おてんきぷらぷら

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四国八十八ヶ所霊場巡拝の旅〔其之九〕 第33番~第37番

2020年11月28日 | Ohenro88
  11月25日~12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん(八十八ヶ所霊場巡拝)の旅』 (9)

読経のうち、般若心経と札所毎の御本尊御真言を除いて、備忘録として記述しておきます。
  〔開経偈〕
    無上甚深微妙法 むじょうじんじん みみょうほう
    百千萬劫難遭遇 ひゃくせんまんごう なんそうぐう
    我今見聞得受持 がこんけんもん とくじゅうじ
    願解如来眞實義 がんげにょらい しんじつぎ
  〔懺悔分〕
    我昔所造諸悪業 がしゃくしょぞう しょあくごう
    皆由無始貪瞋痴 かいゆむし とんじんち
    従身語意之所生 じゅうしんご いししょしょう
    一切我今皆懺悔 いっさいが こんかいさんげ
  〔三帰〕
    弟子某甲 でしむこう  盡未来際 じんみらいさい
    帰依仏 きえぶつ  帰依法 きえほう  帰依僧 きえそう
  〔三竟〕
    弟子某甲 でしむこう  盡未来際 じんみらいさい
    帰依仏竟 きえぶっきょう  帰依法竟 きえほうきょう  帰依僧竟 きえそうきょう
  〔十善戒〕
    弟子某甲 でしむこう  盡未来際 じんみらいさい
    不殺生 ふせっしょう  不偸盗 ふちゅうとう  不邪淫 ふじゃいん
    不妄語 ふもうご  不綺語 ふきご  不両舌 ふりょうぜつ  不悪口 ふあっく
    不慳貪 ふけんどん 不瞋恚 ふしんに  不邪見 ふじゃけん
  〔発菩提心真言〕 3編  おんぼうぢしった ぼだはだやみ
  〔三昧耶戒真言〕 3編  おんさんまやさとばん
  〔光明真言〕 3編  
    おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばり たや うん
  〔高祖弘法大師御宝号〕 3編  南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)
  〔回向文〕(願わくば) この功徳を以って普く一切に及ぼし 我等と衆生と皆共に佛道を成ぜん


【第33番 雪蹊寺】
高福山 幸福院 雪蹊寺(こうふくざん こうふくいん せっけいじ)
 〒781-0270 高知県高知市長浜857-3
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 坂本龍馬像が立つ桂浜から西に4kmほど。四国八十八ヶ所霊場のうち2つしかない禅寺のひとつ。弘法大師創建当初は高福寺と称し真言宗の寺であったが、鎌倉時代に慶運寺に改名。その後、4長曾我部元親が臨済宗び改宗。元親の法号から雪蹊寺と改められた。



本堂




大師堂






【第34番 種間寺】
本尾山 朱雀院 種間寺(もとおざん しゅじゃくいん たねまじ)
 〒781-0321 高知県高知市春野町秋山72
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 土佐湾の沿岸は四国霊場のメッカのよう。種間寺もその一つで、土佐湾の航海に結びついた縁起が伝えられている。6世紀のころ、百済の皇子から多くの経論と、仏師や造寺工が渡来した。彼らは、大阪四天王寺の造営にあたり、その帰途の航海中、土佐沖で暴風雨におそわれ、種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港。彼らが、海上の安全を祈って薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀ったのが、寺の起源とされている。



本堂


大師堂






【第35番 清瀧寺】
醫王山 鏡池院 清瀧寺(いおうざん きょうちいん きよたきじ)
 〒781-1104 高知県土佐市高岡町丁568-1
 [ご本尊] 厄除薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 ここは、土佐和紙、手すき障子紙で知られる高知県の紙どころ。"みつまた"をさらし和紙を漉く重要な水の源泉として信仰の厚い寺院。行基菩薩が開基。弘法大師が七日間の修法満願日に金剛杖で壇を突くと岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったといい、寺名を鏡池院清瀧寺と改め霊場とした。



本堂




大師堂


厄除け薬師如来像(ご真言を唱えながら手探りで胎内をめぐりご利益を得る"戒壇巡り"がある)






