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宮本恒靖引退試合〔備忘録〕

2012年07月21日 | Soccer
7月16日『宮本恒靖引退試合』観戦にホームズスタジアム神戸へ行きました。
自分にとって、宮本恒靖氏といえば、日本代表キャプテンのイメージ。
トルシエJAPANの代名詞「フラット3」の中心としてクレバーな守備が印象的。2002年日韓ワールドカップでは、鼻骨を骨折しながらもフェイスガードを着用しプレー。“バットマン”の愛称で話題となりました。
ジーコJAPANでは不動のキャプテン。2004年アジアカップ準々決勝ヨルダン戦は後の語り草に。試合はPK戦にもつれ込み、最初のキッカー中村俊輔、2番手三都主アレサンドロが荒れたピッチに軸足をすべらせPKを外してしまいます。これに対し、日本代表キャプテンであった宮本恒靖は猛抗議するだけでなく冷静に逆サイドゴールでのPK戦をレフェリーに要求。これが認められ、その後GK川口能活のスーパーセーブ、7番手で勝負を制したキッカーは宮本恒靖でした。このアジアカップ、勢いそのままに準決勝のバーレーン・決勝の中国を退け、日本は2大会連続のアジア王者に輝いています。この大会の勝負の分岐点は、準々決勝のPK戦であり、代表キャプテン宮本恒靖であったことは間違いありません。日本サッカー史に残るPK戦でした。
日本代表・宮本恒靖の最後の大舞台となったのは2006年ドイツワールドカップですが、残念ながら、ジーコJAPANは2敗1分でグループリーグで敗退。自身もイエローでブラジル戦は出場停止と不本意な結果。この年を最後に宮本は日本代表から姿を消すこととなりました。
日本代表通算71試合3得点、日の丸を背負い、日本の顔として戦い続けた宮本恒靖の魅力は、そのプレイスタイルだけでなく、キャプテンシーあるサッカー人、人間:宮本恒靖。チョーカッコえー。
今後は、FIFA Masterコースを受講するとのこと。是非とも指導者ライセンスを取得し指導者としての道を歩んでほしいものです。






「GAMBAフレンズ」


「TSUNEフレンズ」


「VISSELフレンズ」



試合前、元日本代表ジーコ監督よりメッセージが、


この日、スタジアムがどよめいたサプライズ


ヘッドコーチがピッチに


華麗なステップからのシュートも


宮本Jrと一対一バトル



青赤戦士も参戦していました








この日の大黒は空気が読めないくらいキレキレ、第1試合のゴール





宮本恒靖引退試合プログラムより




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