生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

思い通りにいかないと、すぐぷーっと、ふくれる人:「私は誰?」シリーズ

2013年11月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
子供はまあ、しょうがないとして、大の大人でも、思い通りにいかないとすぐ、不機嫌になる人がいます。私も末っ子でしたので、あまり人の事は言えません。20代後半には自分であきれ果てたことがあり、こうして書いていても汗が流れてきます。自己愛パースナリティ障害を判断する基準となる一文「絶え間なく注視と賞賛を希求する自己顕示的態度」です。無視されるほど、切ないものはありませんが、ほどほどに注目されて生きていかないと、なんだか、自分の存在価値が無いようで切ないものです。私の父は13人兄弟、全員明治か大正の生まれ、その末っ子の叔父さんは、どこぞの校長先生で定年をむかえましたが、昭和30年代、私が東京から故郷長岡に帰った折に、久しぶりでお会いしても、昔話になり、しばしば聞かされた話がありました、その話といいますのは、その叔父さんの朝食の御膳には、末っ子の自分には時々、ゆで卵が無かったので、にわとり小屋で卵を、にわとりが産むまでまっていたそうです、明治か大正時代の越後の話です。家庭でも職場でも、特に上司が部下を心から褒めてくれないと、日々がとても面白くなく、やる気がおきないものです。人間はその程度の弱い動物なのです。「ふん、人の褒め言葉なんといらないよ」と強がりを言う人はいませんか?その人は案外攻撃に弱いものです。素直に互いを褒め合い励まし合いながら生きていくように設計されているのが人間です。けなし合うコミュニテイを見たことがありますか?会社でも、部署でも、けなし合うコミュニテイは幸福感、平安感はあまりないようです。御世辞を言う必要はありませんが、互いの長所、個性の美を大事にしあうコミュニテイに生きる人は幸せです。人の短所は愚かな人ほど探すのがお上手、と言われていて、人の長所、個性の美を探せる人ほど人柄と頭脳が優れている、と言われています。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:114>


自分の生き甲斐を探究されている方々へ:
(1)テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

(2)気楽に広く理論だけを学習したい方は、この私のブログの左記の「カテゴリー」欄をご覧下さい。
その第1章「愛の領域」から11章(カリタス カウンセラーの基本とは)を見ながら思索すると楽しみながら勉強することが出来ます。

(3)この記事は2005年12月10日から2012年4月6日までの約6年間にわたり私が全力投球して系統的に理論を分かりやすく解説した2275回分の記事です。第1章から11章までを日常の言葉を使用ながら書いたものです。貴重な資料ですので是非大事に読んで下さると有難いです。

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理想から人を批判し、現実の自分を無視している人:「私は誰?」シリーズ

2013年11月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分をさしおいて、自分がこうありたい、こうあらねばならないという生育史上の理想の領域から人を批判する人がいます。人類の歴史からみれば、こういう人を悪いと断言するのは、いかがかとは思いますが、自分の身近に、もし、こんな友人がいたら、さぞかし疲労していくことでしょう。人類の歴史では自分はさておき、理想像を激しく追及してフランス革命、ロシア革命、明治維新なども流れていくわけですし、周囲の日常生活でも発展もありますので、一概に理想から人を裁く、批判する傾向を悪いとは言い切れない面もあります。しかし、日々の生活で、身近な友達が自分の事をさておき、ばんばんと私の事を攻撃、批判してきたら、逃げ出したくなります。自己愛パースナリティ障害の論文の中に「限りない成功、権力、知性、美、あるいは理想の愛といった空想への没入」という言葉があります。この言葉を中心に自己愛パースナリティ障害かどうかセラピストは検討していきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:113>


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直ぐ相手を侮蔑したがる人:「私は誰?」シリーズ

2013年11月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日常生活で、相手が少しでも何かを知らないと、馬鹿にしたような、侮蔑したような言葉を吐く人がいますが、この傾向の人には要注意です。自己愛パースナリティ障害という少々厄介な領域がありますが、この対処の時に参考になるのが「自己の重要性、ユニークさに関する誇大感」というチェックポイントがあります。この意味は、例えば、「私はあなたと違い、とても個性的で、あなたよりはまともよ、とても大事な仕事もしているし、お金もあるし、社会的な地位もあるのよ」と言葉にはしませんが、意識のどこかで相手を低くみている人の話です。自分の傲慢性を反省して人と対等な感覚」を取り戻せば、その人も本当の友達が生まれますが、いつまでも、このような意識を所持していると心温まる親友を造るのは多分、永久に不可能でしょう。これから難しい領域ですが私自身の反省をしつつ「自己愛パースナリティ障害」の事例を考えていきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:112>


