ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

93歳の大往生

2014年08月30日 12時43分12秒 | 生活

昨日、前もってこんな原稿を書いてあった。

誤嚥というのは、恐ろしく、また残酷な言葉だ。

92歳の父親の嚥下が異常で
食物を食べたり水を飲む時でさえ
誤嚥をするようになった。

誤嚥すると、異物が肺に入って
すぐさま肺炎になり、高熱を発するのだ。

その誤嚥性肺炎でもう6回は入院している。

肺炎時に投与する抗生物質も、
これだけ回数を重ねると
耐性ができて効かなくなりつつあるそうだ。

今回の入院時に、レントゲンで誤嚥の状況を調べてもらったら、
口から入ったもののうち
1割くらいは肺の方へ流れそうになるとのことであった。

そうなると対処法としては、
胃瘻といって胃に穴をあけ
外部から直接そこに栄養分を流し込む方法
もしくはマーゲンチューブといわれる管を鼻からいれて、
直接胃に栄養分を流し込むという方法がある。

しかし、これらの方法を行うには
療養型の病院に行き、
時々不穏になる父の両手を拘束して
寝たきりの状態となってしまうのだが、どうしますか?
と判断を迫られた。

もちろんもう施設の母親とは
顔を合わす機会もなくなることになる。

もともと、心臓の重病を持っているだけに、
余命いくばくもないと言われている中で、
病院で手足を縛られて
余生を過ごすというのはあまりにも酷というものだ。

そこで選んだ方法は、
そのまま療養型病院に送り込むのではなく
とにかく一旦施設に帰り、
誤嚥覚悟で食べたいものを食べさせてあげ、
水分は点滴で補充しつつ
出来るだけの期間を母親と共に
過ごさせてあげるということであった。

常に「施設に帰りたい」といってたので、
退院時には本当にうれしそうにしていた。
そして帰って食事の時も、
スーちゃんの横で話をしながら
(通じているかどうかはわからないが)、
お皿を舐めるようにして
食事をして喜んで食べていたそうだ。

しかし、退院して4日後の今日現在、
親父は39度の熱を発している。
施設で抗生剤を静注してもらいながら様子を見ているが、
もういつ急変するかわからない状態なのである。

次に救急搬送となった時には、
覚悟を決めておかないといけない
とさえ思っている。

食欲はあるのに食べられない、
というのは何とも残酷である。
自分に置き換えてみると
辛くてつらくてどうにかなってしまいそうな気がする。

今、親父にしてあげられることといえば、
横について話をしてあげて気持ちを紛らわせたり、
熱のせいでいたむ関節のマッサージをしてあげることくらい
という状況なのだが、それさえも本人にしてみれば
周りに迷惑をかけて、申し訳ないという気持ちで
胸がいっぱいになって辛いそうである。

となると、もうどうしてあげればいいのか
わからなくなってくるというのが本当のところなのだ。

これまで介護のことでは、
節目節目でいろんな判断をしてきたのだが、
どうも今回ばかりは、どの判断が正解で、
どの判断が親父を苦しめるのか、
その見極めがとても難しく、そして重い。

生きるということはどういうことなのか
そういう命題を突き付けられているような気がする。

判断基準を何よりも親父にとって一番幸せであるように
というところにおいているが、
果たして本当に今回の判断が正解なのか。

それはもう神様のみが知っている領域なのかもしれない
と思ってしまう今日この頃なのだ。


と、昨日はこんなことを書いていたのだが
けさ早く、親父が静かに静かに息を引き取った。
享年93歳の大往生である。

明日、あさってでしっかり見送ってあげるからね。
親父、安らかに!