百舌鳥耳原三陵の天皇の
系譜を調べてみますと、
まず仁徳天皇は日本の
第16代天皇で履中は
仁徳の第1皇子で17代天皇。
そして反正は第3皇子で
18代天皇にあたります。
百舌鳥耳原の中陵が仁徳天皇陵で、
南陵が履中天皇陵、北陵が
反正天皇陵にあたります。
まあこれらの御陵は以前にしっかりと
歩いて尋ねて行ってます。
でもねえ、古墳ができた時期を
考えると少しおかしいんですよねえ。
仁徳が5世紀中ごろに作られたのに対し、
履中が5世紀初頭までに
作られているそうです。
お墓ですから、亡くなった後に
誰かが作ったのでしょうか。
時期がぐいちになっています。
仁徳天皇の方が長生きだったんですかねえ。
このころはまだ年代や没年が
はっきりしませんので、
ちょとおあやふやなんです。
次に訪ねようとしている寺山南山古墳は
その履中天皇陵の少し北にあります。
地図を見ながらこの辺りかなあ
と思って歩いていきますと、
フェンスのところに案内板が
張られていました。
どうもグランドの奥にあるのが
その古墳のようです。
履中天皇陵の陪冢といわれている、
方墳です。
まあこれはやはり近寄れなかったから、
見逃していたのでしょう。
これで未踏4陵のうちの
3陵を確認しました。
世界遺産の百舌鳥古墳群も
それで一応ひととおり眺めてきた
ことになります。
では今回最後の古墳である
「銭塚古墳」に向かっていきましょう。
地図では大仙公園を東に抜けて行って、
阪和線沿いの近くにあるようですが、
どうもその辺は堺支援学校の
ようなんですがどうでしょうかねえ。
堺シティマラソンのゴールにつながる
最後の外周を西向いて歩いていきますと、
都市緑化センターの前を通ります。
ああ、ここではホタルの鑑賞会を
やっているんですねえ。
来年は調整して見にこようかなあ。
そんなところを通ってやっと
阪和線のところに出てきました。
ああ、キティちゃんの電車が
走っていたりするんですねえ。
「ハルカ」だから関空行きかな。
南海のラピートなんかも
いろんなラッピングをして
走ってるもんねえ。
それにしても銭塚古墳はどこなんやろう。
地図や現地の案内地図を見ながら
探っていきますと、どうやら
支援学校の中のようですねえ。
フェンス越しに中を眺めて行きますと、
ああ、あそこのようですね。
学校の中にこんもりした山があって、
その横に石の案内のようなものが
立っています。
あそこだったら見逃しているでしょうねえ。
あとで図書館で借りてきた
こんな資料を見てみたら、
やはり学校の中のようでした。
発掘調査から堀のあったことも
確認されており、前方後円墳なんですが、
前方の部分は学校建設で壊され、
後円部だけが残っている状態だそうです。
さあ、これで未踏の古墳は
すべて訪ねました。
百舌鳥古墳群の世界遺産は
すべて行ったということですねえ。
都会の中の深―い歴史と
触れ合うことができました。
次は古市古墳群ですね。
では、今回の旅を終えましょうと
阪和線の百舌鳥駅に向かうことにしました。
でもねえ、食事がねえ
できていないんですよ。
その店は堺シティの大仙公園から
駅に向かう途中でした。
通りから少し入ったところに、
「古墳カレー」と書かれた看板を
挙げているところがありましたよ。
これはせっかくですから
寄っていきましょう。
中に入ると様々なメニューが
張ってありましたよ。
右上の天空カレーはブロッコリーの塊です。
古墳カレースパもあるようです。
doironは普通に古墳カレーを
いただきました。
それにしてもすごいカレーです。
実はお皿も古墳の形に
ご飯を盛る容器も、
店のママさんが焼いたんだそうです。
新聞なんかにも取り上げられたようですよ。
え~古墳カレーには副葬品で
ビールもつけましたよ。
おなかいっぱいになったので
では店の人にさよなら言って返りましょう。
いやあ、古墳に込められた思いや
そこに居る人々と触れ合った楽しい旅でした。
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百舌鳥の古墳群は
公園なんかと絡めて
うまくというかそれなりに
管理をされていました。
では古市はどうですかねえ。
近々出かけていくことにしましょう。
百舌鳥古墳群はおしまい