【第36番 青龍寺】
独鈷山 伊舎那院 青龍寺(とっこうざん いしゃないん しょうりゅうじ)
 〒781-1165 高知県土佐市宇佐町竜163
 [ご本尊] 波切不動明王
 [ご真言] のうまくさんまんだ ばざらだんせんだん まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
 元横綱・朝青龍のしこ名の由来となった寺。弘法大師が長安の青龍寺で恵果和尚に真言密教の奥義を授けられ、日本にも青龍寺を建てようと、約束の地へ飛んでいけと、東の方角に法具独鈷を投げた。その後、帰国した大師は、この地の老松に自らが投げた独鈷が刺さっているのを見つけ、弘仁6年(815)、この地に石造の不動明王像を安置し堂宇を建てた。

仁王門


170段の石段(元横綱、朝青龍は明徳義塾高校在学中に、この石段で鍛錬を重ねたそう)


本堂




大師堂


三重塔


滝の行場






【第37番 岩本寺】
藤井山 五智院 岩本寺(ふじいさん ごちいん いわもとじ)
 〒786-0004 高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
 [ご本尊] 不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩
 [ご真言] のうまく さんまんだばざらだん せんだんまかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
       おん あろりきゃ そわか
       おん あみりた ていせい から うん
       おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
       おん かかかび さんまえい そわか
 四国八十八ヶ所霊場で唯一、五尊の本草を安置する寺。弘法大師が寺の前身である仁井田明神のご神体を5つの社に分け、それぞれに本地仏を安置し、さらに末寺5か寺を建立した。明治時代の神仏分離と廃仏毀釈の影響を受け、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一された。



仁王門




本堂




大師堂






四国八十八ヶ所霊場巡拝の旅〔其之八〕 第28番~第32番

2020年11月28日 | Ohenro88
  11月25日~12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん(八十八ヶ所霊場巡拝)の旅』 (8)

4日目(11月28日)は、朝一で第31番・苧ム寺から巡拝し、第30番・善楽寺、第29番・国分寺、第28番・大日寺と逆打ち後、第32番・禅師峰寺と巡拝。その後、桂浜も予定外観光し、第33番・雪蹊寺、第34番種間寺、第35番・清瀧寺、第36番・青龍寺と巡拝しました。途中、予定外の桂浜観光に、車窓からは、高知龍馬空港、土佐湾、浦戸大橋、宇佐大橋など移動距離は短いものの南国土佐の空気を目いっぱい感じます。そして、この日の宿泊先は、宇佐町の土佐龍温泉・三陽荘。土佐湾を望む海岸沿いのロケーションで、元横綱朝青龍が留学滞在した明徳義塾高竜国際キャンパスの近くにあります。遍路さんを癒す憩いの湯は、塩化物泉で保温効果が高く、加えて4日目にして衣類の洗濯もし、身も心もリフレッシュできました。

  11月28日(土)
     = (31)苧ム寺 = (30)善楽寺 = (29)国分寺 = (28)大日寺 = (32)禅師峰寺 =
     = 〔桂浜〕 = (33)雪蹊寺 = (34)種間寺 = (35)清瀧寺 = (36)青龍寺 =
    【宿泊】三陽荘(高知県土佐市宇佐町竜504-1)

さすがに4日目ともなると、お寺でのお詣り手順も自然と身についてきます。まずは、①門前で一礼。阿吽の仁王様がいる門は仁王門、鐘がある門は鐘楼門、何もなければ山門。当たり前のようですが、今回あらためて認識した次第。次いで、②手水舎でのお清め、③鐘を撞いても良い寺では鐘を撞くようですが、コロナ禍にて②・③は多くのお寺で禁止のようでしたし、我々のツアーでは、コロナ感染対策で、②・③は省略する運営でした。いよいよ、④本堂へ。本堂では、ろうそく(灯明)、線香(3本)をあげ、納札(写経)を納め、賽銭、祈願し、声を出しての読経。読経も初めての経験です。読経は、合掌礼拝に始まり、開経偈(1編)、懺悔文(1編)、三帰(1編)、三竟(1編)、十善戒(1編)、発菩提心真言(3編)、三摩耶戒真言(3編)、般若心経(1巻)、御本尊真言(3編)、光明真言(3編)、高祖弘法大師御宝号(3編)、回向文を唱え、合掌礼拝で終わります。御宝号(南無大師遍照金剛)はもちろん、回向文は暗記してしまいますし、般若心経も数を重ねるごとにスムーズになり、様になっていきます。その後、⑤大師堂でも本堂と同じ手順でお詣り。④本堂、⑤大師堂のお詣りは、位置的な理由や混雑具合で前後することがありました。お詣りを終え、⑥納経所で御朱印をいただき、再び、⑦門にて一礼の流れです。⑥納経所は、ツアー参加の場合はまとめて添乗員さんが御朱印をいただくルールでした。


