ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

親父の写真

2014年08月13日 21時16分38秒 | 写真

義父さんの遺品整理をきっかけに始めた
親父の写真整理であったが、
これが長い時間の壁をとっぱらって、
ことのほか楽しい時間となった。

あ、断っておくけど親父は入院しているだけで
存命でありますから。

小さな会社の社員だった親父と、
家でガラス細工や毛布の起毛、
ミシンの仕事などの内職をしながら
頑張っていたおふくろの生活は
決して楽なものじゃなかった。

なので、貧乏な我が家に
その昔カメラがあったわけでもなく、
残っている写真の枚数はたかがしれている。

今なら一度旅行をすれば
写せるくらいの枚数しか残っていない。

そこには、今の自分よりも若い昔の両親の姿や、
その横で嬉しそうにしている
子供の頃の自分の姿、昔の祭りの様子などが写っていた。

もちろんその時に撮ってもらっていた記憶なんかは全くない。

そんな中で、目に留まった写真が何枚かあった。
まず昔の村の様子が写っている写真が数枚。



そして家の様子も数枚写っていた。

今でも時々昔の家に住んでいる夢を見ることがあるくらいで、
これはとても懐かしかったな。

もう今はないけど、
ずっと昔は家の前に小川が流れていて、
そこに架かっていた我が家専用の橋が
チラッと写っているのは感動ものだったな。



赤い矢印が橋

自分にとっては、記憶の片隅に
ほのかにしか残っていない記憶だから、
奇跡の一枚ともいうべき一枚だった。

そして別の1枚には
昔の村のだんじりが写ってた。



だんじりは変わったけど、
祭はあの頃と変わらず、毎年行われているんだと
あらためて実感した。





上の写真が昔のだんじりの屋根に乗るdoiron
下の写真が今のだんじりの屋根に乗るdoiron

そしてもう一枚。
これは、かなり古くて茶色に変色していたが、
裏に書かれてある記述をようく読むと、
どうやらdoironの祖父が写っているようだった。

doironが生まれた時にはとっくに他界していた祖父の姿と、
恥ずかしながらこの歳になって初めて対面したことになる。

迷わずスキャナで取り込んで
データ化することにした。

祖父に関しては残っているエピソードも
ほんのわずかなのだ。
だからなんとも貴重な一枚となったのがこれ。





向かって右端が、祖父「富三」です。

やはりその部分はどうしても指で触れたりするので
擦り切れていたため
画像ソフトで復元を試みてみた。

それがこれ



う~ん、なかなか修正は難しい。
橿原考古学研究所にでも
依頼してみますかね~

ともかくdoironが「生まれたときには
とっくに他界していた祖父とは
始めまして~のひとときであった。

他にも、親父が若い時に行った山の写真が10枚ほど残っている。
山容から大体どこの山か想像がつくのだが、
これも裏面に言葉が殴り書きされている。

大台ケ原、



多岐アルプス、



倶留尊周辺



などの写真に加えて、
驚いたのが、昨年首Dさんや
ジム友と出かけたお菊山の写真まであった。



さすがにdoironの親だけあって
よく似たところに出かけているものだ。

観光地の写真は、
神社などで写したものが多い。

半世紀は経っているだろうが、
こういうところはほとんど変わっていないんだろうね。

場所がわかるところなんかには、
あらためて写真を持って出かけてみて、
昔と見比べてみるのも楽しいかもしれない。

そういう意味ではdoironの子孫には
楽しみをいっぱい残してあげている
と言えるだろう。

白黒写真や名刺サイズの写真なども残っていたし、
消えそうになっている写真もあった。

ひととき、親父の人生にこってり触れた写真整理だった。