ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

好き嫌い

2014年08月17日 20時50分18秒 | 生活

司馬遼太郎の魚嫌いは有名だ。

36歳のころに書いたエッセイで
彼はこう言っている。

「牛やブタ肉と異なり、皿の上の魚の死ガイは
生前そのもののカタチをとどめている。
その死ガイをハシで毀損し、皮をはぎ、
骨を露出させていく作業を、
もし私の隣席の女性がやっているとしたら、
彼女が美人であればあるほど、
ぶきみな夜叉にみえてくる」と。

doironも子どもの頃は魚が嫌いだった。

なぜ嫌いだったかというと、
言葉にすれば氏と同じような心境だったような気がする。

とりわけ、あの蛇のようにニョロニョロ長い
ウナギのあのあばら骨のようなものが浮き出た姿には
恐怖感さえ覚えていた記憶がある。

ところが、歳を重ねるにつれ、
そういう感情はどんどん薄れていき、
今や肉か魚かと問われれば、
迷わず魚と答えるほど
魚好きと言っても過言ではない。
もちろんウナギも平気で食べれるようになった。

人間、歳をとると好き嫌いはなくなってくるものだ
ということを身を持って実感しているわけだ。

そんな食品は他にもある。

ホルモン肉もそうだ。
あまりに見た目が生々しくて食えなかったものが、
doironのオープンウォータートライアスロンの
デビュー戦となった、琵琶湖トライアスロン駅伝に
キャンプで行ったときに、
仲間とワイワイ言いながらやったBBQで、
思い切って食べてみて以来、
ホルモンの大ファンとなった。

思えば、それが今になって
痛風につながっているということになる。
いわば、尿酸蓄積の原体験だったのかもしれない。

そして、最近は劇的変化というわけではなく、
なんとなく平気に食べられるようになったのが

「納豆」だ。

ガンガン走っていた頃、
朝食には納豆がいいんだと、
当時の一流選手たちはよく語っていた。

そうか、納豆を食えばもっと早く走れるようになるのか
と思い、鼻をつまんで食べようと
何度か試みたもののどうしても好きになれず、
挙句に
「あんな豆の腐ったものを食べるやつの気がしれん」
などと放言していた。

それが、ある時、エイで仲間に勧められ
気が進まないまま食べた時に、
自分でも驚くほど素直に食べることができたのだ。

きっと楽しい雰囲気がそうさせたのだろう。

その証拠に、以来「エイ」でだけ
納豆が食べられるという、
変な食癖がついてしまっていた。

相変わらず、他では納豆を食べられず、
お寿司を買ってきても、
納豆巻きの左右前後の寿司は
避けて食べていたほどである。

ところが、先日スーパーで
ミセスと買物をしている時に、
何気に納豆に手が伸びたのだ。

エイで食べられるのだから、
家で食べられないはずはない、と。

横で楽しくしゃべってくれたら
食べられるから、
面白い話のネタを仕込んでてな
といいつつ、買ってみることにした。

doironの変な要求に首をかしげつつ
3個ワンパックのものを買っていただき、
早速その夜に食べてみることにした。



「あのなあ、納豆菌は笑いたがりやから、
おもろいこと言うてな」とミセスに言うと

「その話自体がおもろいわ」と返された。

で、結局、なんの違和感もなくするすると、
いやズルズルと納豆は自然に
doironのお腹に入っていった。

気を良くして
「よーし、こうなったら次は納豆づくりに挑戦してみるか」
というと
「なにもそこに目標を持って行かなくても・・・」
とミセスはあきれ顔であった。

生まれてから58年目の出来事でした。

まあ、もう走るのが早くなることは
全く望まなくなった今、
ちょっと遅い納豆への目覚めでありました。

こうして次々と、食痴を克服してきたdoironなのだが、
魚嫌いの司馬遼太郎が
晩年魚を好んで食べるようになったという話は、
寡聞にして知らない。

先日行った彼の記念館で
取材してみたかったのだが
俳句大会でごった返していたのが
かえすがえすも残念だ。