【第28番 大日寺】
法界山 高照院 大日寺(ほうかいざん こうしょういん だいにちじ)
 〒781-5222 高知県香南市野市町母代寺476
 [ご本尊] 大日如来
 [ご真言] おん あびらうんけん ばざらだど ばん
 聖武天皇の勅願によって、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し堂宇に安置して開創。その後、弘法大師が弘仁6年(815)が、人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を刻み、霊場に定めた。

山門 


本堂


大師堂








【第29番 国分寺】
摩尼山 宝蔵院 国分寺(まにざん ほうぞういん こくぶんじ)
 〒783-0053 高知県南国市国分546
 [ご本尊] 千手観世音菩薩
 [ご真言] おん ばざら たらま きりく
 聖武天皇が全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年頃。土佐では行基菩薩が開山し開創。弘法大師が弘仁6年(815)毘沙門天像を彫造して奥の院に安置し、"星供の秘法"を勤修した。土佐の国分寺といえば、紀貫之が国司7として4年滞在。貫之の『土佐日記』は女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名。この付近は"土佐のまほろば"と呼ばれ、土佐の政治・経済・文化の中心地であった。

仁王門


本堂


大師堂








【第30番 善楽寺】
百々山 東明院 善楽寺(どどざん とうみょういん ぜんらくじ)
 〒781-8131 高知県高知市一宮しなね2丁目23-11
 [ご本尊] 阿弥陀如来
 [ご真言] おん あみりた ていせい から うん
 大同年間に弘法大師が、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創。明治時代の廃仏毀釈により廃寺に。ご本尊が安楽寺に招かれたため、安楽寺が第30番札所の代行業務を行っていたが、平成4年(1992)に善楽寺が第30番札所として再興した。

本堂




大師堂


梅見地蔵 (学業成就、合格祈願、首から上の病気平穏などご利益あるとされる)






【第31番 苧ム寺】
五台山 金色院 苧ム寺(ごだいさん こんじきいん ちくりんじ)
 〒781-8125 高知県高知市五台山3577
 [ご本尊] 文殊菩薩
 [ご真言] おん あらはしゃのう
 標高145mの五台山頂付近に建ち、"土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た"で有名な"よさこい節""舞台であるほか、学僧・名僧があつまる"南海第一道場""と呼ばれる。聖武天皇が唐の五台山に登り文殊菩薩に拝した夢を見たことから、行基菩薩に霊地を探して寺を建てるよう命じ、この地を選んだのが縁起とされる。

仁王門


本堂


大師堂


五重塔








【第32番 禅師峰寺】
八葉山 求聞持院 禅師峰寺(はちようざん ぐもんじいん ぜんじぶじ)
 〒783-0085 高知県南国市十市3084
 [ご本尊] 十一面観世音菩薩
 [ご真言] おん まか きゃろにきゃ そわか
 土佐湾の海岸に近い小高い山(標高82m)の"峰山"の山頂にあり、"みねんじ"、"みねでら"の愛称で呼ばれ親しまれている。行基菩薩が聖武天皇の勅命をうけ、海上の交通安全を祈願して建立したことから、海の男たちは"船魂観音"とも。

仁王門


本堂


大師堂


土佐湾の眺望




四国八十八ヶ所霊場巡拝の旅 〔其之七〕 第27番(高知市内散策)

2020年11月27日 | Ohenro88
  11月25日~12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん(八十八ヶ所霊場巡拝)の旅』 (7)

