなのに掴めるものがない。
上達できない、というよりはむしろ、自分には上達できるだけの適切な努力ができない、というべきか。
これに付随する形で、今やっている稽古はただのポーズではないかというほぼ確信に近い疑問。
周りに対して「上達はしてないけど努力はしてますよ」と言い訳するためのポーズ。
暴論を承知で言うが、努力すること自体はなんら特別な行為ではないし、それだけで他者から賞賛されるようなことでもない。
なぜなら、目標があるなら努力することは当然だからだ。
そして、努力の価値は結果で裏づけされる。努力それ自体を価値づけすることはできない。
結果が全てで、目標に対する努力=過程は完全無視とは言わないが、過程で結果は絶対に覆らない。
がんばって勉強したからテストの点数を上げてくれ、なんていうのが通用するはずはない。
そして、ものごとの価値というのはたいていの場合、過程ではなく結果だ。
望ましい結果を導き出せなかった努力は徒労でしかない。
二流と一流を分けるのは、妥当な努力ができるかどうかだ。
そして、今の自分は妥当な努力ができていない。
どの時点で努力が結果を導き出せなかったと結論付けるのか、5年後、10年後、ふとしたことから掴むものがあるかもしれないではないかという反論もあろうが、結果が必要なのは今この瞬間だ。
また、そうやって試行錯誤することが修行そのものだという向きもあろう。
それには全く同意する。が、同時に同意しない。
では、いつまでも永久に同じところをぐるぐる回って、それを修行だと正当化していろというのか。
納期のない仕事はただの遊びだ。

そしてもう一つ。
居合いをする動機付け。
居合いをするのは当然、それがしたいからだ。好きでなければ10年以上も続くものか。
しかし最近、それが変わってきている。
上達したい、ではなく、上達しなければ先生方に申し訳が立たないという気持ちが前面に出てきている。
つまり、自発的な内的動機付けではなく間接的な外的動機付けで居合いをやっている。
要するに今の自分は、他人のために居合いをやっている。
道場の先生方には当然感謝しているし、その恩義には報いたいと思う。
しかし、先生方のために居合いをやっているのかと問われれば、答えは明確にNOだ。
居合いをするのは自分がそうしたいからだ。それ以外に理由はないし、必要ない。
恐らく、「自分のために」と「先生方のために」という気持ちは表裏一体で常に等量あって、今は技が上達しないという状況に関連して後者が表面に出てきているのだろう。
そう思うと同時に、自発的動機付けが外因的動機付けにレベルダウンしたとも思う。
こういった動機付けはもちろん不動のものではなく、状況によって浮き沈みするものだろう。だが動機付けの部分の浮き沈みは致命的だ。
それに、自発的に居合いをしている自分に対して(極めて珍しいことだが)僅かに誇りを持っていた。そこが揺らぐというのは大きなダメージだ。

もう一つ。
道場の人にこのことについて少しだけとはいえ愚痴ってしまった。
これは一概に悪いこととは思っていない。
自分は本心をなかなか話さない。なので新しい環境とそれに伴う人間関係に溶け込めるまで長い時間がかかる。
そういう自分が他者に対して愚痴という形であれ本心のほんの一部を吐露できたというのは進歩ととっていいだろう。
しかし同時にこのことは、自分の技が上達しないことに対して周りに対して被害者ヅラをしてしまったことを意味する。
技が上達しない原因はどこにあるかというと、それは当然自分自身だ。
それをあたかも、他に理由があってそのせいで自分は上達できないんだと愚痴ってしまった。
当然の反応ではある。
人間が何らかの回避不能なトラブルに直面したとき、まずその原因を自分以外の何かに求めようとする。原因は明らかに自分にあると分かっていてもだ。
そして、あたかも自分が被害者でもあるかのように振舞う。
そういうことをした自分が許せない。
こういうことを胆の中に飲み下すこともできないくせにプライドだけが無駄に高いものだからこんな風に思うのだろう。

最近どうにも居合いの稽古に行くとかならず憂鬱になる。
正直なところ道場に行くのも辛い。
でも行く。
その理由は自分の弱さを克服したいとか、そういうお綺麗なものじゃなく、そうしないと唯一の取り柄をなくしてしまうから。
情けない話だ。
コメント
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