允恭天皇陵を見たら
土師ノ里の駅の方に
戻りましょう。
途中、こんな世界遺産の
垂れ幕が付いていますねえ。
その背後の緑もまた古墳です。
唐櫃山古墳といいます。
前方後円墳でありますが、
道路で大きく削られています。
でもまあ、こんな堺大和高田線沿い
ですから、藤井寺市はここを
何かにいかせないかと
計画中なんだそうだ。
まあ世界遺産に決まったから
そういう取り組みも
しやすくなるでしょうねえ。
駅まで戻ると、その駅のすぐ西側に
小さな小山があります。
これが「鍋塚古墳」ですねえ。
まさに駅前にデーンと存在しています。
ここは5世紀前頃の古墳で、
この後訪れる仲姫命陵古墳の陪冢です。
見た目は円墳ですが実際は方墳。
例のごとく埋められていたものの
配置でわかります。
ここは上に登れるように
なっていますよ。
てくてくと上がっていきますと、
ここには樹木はありませんね。
墳頂もこんなにのどかな
草っぱらになっています。
もともとは樹木なんかも
あったそうですが、
それらは全部取り払われて
国の史跡として残っている古墳です。
この上からだと、
次に向かう仲姫命陵古墳が
よく見えていますね。
ここも天皇本人ではないのに
「陵」が付いていますねえ。
仲姫命は応神天皇の皇后。
大きさ的には古市古墳群の中で
応神天皇陵の次に当たるのですが、
実際の天皇陵と離されて
作られているのが何か
感じるものがありますねえ。
時期的には4世紀後半の時期で
応神天皇陵よりも古い前方後円墳です。
ここは何かほかのところよりも
さらに一段と静かな感じで
たたずんでいますねえ。
墳丘の形もきれいで、
秋には赤く高揚する樹木が
きれいで女性の墓という
雰囲気がするそうです。
この古墳の堀に沿って
逆時計回りに回っていきましょう。
静かな地域なので神社なんかも
ありますから、ちょっと寄っていきましょう。
ここは澤田八幡神社といいます。
古墳の方から下へ降りていきますと、
本殿の横に出ます。
そこからさらに下に降りていきますと、
おお境内になんと踏切が
あるじゃないですか。
これは不思議な感じですねえ。
鳥居をくぐって、本殿に
向かっていきますと
目の前の踏切の向こうに
電車が走っていきますよ。
ああ、これもナニコレ珍百景
じゃないですかあ。
ここの神社は八幡様ですから
主祭神は応神天皇ですね。
だんじり小屋なんかもあって
地域で親しまれている神社って
感じですねえ。
再び古墳の方に戻っていきます。
それにしてもこの辺り、
町の配置や地形も古墳に
決められていて、町の中に
古墳がぽつんとあるという感じではなく、
古墳の周りに町ができていってる
という感じです。
こんな段々のある街の姿なんか
見てると強く感じますねえ。
しばらくまちなかを歩いていますと、
突然目の前に緑の大きな公園があります。
それが「古室山古墳」です。
ここはとてもきれいに
整備されていて中に入って
墳頂にも登れるようになっています。
実際その時も、犬を連れた人や
高齢者の人たちが中で
散歩をされていました。
後円が高くなっておることから
古いタイプで、4世紀後半から
5世紀前半の頃の前方後円墳
とされています。
墳牒はとても気持ちのいい所で、
隣接する西名阪自動車道が
よく見えます。
そうかあ、逆に言えばこの古墳は
西名阪からもよく見えるわけですねえ。
藤井寺の降り口を過ぎて、
しばらく行ったところで
左側に見えてくるんですねえ。
今度確認しておきましょう。
ここは梅や桜も植えられていて
ちょっとした行楽地。
もしdoironの古墳を作ろうと
計画されるなら、
こんな見晴らしもよく花の咲いている
墓がいいので覚えておいてください
って何言うてまんねやあ。