3日目(11月27日)の宿泊は高知市の中心地のオリエントホテル高知ということで、人生初の高知の夜を満喫しましょうか・・・。とは言え、ホテル到着が予定より遅くなり、かつ、夕食はホテル食ですし、何よりもコロナ禍の中、飲食を伴うナイトライフのエンジョイは厳禁。したがって、ひろめ市場での2次会飲食はあきらめて、夜の街をおとなしく散策するのみとなりました。まずは、日本三大がっかりスャbトのひとつ(あとの二つは札幌時計台と長崎オランダ坂)に数えられる"はりまや橋"へ。江戸時代末期の僧侶・純信(第31番・苧ム寺住職)と鋳渇ョの娘・お馬の恋物語で有名な場所。思いの外、小さな橋なのが、がっかりスャbトと言われる所以のよう。ライトアップされていましたが、さすがに、人通りはほとんどありませんでした。その後、町の酒屋さんで、高級ウイスキー(山崎12年、シーバスリーガル18年ほか)を買い求め自宅へ配送。地酒も検討するも自宅での冷蔵保存可能かを考慮し洋酒を選択。お土産購入だけでは使い切れない地域共通クーャ唐チ費です。翌朝(4日目)は日の出が6時50分、出発が8時にて限られた時間でしたが、ホテル周辺の坂本龍馬ゆかりの地を散策。個人的に気に入ったのは観光スャbトでもない龍馬郵便局。日本郵政にしては、洒落ていました。高知市内観光ということでは、4日目(11月28日)には、第32番・禅師峰寺と第33番・雪蹊寺の間で、事前のツアーコースには入っていなかった桂浜も観光することができました。但し、予定コース外の立ち寄り観光は許されていないのでご内密にとのこと。イレギュラーな英断された添乗員さん、駐車場に入ることなく我々の桂浜観光を終えるまで車を移動回避していただいたドライバーさんに感謝。高知といえば桂浜の龍馬像、満足いく高知市内観光となりました。


【第27番 神峯寺】
苧ム山 地蔵院 神峯寺(ちくりんざん じぞういん こうのみねじ)
 〒781-6422 高知県安血S安田町唐浜2594
 [ご本尊] 十一面観世音菩薩
 [ご真言] おん まか きゃろにきゃ そわか
 神功皇后の勅命で天照大神などを祀る神社が起源。聖武天皇の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし神仏合祀を行った。大同4年(809)、弘法大師が伽藍を整え霊場とした。幕末に三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が息子の出世を祈願し安月sの自宅から往復20kmの道のりを21日間日参したという。

仁王門


神峯の水(高知県名水のひとつ。病気平癒に霊験あらたかとされている。)




本堂


大師堂


不動明王像






《高知市内散策》 11月27日(泊) オリエントホテル高知

〔はりまや橋〕
 「♪土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た」とよさこい節のフレーズにもなり、純信とお馬の恋物語でも知られているはりまや橋。江戸時代に、堀川を挟んで商売を行っていた播磨屋と櫃屋が、両者の往来のため私設の橋を架けたことが、はりまや橋の由来。その後、何度か橋は架けかえられ、堀川も埋め立てられましたが、現在は、はりまや橋公園として整備され、川のせせらぎを再現。昔のはりまや橋も復元し、純信&お馬のモニュメントも設置されています。







〔高知城〕


〔坂本龍馬誕生地〕




〔坂本龍馬 屋敷跡〕 現:龍馬の宿「南水」


〔高知市立 龍馬がうまれたまち記念館〕




〔龍馬郵便局〕




〔桂浜〕
 桂浜は、高知市浦戸に位置し、雄大な太平洋に面した景勝地。月の名所としても名高く、土佐民謡よさこい節にも唄われています。太平洋を望んで立つ坂本龍馬の銅像は、高知を代表する名所の一つ。









四国八十八ヶ所霊場巡拝の旅 〔其之六〕  第23番~第26番

2020年11月27日 | Ohenro88
  11月25日~12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん(八十八ヶ所霊場巡拝)の旅』 (6)

第23番・薬王寺から太平洋を望む海沿いに国道55号を南に走ると高知県。地球が丸いことがわかる水平線を眺めつつしばしのドライブとなりました。目指すは室戸岬の第24番・最御崎寺ですが、その前に、平安時代初期に弘法大師・空海が修行をしたというパワースャbト「御厨人窟(みくろど)」に立ち寄りました。海水の侵食によりできた洞窟の御厨人窟は、平安時代初期、当時青年であった弘法大師がこの洞窟に居住したと伝えられています。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たのだそう。また、隣の神明窟で難行を積んだと伝えられ、その最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられています。 現在は、海蝕が進み危険とのことで立ち入りは禁止となっていました。この日は高知市内宿泊にて、移動距離に時間的制約もあり、室戸岬観光はせず、室戸岬を土佐湾側へ回り込みます。室戸岬灯台の上に位置する第24番・最御崎寺、続いて第25番・津照寺、第26番金剛頂寺、第27番・神峯寺と巡拝。いずれも海岸から急坂で山を登った上に位置しており、歩き遍路には堪える道のりでしょうか。土佐修行の道場といわれる所以かもしれません。第27番・神峯寺を午後5時前には巡拝を終えたのですが、11月月末の金曜日の影響で、高知市内へ向かう国道55号は大渋滞。海沿いの国道で逃げ道がないとのことで、じっと我慢の子。この日(11月27日)の宿、オリエントホテル高知へ着いたのは、予定を大幅に遅れた午後7時すぎとなりました。

