おてんきぷらぷら

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父の日、前日の父の思い

2010年06月19日 | NON
6月19日未明、119番救急隊から電話あり。「息子さんが急性アルコール中毒と思われる症状で全く意識がなく、多摩センターから、日野市立病院へ搬送するので病院へ来てほしい」とのこと。
え~、気が動転しつつ意外と冷静な自分。まずは、昨晩20:30まで飲食も既に6時間以上経過なので自家用車で行くこと、アルコール中毒ならば着替えが必要なはずと着替えの準備、毛布もいるかなあ、現金はいくらあっても困らないなど頭の中を巡ります。ひどく激しい雨、ハンドルを握る自分、ここで事故ったら目も当てられないと飛ばすことなく慎重な運転を心がけます。車中、最悪の状況・結果も覚悟をせねばと考えつつ、弱気になることはいけないと自問自答しながらの道中。さすがに真夜中、30分ほどで病院着。病室の前の廊下には息子のサークルのキャプテン他先輩たちが神妙な面持ちで3人ほど。事情を簡単に聞き、迷惑をかけたと先輩たちを帰宅させ、病室へ。既に応急処置(注射・血液検査・点滴中)をしている息子はベッドに横たわっています。医師から心配はないと思われるが、念のため脳波CTを撮りたいと説明を受け、息子はベッドごと重たそうなドアの向こうへ。ドアの上のランプは赤く灯り、まるでドラマのワンシーン。再び、救急病室に戻った息子、全く意識なし。自分の人生、息子の人生、自問自答を繰り返します。

身体をあたためてくださいとの看護師さんの指示もあり、二十歳の息子のおでこや頬、手足をさすってやります。息子の顔に触れたのは一体いつ以来だろう。妻と別れ、10歳の息子を引き取り二人で暮らし始め、当時“クレイマークレイマー”今どきの“イクメン”。ここ10年の息子との親子の歴史が甦ります。外が白みはじめた頃、息子がいびきをかきだし、呼ぶ声に反応。脳波も異常なしとの結果が出、後は意識が戻る=目が覚めるのを待つことに。安心とともに現実に引き戻される感じ。

結果、目覚めた息子は状況を把握し、反省と深謝。大事には至らず、ひと安心。若く、点滴たっぷりの彼の復調は思ったよりも早いものでした。

「父の日」の前日に、思わぬ出来事で物言わぬ息子と4時間ばかり対峙しました。息子にとって大変な出来事でしたが、自分にとっては、この10年を振り返る大切な出来事だったかもしれません。もう二度と味わいたくはありませんが。

さて、残念な余談がいくつか。①息子の携帯電話が無くなったこと(救急隊員の方は息子の携帯からの電話だったのですが、どこへいってしまったか。紛失に伴う機種変更を余儀なくされ息子は新しい携帯にご満悦のよう)、②治療費精算をしたところ入院扱いにはなっていなかったこと(入院扱なら日帰入院で5日分給付金がもらえる保険に加入していたのに)、③19日『TOKYOウォーク2010“浅草両国エリア”』不参加となったこと(金メダル資格喪失です)。
まあ、親子で良い勉強をしたと細かい事はあきらめるとしますか。

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