11月18日、久しぶりに帰省しない週末、茨城県内観光に鹿行(ろっこう)方面へドライブ。
『鹿島神宮』を参拝の後、神栖市の『池沢早人師・サーキットの狼ミュージアム』を訪問しました。1970年代半ば、我が高校生時代、世は空前のスーパーカー・ブームにあって、一世を風靡した週刊少年ジャンプに連載された池沢早人師氏の伝説の漫画“サーキットの狼”。『池沢早人師・サーキットの狼ミュージアム』は、その池沢氏のデビュー40周年を記念して開館、“サーキットの狼”に登場したスーパーカーたちが展示されています。
当時、高校1年生だったでしょうか、縁あって環八沿いのスーパーカーを並べていた外車屋さんで、展示されたスーパーカーの警備(?)磨き係り(?)とにかく展示車のそばに立っているアルバイトをしたこともあったりで、自分にとっても大変なつかしく感慨深いスーパーカーたち。ランボルギーニといえば、「カウンタック」に「ミウラ」。ャ泣Vェは、「911・カレラ」。フェラーリは、「ディノ」でした。特に、ガルウインドドアの赤い色の「ランボルギーニ・カウンタック」は、圧涛Iな人気でスーパーカーの代名詞。山口百恵さんの「プレイバックPart2」では、“緑の中を走り抜けてく真紅(まっか)な「ャ泣Vェ」”が歌われたり。とにかく、当時の少年たちにとって、スーパーカーは夢と憧れの的でしたし間違いなく社会現象でした。そしてスーパーカーを眺めるものから、運転するものとして意識させてくれたのが“サーキットの狼”だったのです。
さて、わざわざ訪問したのはほんとに大正解。あの頃のオーラそのままの名車たち。実際に走行可能な状態での展示に、心躍り血沸き立ちます。
歴史に残る秀逸の名車たちに出会え、しばしのタイムスリップに酔っ払ってくらくらも、いと楽し。
ロータス ヨーロッパ スペシャル サーキットの狼 バージョン
ランチア ストラトス
ャ泣Vェ911カレラR2.7
トヨタ2000GT オープンバージョン
フェラーリ ディノ 246GT
ランボルギーニ ミウラ P400S
BMW3.0CSL
フェラーリ308GTB
ランボルギーニ カウンタック LP400S
マツダ コスモスメ[ツ
マセラティ カムシン
フェラーリ512BBi
デ・トマソ・パンテーラGTS
F1(1992シーズン) ロータス107C
『鹿島神宮』を参拝の後、神栖市の『池沢早人師・サーキットの狼ミュージアム』を訪問しました。1970年代半ば、我が高校生時代、世は空前のスーパーカー・ブームにあって、一世を風靡した週刊少年ジャンプに連載された池沢早人師氏の伝説の漫画“サーキットの狼”。『池沢早人師・サーキットの狼ミュージアム』は、その池沢氏のデビュー40周年を記念して開館、“サーキットの狼”に登場したスーパーカーたちが展示されています。
当時、高校1年生だったでしょうか、縁あって環八沿いのスーパーカーを並べていた外車屋さんで、展示されたスーパーカーの警備(?)磨き係り(?)とにかく展示車のそばに立っているアルバイトをしたこともあったりで、自分にとっても大変なつかしく感慨深いスーパーカーたち。ランボルギーニといえば、「カウンタック」に「ミウラ」。ャ泣Vェは、「911・カレラ」。フェラーリは、「ディノ」でした。特に、ガルウインドドアの赤い色の「ランボルギーニ・カウンタック」は、圧涛Iな人気でスーパーカーの代名詞。山口百恵さんの「プレイバックPart2」では、“緑の中を走り抜けてく真紅(まっか)な「ャ泣Vェ」”が歌われたり。とにかく、当時の少年たちにとって、スーパーカーは夢と憧れの的でしたし間違いなく社会現象でした。そしてスーパーカーを眺めるものから、運転するものとして意識させてくれたのが“サーキットの狼”だったのです。
さて、わざわざ訪問したのはほんとに大正解。あの頃のオーラそのままの名車たち。実際に走行可能な状態での展示に、心躍り血沸き立ちます。
歴史に残る秀逸の名車たちに出会え、しばしのタイムスリップに酔っ払ってくらくらも、いと楽し。
ロータス ヨーロッパ スペシャル サーキットの狼 バージョン
ランチア ストラトス
ャ泣Vェ911カレラR2.7
トヨタ2000GT オープンバージョン
フェラーリ ディノ 246GT
ランボルギーニ ミウラ P400S
BMW3.0CSL
フェラーリ308GTB
ランボルギーニ カウンタック LP400S
マツダ コスモスメ[ツ
マセラティ カムシン
フェラーリ512BBi
デ・トマソ・パンテーラGTS
F1(1992シーズン) ロータス107C