《土佐の国(高知) 修行の道場 16ヵ寺》
修行と言う言葉には、ともすれば難行苦行といったイメージがつきまといますが、弘法大師の教えは、そのような苦行ではありません。心身共に仏道を身に付けて善行を積むといった、精神的な面の多い修行を意味します。


【第23番 薬王寺】
医王山 無量寿院 薬王寺(いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ)
 〒779-2305 徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285-1
 [ご本尊] 厄除薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場。厄除寺院として全国的に有名で、本堂に向かう最初の石段は"女厄坂"といわれる33段、続く急勾配の石段"男厄坂"が42段で、さらに本堂から瑜祇塔までは男女の"還暦厄坂"と呼ばれる61段からなっている。納経所で、千円を一円玉に両替し石段を登りながら一段づつ一円玉を厄年の数だけ落としながら登ることで、厄落としができるとのこと。今年還暦の自分は、61段の厄落とし(賽銭落とし)をしました。

仁王門


本堂


大師堂


肺大師(ラジウムを含んだ霊水(瑠璃の水)が湧出しており、肺病など諸病に効くといわれる)


瑜祇塔






   

〔御厨人窟(みくろど)〕
 〒781-7101  高知県室戸市室戸岬町
 安時代初期に弘法大師・空海が修行をしたという伝説が残る海水の侵食によりできた洞窟。弘法大師はこの地で開眼し、洞窟の中から見えた風景が“空と海”だったので「空海」の法名を得たと言われています。四国八十八箇所の番外札所、日本の音風景100選のひとつです。









【第24番 最御崎寺】
室戸山 明星院 最御崎寺(むろとざん みょうじょういん ほつみさきじ)
 〒781-7101 高知県室戸市室戸岬町4058-1
 [ご本尊] 虚空蔵菩薩
 [ご真言] のうぼう あきゃしゃきゃらばや おんありきや まりぼり そわか
 「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。弘法大師が悟りを開いた場所とされる太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬。その岬の頂上にある最御崎寺は、第26番金剛頂時の通称"西寺"に対して、"東寺"と呼ばれる。

仁王門


本堂


大師堂


多宝塔


鐘石(叩くと鐘の音がする。この音は極楽浄土まで届くとされ、弘法大師の七不思議のひとつ。)






【第25番 津照寺】
宝珠山 真言院 津照寺(ほうしゅざん しんごんいん しんしょうじ)
 〒781-7102 高知県室戸市室津2652-イ
 [ご本尊] 延命地蔵菩薩
 [ご真言] おん かかかび さんまえい そわか
 通称"津寺"とも。弘法大師空が、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻み、本尊とし開いた寺。戦国時代には長曾我部氏、江戸時代には土佐藩主の山内氏が深く帰依。山内一豊が室戸沖で嵐にあった際にはご本尊の延命地蔵菩薩が僧に姿を変え船を操ってくれたことから"楫取(かじとり)地蔵"とも呼ばれる。
山門


鐘楼門


本堂


大師堂






【第26番 金剛頂寺】
龍頭山 光明院 金剛頂寺(りゅうずざん こうみょういん こんごうちょうじ)
 〒781-7108 高知県室戸市元乙523
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 室戸岬から西に向かうと土佐湾につき出したところにある行当岬。その岬の頂上に建つ金剛頂寺は、室戸三山の一つとして"西寺"の通称でも親しまれている。大同2年(807)、蘇我天皇の勅願によりお弘法大師が開基。

仁王門


本堂


大師堂




四国八十八ヶ所霊場巡拝の旅 〔其之五〕 第19番~第22番

2020年11月27日 | Ohenro88
  11月25日~12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん(八十八ヶ所霊場巡拝の旅』 (5)

