おてんきぷらぷら

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日本橋七福神めぐり

2016年01月10日 | NON
1月9日、『隅田川七福神めぐり』の後、午後からは『日本橋七福神めぐり』のダブルヘッダー。
日本橋界隈は5年前まで業務上の活動エリアで隅々まで周知していたはずなのですが、『日本橋七福神めぐり』は初体験。『日本橋七福神』は他所と異なり、すべてが神社で構成され、しかも日本で一番巡拝が短時間にできるということ。日本橋通りや人形町通りは、江戸下町の伝統を持つ繁華街。下町情緒に触れながら、水天宮以外の神社は初参拝、かつどれもが街中のこじんまりとした神社とのことで、探検気分で散策しました。訪れた順に、『小綱神社(福禄寿・弁財天)』『茶の木神社(布袋尊)』『水天宮(弁財天)』『松島神社(大國神)』『末廣神社(毘沙門天)』『笠間稲荷神社(寿老人)』『椙森神社(恵比寿神)』『寶田恵比寿神社(恵比須神)』。中でも水天宮が改修工事中とは知らず、まさかの仮宮が日本橋浜町に移転しているとは、浦島太郎を実感してしまいました。地下鉄、人形町駅を中心としたこのエリアは、東野圭吾の加賀恭一郎シリーズ「新参者」を思い出しながらのウォーキング。登場シーンはどこだったかきょろきょろしたり。楽しく懐かしく散策できました。少々の疲労感もよい感じ。「東京シティガイド」検定有資格者としての自分にとって、いつ来ても日本橋界隈は好きなエリアだということを実感した散策となりました。








【小網神社】福禄寿・弁財天
稲荷神社を主祭とし540年前(文政元年1466年)に鎮座した歴史の古いお社。福禄寿と弁財天が祀られています。太田道灌公の崇敬も篤く、社名も道灌公が名付けたといわれます。社殿が戦災を免れたり、同神社の御守を受けた戦地に赴いた兵士全員が無事帰還したことから、近年“強運厄除の神”として信仰を集めています。







【茶ノ木神社】布袋尊
「お茶ノ木様」と町内の人に親しまれている茶ノ木神社の御祭神は倉稲魂大神。この土地は徳川時代約三千坪に及ぶ下総佐倉の城主、大老堀田家の上屋敷であって、この神社はその守護神として祀られたもの。防災・生産の神様として信仰を集めています。





【水天宮仮宮 (宝生弁財天)】弁財天
安産・子受のお宮として超有名な水天宮。現在、本宮は改修工事中にて仮宮。久留米藩主の有馬公が文政元年(1818)久留米から分霊して江戸屋敷内にお祀りしたのが始まりです。有馬頼徳公が加賀藩主前田斉広公と宝生流能楽の技を競われた際、弁財天に願をかけ見事に勝利を収め、それ以来、宝生弁財天と敬われています。







改修工事中の水天宮




【松島神社】大国神
創建は口伝によると、鎌倉時代の元亨(1321)以前と推定される。明暦の大火(1657年)以前、周囲は歓楽街で人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者等、券\関係や庶民の参拝により賑わいました、祀られている大国神は破壊と豊穣の神として信仰されました。







【末廣神社】毘沙門天
当社は慶長元年(1596年)以前に稲荷祀として鎮座。この地にあった遊女町吉原の氏神として信仰された。延宝3年の社殿修復の際に中啓(末廣扇)が見つかったことから末廣神社と名付けられる。祀られているのは毘沙門天。勝負事に利益ありとして崇められています。







【笠間稲荷神社】寿老人
江戸末期安政6年(1859年)、笠間藩主・牧野貞直が、日本三大稲荷のひとつ茨城県の常陸笠間稲荷神社の御分霊を江戸下屋敷に奉納。以降、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰を集めました。寿老人は長寿の神にしてお導きの神・幸運の神として、人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神とされています。









【椙森神社(すぎのもりじんじゃ)】恵比寿神
創建は一千年前。田原藤太秀郷の平将門の討伐祈願や、太田道灌の雨乞い祈願などの記録の残る古社。祀られているのは恵比寿神。江戸時代には神田・柳森神社、新橋・烏森神社と共に「江戸三森」として信仰されました。







【寶田恵比寿神社】恵比寿神
元々は皇居前にあった宝田村の鎮守様です。運慶あるいは左甚五郎の作とも伝えられる祭壇中央の恵比寿神像は必見とのこと。