ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

古いぞ古市古墳群1

2019年07月10日 20時41分21秒 | ウォーキング

おめでとうございます



ついに、7月6日に世界遺産に
登録されたですねえ

「百舌鳥・古市古墳群」。

良かったですねえ。
待ってた人には特別ですねえ。
世界遺産になったからって
なんともないよという人もいますが
まあ、ええことじゃないですか。
doironのブログもちょうど
古墳話で盛り上がり中です。
読んで勉強してみてね~

ーーーーーーー

先日は堺の百舌鳥の
古墳群を歩いてきました。
百舌鳥の世界遺産の古墳は
全部で23基。
そのうち19基は2013年に
歩いて調査しましたが、
残りの4基についても
先日たずねて歩いてきたところです。

まあこのニュースが発表された頃は
すごい人が来たようですが、
ようやく落ち着いてきたんだと
解説ボランティアの
おじさんが言ってましたねえ。
でもまた忙しくなるんでしょう。

これから古墳巡りの
歩きツアーなんかも
旅行関係各社で
企画されていくんでしょう。



古墳カレーのおばちゃん、
騒動に巻きこまれないように
注意しないとねえと
余計な心配をしたりしています。

これで百舌鳥の方の
23基のdoironの調査は終わりました。
で、次は古市古墳群ですね。
ここも百舌鳥同様古くからあります。
古いよ、古市、古墳群

古市ではこれまで確認されている
古墳は約150基あったそうです。
そのうち、開発されずに
残されているのは今は46基ある
といわれています。

それらのうち、26基がこのたび
世界遺産に登録されました。

ここは堺の百舌鳥の
約10キロほど東のエリアになります。
築かれた時期も百舌鳥と同様に
4世紀後半から6世紀初頭の頃です。

百舌鳥が16代~18代の
天皇の墓があり、
こちらは14代から19代の天皇と
磁気的にも交互に築かれたりして、
深く関連しているようです。

以前に古市の方は、
雨の中を歩く旅行をしたことがあり、
その時はしっかり雨対策を
して歩いたんですが、
長靴は少しあきませんね。
でも来ていたアウトドア用の服は、
ぬれてもさすがに
違和感も少なく良かったようです。

雨の中カメラにはかなり
気を使いましたがね。

そんな風な歩きをしたのですが、
残念ながらその時に
きちんと古墳を眺めたことは
ほとんどありませんでした。

すぐ横を通ったり、
公園で古墳の中に上がり込んで
みたりしたのですが、
そっちに意識を送ることは
ありませんでした。

なので、今回は世界遺産対象となった
古市今墳をそっちの意識を持って
見て回ろうと企画し、
とりあえず歩き始めることにしたのです。

それらを記載した新聞記事を元に、
資料を作り順番に尋ねて行くことにします。

この辺りはかつて働いていた近くだし、
doironは羽曳野の方には
住んでいたこともあるので、
ある程度方向感覚はしっかりしています。
まずは藤井寺市役所に
車で向かいました。
ここに車をとめて古墳群の
飾りつけをしている1階のところで



こんな地図をもらいました。



折り畳みで広げると
大きな地図になっています。
これで十分回れるでしょう。
では、この地図に従って、
順に古墳を訪ねて行ってみましょう。


まず最初は他の古墳と
少し離れたところにある
「津堂城山古墳」に行ってみましょう。

市役所を出て大和川の方を
向いて北上していきます。

ああ、この道は昔西高野街道を
一緒に歩いた先輩が飲みすぎて
家まで送るときに
この道を肩を組んで歩いたなあ。



道の途中にはトライアスロン友達が
やってた居酒屋がありました。
今はもうないけどねえ。

そんな先輩の家に入っていく道を
見ながらもう少し進んでいくと、
大きな公園になってる
その古墳に出ます。



ここは4世紀の末ごろに
作られた古墳で、
古市古墳群では最古の古墳です。
奈良に古墳が多かった時代に
こちらに古墳築造をもたらした
重要な古墳だといわれています。

ここの発掘時には見事な水鳥の
埴輪も見つかり、水鳥に関する話を持つ
ヤマトタケルの墓ではないか
という説もあるようですが、
真相はわかりません。



こんな小山のある公園ような感じで、
登ると二上山なんかも見えています。

さあではここから今来た道を戻り、
近鉄線を越えて南の方へと
進んでいきましょう。

まず再度藤井寺駅の方に
向かっていきます。

続く