え~っと、ここが藤井寺駅の
北口の方ですねえ、
あ、前にジムがありますよ。
のんさんが泳いでいるかもしれませんよ。
この藤井寺の駅前で、
自分の姿で気が付くことが
ひとつありました。
山歩きではないので大変な山靴は
履いていませんが、
ちょと今日はいている靴の底が
ペロッとはがれているんですよね。
これはいけないぞ。
このままだとヘンクツな
おじさんに見えてしまいます。
あわてて「補修用」に
ガムテープを買いました。
駅前の片隅の駐車場のすみっこで、
くつにガムテープを貼り付けると、
これがいい感じ。
見た目は悪いけど、
まあ応急処置としてはとってもいい感じです。
あ、街の片隅で靴に
ガムテープを巻いてる
へんなおっさんの姿を
想像してはいけませんよ
そうそうむかしランニング中に
新しい靴が合わなくて、
かかとに捨てられてあった段ボールを
折りたたんで入れたら
とてもいい感じになったのを
思い出します。
そしてなんとこのガムテープが
また後程とても役に立つのですが・・。
それはまた後で書きましょう
経路はこういう商店街を抜け、
西国三十三か所第5番札所である
葛井寺の横を通って進んでいきます。
そしてその先に
「仲哀天皇御陵・・」
と書かれた石が立っています。
仲哀天皇といえば前回も
雨の中を歩いた時に出てきましたし、
2016年の春に出かけて行った
堺市内唯一の国宝建造物である
櫻井神社の祭神でしたねえ。
今回はここも目的地のひとつですねえ。
そんな辛國神社の横を抜けて、
地図を見ながらくねくね進んでいきますと、
静かな住宅街の中に
いきなり小さな古墳に出ます。
これが「鉢塚古墳」です。
これは仲哀天皇陵の陪冢だそうです。
ああでもこういう古墳の存在が、
世界遺産になった後の
周りの静かな住宅街に
どんな影響を及ぼすか、
これはちょっと心配ですねえ。
ましてここのその形は
なんと小さな陪冢なのに前方後円墳。
5世紀後半の頃の古墳で、
陪冢が方墳や円墳でなく
前方後円墳というのは
まさに古墳時代の終末に
差し掛かっている古墳だそうで、
けっこう重要な古墳だから
なおさら人が集まりそうですねえ。
ここに行った時は墳頂にあがる
階段もあって中に入って
ウロウロとできそうな施設なんですが、
なんかうるさそうなおっさんが
墳頂あたりをウロウロしていたので
遠慮しときました。
河内のおっさんはうるさそうです。
そうしてそこを後にすると、
その陪冢の本体である
仲哀天皇陵本体がすぐ横に現れました。
大きな堀のある立派な古墳です。
仲哀天皇は日本の第14代天皇。
仁徳天皇の祖父にあたります。
この古墳の存在を見ても、
百舌鳥と古市古墳は
関連していることが
よくわかりますよねえ。
ここまで登ったりできる
古墳を見てきましたが、
さすがにここは立ち入りできません。
拝所の近くには管理事務所があり、
定期的にここから管理する人が
墳墓に入り整備しているそうですが、
どうもここの管理人は
墳墓の中に入ってしまうと
方向感覚がおかしくなると
いってるそうです。
何となく静かで、それでいて
強い意志を感じるような
そんな古墳ですね。
古墳の周りには鳥が飛び交っており、
静かな堀には水鳥も
たたずんでおりました。
拝所もちゃんとありますから、
手を合わせていきましょう。
さあ、ではここから次に
目指すのはなんと、
昔doironがその横に住んでいた
こともあるという「峯ヶ塚古墳」です。
遠くに藤井寺の船のような形をした
アイセルシュラホールが
見えているあたりを
今度は右折して南の方へと
進んでいきます。
電柱を見ると、この辺りは
藤井寺の「いにしえの道」という
ウォーキングコースに
なっているようですねえ。
さらに進んでいきますと
こんな道標が建っています。
ふじい寺、大坂、まきの尾、
こうや山、なら、堺などを示す道標です。
続く