ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

福島な野田 3

2014年08月21日 21時37分32秒 | ウォーキング

あ~あ、折角暑い中歩きに来たのになあ、
やんでくれないかなあと思いつつ
野田駅のガード下で雨宿りをした。

おあつらえ向きにたこ焼き屋さんもあったので、
たこ焼きでビールでも飲みながら待つか
とも思ったのですが、
店の前に置かれたベンチやテーブルも
水浸しだったのでここは我慢。

それでもなかなかやみそうにないので、
仕方なく梅田に出て梅ブラをして帰ることにした。

それぞれミセスと自由時間を分担しているので、
ゲットした時間は有効に使おうということだ。

ところがお決まりコースの
紀伊国屋、好日山荘と渡り歩いているうちに
やがて雨も上がってきた。

空の雲もあらけて
ところどころに青空も顔をのぞかせている。

時刻はまだ二時半を少し回ったところだったので、
よーしもう一度歩いてみよう
と福島駅に向かうことにした。

想定していたコースの
野田→福島を逆に歩くことになる。

駅に降り立ち、頭に一旦インストールした地図を
ぐるぐると回転させながらボチボチと歩き始めた。



駅からすぐのところに、こんな道標が建てられてある。



「駅から徒歩10秒、南向き」

ではなく、
淀川よりこちらが梅田街道、
向こう側が大和田街道となって、
この二つの街道はつながっていることを表す道標だ。



先に恵美須神社でみた道標は
まさしくこの道への合流を案内していたのだ。

西国往来の人々や大阪商人の扱う物資などの
重要な経路だったそうだ。



ここからはしばらく商店街の中を歩く。
この商店街、名前は聖天通商店街というのだが、
入り口あたりにある占いの館が特徴的であるため、
それを売りにして

「売れても占い商店街」



と名付けているコテコテ度はさすがに大阪らしいネーミングである。

と、ここで気がつくべきだったのだが、
後で見るとどうもこのあたり写真の写りが悪くなっている。

先ほど、濡れた体を拭いて
湿ったタオルと一緒に収納していた
カメラのレンズが曇っていたことに
まだ気づかないでいたのだ。

商店街を抜け、



すこし横道にそれたところにあるのが、

「福島聖天了徳院」。



境内にある池には、
このあたりが湿地だった頃の名残である
かきつばた園が残っている。

あの芭蕉が

「かきつばた 語るも旅の ひとつ哉」

と詠んだ名所だったそうだ。

そのかきつばた園の横に建てられてあったのが、
昔の梅田街道の道標燈籠だ。



「すぐ 大坂みち」



「すぐ あまがさき にしのみや(?)」

と刻まれている。



これも喜んで写真に撮ったときだ。

どうも撮影後2秒間ほど表示される映像が鮮明ではない。

やっとここでレンズが曇っていることに気付いたのでした。

少しの間、写真がぼやけているのはそのせいなのです。

雨の日は気をつけなくてはね。

聖天さんを出て次に向かったのが、

鷺洲中公園。



ベンチに座って、持参のクッキーをかじり
リラックマのお茶を飲んでいると、
さっきから気になっていたのだが、
近くをチョロチョロと動き回っていた
バイクに乗ったおっさんが話しかけてきた。

なぜか歩いているとdoironは
よく人に話しかけられる。

ずんぐりむっくりの体型が安心感を与えるのか、
それともあまりに楽しそうに歩いている姿に
共感を覚えられてしまうのかもしれない
と自己分析しているのだが・・・。

「地図を持ってはるけど歩いてるんですか?」
と聞いてきた。
「ああ、そうですねん」と答えている間に
メットとゴーグルを外すと、
doironより10歳くらい年上に見える人でした。

乗ってたバイクは、ちょっと年季の入ったコルナゴである。

聞けば、吹田の方に住んでいる人だそうで、
定年後バイクで名所めぐりをしているんだそうだ。
かつてはロードレースにも出ていたそうで、
「道理で渋いバイクに乗ってますね」
と言ったら、こちらもバイクのことがわかる人間だと思ったのか、
バイクの説明がはじまってしまいました。

そういえば細部にこだわりの細工がみられたが、
話が専門的すぎるのか、
それとも用語が古すぎるのか
さっぱりわからないので、
とりあえずフムフムと頷いておいてあげた。

輪行で全国を駆け回ってもいるそうだ。

なかなか楽しそうではないですか。
まあ、将来的にはそういう楽しみも
視野に入れておけるということやね。

これから、大阪城経由で帰るというSさん(名乗っておられた)
と「またどこかで」とお互いエールを交わし、
ちょっとした出会いに気を良くしながら
再び歩き始めたdoironなのでした。

続く。