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変な人:「私は誰?」シリーズ

2013年11月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
変な人、と感じる相手を大雑把に整理すると(1)自分勝手で憶測しがちな人、(2)気取った気分屋さん、(3)臆病で心配がり屋、と3つに大別出来ます。自分から相手を見て、変な人、と五感と体感で感じる場合を、臨床心理学として整理するとこうなるわけです。しかし、70億の人類の一人一人がそれぞれ相手を変な人、と感じていたとすると、どうなるのでしょうか? そこで「自分以外は全て驚きの対象」という仮説も生まれてきました。どこからが病理で、どこが健全かは、その文化で、国で、宗教で、家庭環境で、相当違ってきます。精神病理学でも、学派により、解釈が非常に違います。こんな社会ですので、人類社会での平和構築の際には「愛と許し」というとても重要な哲学も生まれてきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:111>


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不安がる人、臆病な人:「私は誰?」シリーズ

2013年11月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
責任をとるのが嫌いで、度胸もなく、いつも不安がり、臆病な相手には嫌になることがあります。
いつも人のせいにするし、社会のせいにしますので、会話がイライラしてきます。このタイプの背景には回避性、依存性、強迫性、受動的だったのに突然理由の無い攻撃を開始するなど、とかく驚く現象が頻繁に身辺に生じます。この精神現象を日々、体験している場合は、少々、これからの対処方法を真面目に考え始めたほうがいいでしょう。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:110>


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演劇的、感情的、気まぐれな人:「私は誰?」シリーズ

2013年11月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の相手はどうみても「気まぐれで、感情的で、演劇的」な人と感じたらその感覚を大事にしたうえで対処していく必要があるようです。この背景には演技性、自己愛性、反社会性、境界性の香りが少しあるからです。最初は素晴らしく見えても、すこし心のふれあいが深まると、この傾向がちらちら見えてきます。感情を抑えられない人には注意しましょう。感情が爆発し自分を暴走させる人が相手の場合は、こちらが余程愛しているか、心地よい何物かを所持している人なら、双方は幸せですが、我慢が出来ない相手の気まぐれならば、それは悲劇の始まりかもしれません。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:109>


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奇妙な人:「私は誰?」シリーズ

2013年11月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
あなたから見て相手が奇妙な人、と本気で思っているなら相手は本当に奇妙なのです。五感と体感で奇妙だ、と感じているのに、自分の見る目が無いとか、人生経験がないからと劣等感的に自分の感じ方を否定しつづけ、我慢していると、色々と支障が出てきます。奇妙な相手だと感じたら、正直に自分の感性を信じたほうがよさそうです。折を見て、相手に奇妙な所を喧嘩をしないで正直に伝達してみましょう。この数回の努力をしないで離別していくと人生の幸福はいつまでも手に入りにくくなるようです。深層心理学では「自分以外は驚きの対象」という仮説がありますが、それでもなお自分の五感と体感で相手が奇妙な人と感じたら、その感覚を正中線に置いて、その上で色々対処したほうがいいでしょう。相手もあなたを変な人、と感じている場合が多いので、喧嘩をしないで明るく楽しく「生き甲斐の心理学」を仲介として語り合えば、そう軽率に別離だけの人生をおくらなくて済む場合が多いのです。生き甲斐の心理学は人々を幸せにする為に存在しています。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:108>


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愛は半々?:「私は誰?」シリーズ

2013年11月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
家族、友人、恋人、夫婦、親友等の人間関係を観察していると、長く続く事例、直ぐに破綻する事例、色々です。この問題での「他者分析」は殆ど不可能に近いので、「自己分析」を中心に考えていきます。「私とあなた」と言う二人の関係の中での自己分析に焦点をあてつつ、話を進めます。つまり自分の生育史を大切にしつつ、自己分析をしないと暖かい愛は、どう育てられるか理解出来なくなります。現代はさっさと離別していきますが、生き甲斐の心理学を学習しつつ、悔いの無いように、軽率に離別しないように考えながら「明るく楽しく爽やかに生き抜いて」いきましょう。さて、愛は半々、自然体でお付き合いしていても、愛は半々、どちらかの意識の中に、いつも自分が損をしている、と不満があれば、その関係は永続しません。両方が自分はいつも損ばかりしている、いつも犠牲を払い続けているのは私、愛と許しという関係から洞察してみても、いつも自分のほうが許しているけれども、相手はその事に気づいていない、等など、この識別は非常に難しい領域です。どう考えたらいいのでしょう?この自己愛パースンリティ障害という領域はデリケートなので、少々時間をかけて論を進めます。相手に期待するのは人情ですが、ここでは堂々と自分を中心に考えていきます。自分の正中線をきちんと整え、その上で、周囲の人々の幸福を考えないと、周囲まで巻き込んでしまい、そのコミュニティ全体がふわふわと空を流れる雲のように安定しませんので、まずは自分を草原の中の大木にした上で、周囲の幸福を考えていきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:107>


