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全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

古いぞ古市古墳群7

2019年07月18日 21時21分21秒 | ウォーキング
この度、世界遺産に
登録されることになった、
百舌鳥・古市古墳群。

その対象となっているのは、
百舌鳥では23基の古墳、
古市では26基の古墳だ。
これらの古墳については、
このブログで触れてきた。
百舌鳥の古墳はすべてを
歩いて探ってきたなあ。
そして古市もこれまで16基を
歩いて探ってきた。



世界遺産すべてを網羅するのも
あと古市の10基だけとなっています。
まあせっかくここまで来たら
すべてを訪ねてみよう、
ということで前回の
「古いぞ古市古墳群」に続いて
その残りの10基(青いマーカー)
を訪ねる旅行に行ってきましたので、
書いていきましょう。

今回の旅の始まりは近鉄の
「土師ノ里」駅前から始まります。

天気の様子を見ながら
早速出かけていくことにしましょう。

そもそも歩き始めとなったこの駅なんですが、
駅名からして古墳の香りを放っています。

土師というのは、古墳の築造や
葬送などにかかわった氏族です。
この辺りから道明寺にかけてが
土師氏の本拠地で道明寺は
もともとは土師神社と
いわれていたそうだ。

そんな地域を「土師ノ里」といっていたが、
いまはその名前の付いた地域はなく、
近鉄の駅と道路の交差点に
その名前を残している。
そんな土師ノ里の駅がここ。

掘割の中に線路があり、
駅舎は地上の道路に面している。
駅の南側にはスペースが設けられていて、
古墳とかに関する展示がなされている。
そこには古墳の形の事や出土物などの
解説が載せられていますねえ。

前方後円墳のくびれ部にある
「造りだし」といわれる施設も
近頃は普通にメジャーに
書かれていますねえ。
昔は前が方形で後ろが円形みたいな
記述しかなかったと思うんやけどなあ。



またここで見つかった水鳥の
埴輪なんかもヤマトタケルの
伝説と被る部分があったりして、
地域に潜む思いが古墳の景色の中に
潜んでいたりもする。

そんな古市古墳群の
世界遺産登録古墳を訪ねて
では出発していきましょう。

まずは土師ノ里の少し北側にある

允恭天皇陵古墳です。

允恭天皇というのは
日本の第19代天皇です。
仁徳天皇の第4皇子で
中国の歴史書にかかれている
倭の5王中の「済」に比定されています。

ちなみに、倭の五王は
讃=仁徳・珍=反正・
興=安康・武=雄略といわれています。

もちろん説有りですがね。

土師ノ里の駅から堺大和高田線の
道路に出て、東向いて
100mも行くと左手に見えてきます。



5世紀後半に作られた古墳で、
なんとこの古墳は、前回に訪ねた
墓山古墳と同じ形をしているそうです。
墓山古墳は5世紀前半の古墳ですから、
この允恭天皇陵は土師氏が
墓山古墳の設計図を持ってきて
作ったのではないかといわれています。

でもねえこの古墳はほかの墓と
向きが違うんですよねえ。
前方部が北にあるのは
何か意味があるのかと
疑問を抱いてしまいます。

まあ訪ねて行ってみると、
そんなにきっちりと向きを
感じるわけではないのですが、
なんか感覚的に異なるんですよねえ。

で、調べてみると古墳の向き
というのはさほど大きな意味が
あるのではありません。
陪冢とかはもちろん向きを意識したり、
隣接するおやこ墓は
向きがだいたいあってる
というようなこともありますが、
たいていは建設地の
地形によることが大きいんだそうです。
あんなおおきなお墓だから
そういう地形の制限は
大きいですよねえ。

土師ノ里の駅の近くに
こんなに静かに古墳があるというのは
初めて知りました。

そもそも古墳は大きな
森の状態になっていることが
多いので、古墳としてみなかったら
単なる小山が
そこにあるように見えるもんね。

この前の道は何度も
通っているのに気づかず
にいましたね。
 
続く