おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

三池港 [世界文化遺産]

2016年07月04日 | World Heritage in Japan
7月2日、Jリーグ2ndステージ第1節「サガン鳥栖 vs FC東京」にて九州遠征へ。
今回の九州遠征の目的のひとつが世界文化遺産“明治日本の産業革命遺産”巡り。震災を被った熊本からほど近い、世界遺産“明治日本の産業革命遺産”のひとつである『三池港』へ。20世紀において、三池炭の輸出を支えた物流インフラたる『三池港』は、三井財閥の団琢磨により、三池炭を大型船に積載し国外へ輸出するために1908年に築港されました。はばたく鳥のようなハミングバード(はちどり)の形状を保ち、遠浅の有明海からもたらされる砂泥の影響を克服するために設けられた長大な防砂堤、潮待ちの内港、潮位差を解消するための閘門を備えた船渠などの港湾施設が計画的に配置され、現在も重要港湾として機能しているのだそう。『三池港』の展望所にてボランティアの方に説明を受けました。また、『旧三井港倶楽部』は、1908(明治41)年、三池港の開港と同時に開館し、迎賓館としての役割を担いました。現在はレストラン、結婚式場として利用されています。連接する『三川抗跡』は、第二次大戦後、我が国の経済復興を担うべきものであり昭和24年(1949)には、昭和天皇がご入坑されました。一方で、昭和34-35年(1959-1960)、エネルギーが石炭から石油へ大きく変化する中、三井鉱山が大量指名解雇を実施するにあたりロックアウトを決行、対する組合側は無期限ストライキに入ります。これに60年安保闘争が結びつき戦後最大の労働争議がこの地で起きました。さらに昭和38年(1963)11月9日、三川抗第一坑内で炭じん爆発による大災害も発生、死者458名、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839名を出したこの事故は戦後最大の炭鉱事故であり労災事故でした。自分にとっては重たき歴史がなければただの廃墟ですが、良きに悪しきに歴史の舞台となった『三川抗跡』は当時を偲ぶに余りある遺産であることを実感させてくれました。


三池港 [世界文化遺産]





三池港閘門 [世界文化遺産]




旧三井港倶楽部





団琢磨像




三川抗跡



入昇抗口



第二斜坑







第一斜坑巻揚機室



コンプレッサー室



入車点検場





山ノ神神社