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大好きなお母さんのイメージと自分の人生:「私は誰?」シリーズ

2013年11月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大好きなお母さん、と言うイメージがありますと、そのイメージが子供達に生涯、影響を与え続けます。良い意味でも悪い意味でも影響は非常に大きいようです。愛の原型と言われているものです。この愛の原型は意識、無意識の世界で、その子供たちの将来の判断基準になつていて、結婚する相手の選択も母親に似ているか、母親の反対の性格か、その子供たちの感覚が相手を選択していきます。ふーん、ほんとかなあ、と思う人がいたら、自分の生育史での親友、悪友、仕事上のパートナー等、周囲の人間関係の選択の際に、母親のイメージと比較考察していくと、心理療法を学ぶ学徒にはよき勉強となるでしょう。特に恋人の選択の際は、この幼少時代の母親のイメージは意識、無意識の世界で非常に大きな基準であることは間違いありません。愛の原型を考える際の幾つかの問題点を考えていきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:106>


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グレートマザーの支配とは何?:「私は誰?」シリーズ

2013年11月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法上の話ですが、私が母親の支配を未だ受けているなあ、と感じたのは母が死んで6年が経過した頃でした。未成年時代は親権もあるし、食べさせて頂いているわけですから、色々我慢するのが当然でしょうが、母が死んでいるにも関わらず、何故、母に支配されていのだろう、と真剣に悩んだものです。なまじ心理学を学びユングのグレートマザーという概念を知ったばかりにパンドラの箱が開いてしまったようです。知識は人を苦しめますので、なまじ知らないで生涯を送ったほうが良い場合もあります。丁度、文明開化の波が日本を襲った明治時代のような苦しみが、誰にでもあるのですが、このグレートマザーの支配という概念を学ぶと心の世界にも大きな混乱が起きてきます。このグレートマザーの支配という領域について暫く考えます。無意識で母に支配されていると、支配されている人は生涯、大きな問題を内蔵したまま、生きていく羽目になります。健全な支配、病的な支配、についてしっかりと意識化しておきましょう。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:105>


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健全な慈愛と病的な慈愛の識別:「私は誰?」シリーズ

2013年11月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何が病的な慈愛で、何が健全な慈愛か、を識別するのは大変です。「人は慈愛を大切にすべきだ」と意識している事例を検討します。慈愛は人の道として重要な理想なのですが、或人の周囲はとても迷惑している事が多いのです。本人が命がけで理想の道を歩んでいこうと努力しているのですが、周囲、特に相手はとても迷惑を感じる場合が多いようです。父親が臨終の時、それぞれ信じる宗教が違う子供たちが、それぞれ信じる宗教から、父親の枕元で色々言うので、やっと手を持ち上げて、手を振り、もう「がちゃがちゃ言わないでくれ」と懇願する話を聞いたことがあります。子供たちは満ち溢れた愛で語りかけるのですが、宗教を持たない父親は多分、ウットオシク思い、必死で手を振ったのでしょう。生き甲斐の心理学では健全な慈愛、と病的な慈愛を、どのように識別するかと言いますと、相手が慈愛だと五感と体感で感じ取れる慈愛を健全な慈愛と解釈しています。こちらが健全な慈愛だと信じて命がけで事を進めても対象である相手が慈愛だと解釈しないでおせっかいだと感じれば、それは慈愛ではありません。心理療法の世界では時々、私はこんなにあの方を愛しているのに、あの方は愛を理解してくれません、とノイローゼになり相談に来ますが、相手の深層を傾聴していくと、迷惑です、の一言で終わりです。愛の定義は神話、民話、宗教、哲学、経済学、政治学、その他の学問で素晴らしい定義をしていますし、それはとても大事なことです。心理療法の世界では患者さんが愛だ、と感じるものが愛なのです。そこからカウンセリングが始まります。患者さんの感じる愛が病的だとしても、時間をかけて、異常な愛と健全な愛の論理療法が開始されますが、生育史が深く関わっていますので、考え方、解釈の仕方を変えていく作業は何年もかかる場合があります。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:104>