3日目(11月27日)は、残り阿波3ヶ寺を巡拝し、高知県へ、室戸岬経由で高知市内へ向かいます。この日の朝一番は、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれる遍路転がしの第21番・太龍寺。太龍寺ロープウェイで、那賀川を下に、山を二つ越えての巡拝です。ゴンドラ内では、係のお姉さんが、剣山山系の山並みの眺望やニホンオオカミの像や、舎心ヶ嶽に鎮座する求聞持法修行大師像など説明してくれます。同乗の皆さんは、弘法大師の舎心ヶ嶽の修行の逸話など周知のようで納得顔。全く予備知識のない自分は何のことやらわからず、これから先の巡拝に、予習をしてくるべきであったと少々後悔の念を抱きました。その後、第22番・平等寺。そして、太平洋を望む海沿いに走り、第23番・薬王寺を巡拝。薬王寺は全国に名を馳せる厄除け寺。納経所で100円を1円玉に両替してもらい、厄除け橋を渡り、仁王門をくぐると、女厄坂33段、男役坂42段と続きます。厄払いのためこの石段を一段ごとに賽銭を落としながら上がっていくのがこの寺の厄払いの習わし。厄落としなので、賽銭を備えるのではなく落とすのだそう。今年、還暦の自分は61段、賽銭を落としながら登りました。さて、第23番・薬王寺にて、阿波(徳島県)発心の道場最後となります。そのまま海沿いを南下しれば、いよいよ人生初の高知県に足を踏み入れます。一路、高知県へ、この日の宿泊は高知市内となるロングラン。3日目(11月27日)の行程は以下のとおりです。

  11月27日(金)
     = (21)太龍寺《ロープウェイ利用》 = (22)平等寺 = (23)薬王寺 = 御厨人窟 =
     = (24)最御崎寺 = (25)津照寺 = (26)金剛頂寺 = (27)神峯寺 =
    【宿泊】オリエントホテル高知(高知県高知市升形5-37)


【第19番 立江寺】
橋池山 摩尼院 立江寺(きょうちざん まにいん たつえじ)
 〒773-0017 徳島県小松島市立江町字若松13番地
 [ご本尊] 延命地蔵菩薩
 [ご真言] おん かかかび さんまえい そわか
 天平19年(747)、聖武天皇の勅願により行基が光明皇后の安産を祈願し延命地蔵菩薩尊を本尊として建立。弘仁6年(815)、弘法大師が自ら6尺(約1.8m)の地蔵尊を刻み、寺号を立江寺とし、霊場第19番に定めた。

仁王門


本堂


大師堂


多宝塔






【第20番 鶴林寺】
霊鷲山 宝珠院 鶴林寺(りゅうじゅざん ほうじゅいん かくりんじ)
 〒771-4303 徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14
 [ご本尊] 地蔵菩薩
 [ご真言] おん かかかび さんまえい そわか
 標高470mの鷲が尾の山頂にあり「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれる難所。延暦17年(798)桓武天皇の勅願により、弘法大師が開創。大師がこの山で修行していると、雌雄2羽の白鶴が代わる代わる翼をひろげ、金色の地蔵菩薩を守護しながら、老杉の梢に舞い降りた。これを見た大師は、すぐに3尺(90cm)ほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に白鶴の金色に輝く地蔵菩薩を納めて本尊とし、寺名を鶴林寺と命名した。

仁王門




本堂


大師堂


三重塔






【第21番 太龍寺】
舎心山 常住院 太龍寺(しゃしんざん じょうしゅういん たいりゅうじ)
 〒771-5173 徳島県阿南市加茂町龍山2
 [ご本尊] 虚空蔵菩薩
 [ご真言] のうぼう あきゃしゃきゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか
 四国山脈の東南端、標高618mの太龍寺山の山頂近くにあり、"西の高野"とも称される。桓武天皇の勅願により、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像を刻み安置し開創した。「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれる阿波三大難所のひとつも、平成4年、開通したロープウェイにてアクセスは楽となった。



鐘楼門


本堂




御廟


大師堂


持仏堂 大廊下 龍の天井画




太龍寺ロープウェイ
(舎心ヶ嶽の岩上の大師坐像、5匹の日本狼像、はるか第20番鶴林寺の三重塔など見ることができる)




【第22番 平等寺】
白水山 医王院 平等寺(はくすいざん いおういん びょうどうじ)
 〒779-1510 徳島県阿南市新野町秋山177番地
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 弘仁5年(814)、弘法大師がこの地を訪れた際、心に薬師如来さまが現れ「あらゆる人々の心と身体の病を平等に癒し去る」という御誓願を立てます。そこで、加持水を求め井戸を掘ると白い水が湧き出し、その霊水で身を清めた大師が百日間護摩行を経た後に、薬師如来の像を刻み本尊として安置し。寺号を平等寺と定めた。 

仁王門




本堂


大師堂