続く
土師ノ里の駅の方に
戻りましょう。
途中、こんな世界遺産の
垂れ幕が付いていますねえ。
その背後の緑もまた古墳です。
唐櫃山古墳といいます。
前方後円墳でありますが、
道路で大きく削られています。
でもまあ、こんな堺大和高田線沿い
ですから、藤井寺市はここを
何かにいかせないかと
計画中なんだそうだ。
まあ世界遺産に決まったから
そういう取り組みも
しやすくなるでしょうねえ。
駅まで戻ると、その駅のすぐ西側に
小さな小山があります。
これが「鍋塚古墳」ですねえ。
まさに駅前にデーンと存在しています。
ここは5世紀前頃の古墳で、
この後訪れる仲姫命陵古墳の陪冢です。
見た目は円墳ですが実際は方墳。
例のごとく埋められていたものの
配置でわかります。
ここは上に登れるように
なっていますよ。
てくてくと上がっていきますと、
ここには樹木はありませんね。
墳頂もこんなにのどかな
草っぱらになっています。
もともとは樹木なんかも
あったそうですが、
それらは全部取り払われて
国の史跡として残っている古墳です。
この上からだと、
次に向かう仲姫命陵古墳が
よく見えていますね。
ここも天皇本人ではないのに
「陵」が付いていますねえ。
仲姫命は応神天皇の皇后。
大きさ的には古市古墳群の中で
応神天皇陵の次に当たるのですが、
実際の天皇陵と離されて
作られているのが何か
感じるものがありますねえ。
時期的には4世紀後半の時期で
応神天皇陵よりも古い前方後円墳です。
ここは何かほかのところよりも
さらに一段と静かな感じで
たたずんでいますねえ。
墳丘の形もきれいで、
秋には赤く高揚する樹木が
きれいで女性の墓という
雰囲気がするそうです。
この古墳の堀に沿って
逆時計回りに回っていきましょう。
静かな地域なので神社なんかも
ありますから、ちょっと寄っていきましょう。
ここは澤田八幡神社といいます。
古墳の方から下へ降りていきますと、
本殿の横に出ます。
そこからさらに下に降りていきますと、
おお境内になんと踏切が
あるじゃないですか。
これは不思議な感じですねえ。
鳥居をくぐって、本殿に
向かっていきますと
目の前の踏切の向こうに
電車が走っていきますよ。
ああ、これもナニコレ珍百景
じゃないですかあ。
ここの神社は八幡様ですから
主祭神は応神天皇ですね。
だんじり小屋なんかもあって
地域で親しまれている神社って
感じですねえ。
再び古墳の方に戻っていきます。
それにしてもこの辺り、
町の配置や地形も古墳に
決められていて、町の中に
古墳がぽつんとあるという感じではなく、
古墳の周りに町ができていってる
という感じです。
こんな段々のある街の姿なんか
見てると強く感じますねえ。
しばらくまちなかを歩いていますと、
突然目の前に緑の大きな公園があります。
それが「古室山古墳」です。
ここはとてもきれいに
整備されていて中に入って
墳頂にも登れるようになっています。
実際その時も、犬を連れた人や
高齢者の人たちが中で
散歩をされていました。
後円が高くなっておることから
古いタイプで、4世紀後半から
5世紀前半の頃の前方後円墳
とされています。
墳牒はとても気持ちのいい所で、
隣接する西名阪自動車道が
よく見えます。
そうかあ、逆に言えばこの古墳は
西名阪からもよく見えるわけですねえ。
藤井寺の降り口を過ぎて、
しばらく行ったところで
左側に見えてくるんですねえ。
今度確認しておきましょう。
ここは梅や桜も植えられていて
ちょっとした行楽地。
もしdoironの古墳を作ろうと
計画されるなら、
こんな見晴らしもよく花の咲いている
墓がいいので覚えておいてください
って何言うてまんねやあ。
続く