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健全な慈愛と病的な慈愛:「私は誰?」シリーズ

2013年11月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
知人の宗教家が臨終の時に某女子がお見舞いに行き枕元でわあわあ泣きました。知人の姉が私に電話をしてきて、あの方と弟と、どんな関係だったのか教えて下さい、と電話がありました。この事例を分析するのは難しいのですが、世間の常識では臨終の枕元で泣き崩れる女性を、訪問された親戚は心配するのがあたりまえでしよう。後で聞いた話ですが、泣き崩れた本人は見舞いに行って本当に満足したそうですが、その友人はあきれ果てて説教したようです。さて、話は変わりますが、Aさんは慈愛深い方として有名です。しかし、或人に言わせれば、おせっかいだ、と解釈しています。慈愛だと解釈する人もいれば、おせっかいだと解釈する人もいて色々です。病的な慈愛、健全な慈愛、という研究課題は心理療法ではとても大切なので、この問題を考えていきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:103>


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慈愛と支配は当然な精神現象、なれど?:「私は誰?」シリーズ

2013年11月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
好きな人の事は気になるのが当たり前で、意識、無意識で支配したくなるのが本能でしょう。しかし何故か、古代の神話にも見られますが、自分の慈愛を注ぐ相手を支配するような精神に対して理性、教訓、色々の教えは警告を発しています。何故かといいますと、人間には「自由意思」があり、その自由意思を侵害すると、人は不幸になることを古代の人々は気づいていたのでしょう。自由意思は非常に重要なものですので、慈愛と支配の問題点を意識する場合、この人間の自由意思を尊重するかどうか、その視点を大切にする必要があるようです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:102>


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戦場で「お母さん」と言って戦死する若者:「私は誰?」シリーズ

2013年11月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
年齢により今日の首題に関心がある人、無い人、様々でしょうが、世界各地で聞く話です。何とも哀しい話ですが、戦場で死ぬ時、しばしば若者が叫ぶ言葉らしいです。ロシアの戦線でも南太平洋でも実際にその叫びを聞いた人の話を私は幾つも知っています。母の愛情は私にとりましても深いものがあり生涯、感謝し続けています。愛の元型のさいたるもので、この愛の姿と思い出とその折々の感情が私が生き抜いていく時の愛の感性の素をなしているようです。幼児時代に不幸にして、このような母の愛が無くても、その後のそれぞれの人生の中で、自分を愛してくれた人は必ず存在しています。愛し愛される幼児時代、少年時代、青年時代の思い出は大事にしておきましょう。その愛の元型について暫く思索していきます。母の慈愛、グレートマザー、私の心理療法の中で、この愛をどうとりあつかつてきたか、いかにこの母の愛の世界に私は支配されてきたかが今回の思索対象となります。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:101>


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グレートマザー:「私は誰?」シリーズ

2013年11月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ユングは「慈愛と支配の二面性を持つ母の元型」をグレートマザーと定義しています。さて私の母は私が高校生の時に40代で死亡しました。母に向かいぶつぶつ文句を言いながら学校に向かい、高校の昼休みの時、柔道場で練習していた折、校内放送で至急呼び出しがあり、急いで家に帰ると母は病から意識を失いお医者さんの治療を受けていました。洗濯物を干している時、突然、めまいで倒れたようです。母を失った後は、夢の中で、母親を探しに旅に出る夢をしばしば見たものです。母親の子供に対する慈愛と支配は、どこからどこまでが慈愛で支配なのか、その識別は非常に困難です。社会で大活躍をしている男性や女性の心の病の原因が、幼児時代の母からの影響が遠因の事例が実は沢山あるのです。このグレートマザーについて暫く考えてみます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:100>


自分の生き甲斐を探究されている方々へ:
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(2)気楽に広く理論だけを学習したい方は、この私のブログの左記の「カテゴリー」欄をご覧下さい。
その第1章「愛の領域」から11章(カリタス カウンセラーの基本とは)を見ながら思索すると楽しみながら勉強することが出来ます。

(3)この記事は2005年12月10日から2012年4月6日までの約6年間にわたり私が全力投球して系統的に理論を分かりやすく解説した2275回分の記事です。第1章から11章までを日常の言葉を使用ながら書いたものです。貴重な資料ですので是非大事に読んで下さると有難いです。

いつもクリックして下さり有難うございます。
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