生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年09月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
あなたにとって暗い感情を呼び起こす色を一つあげるとすると、どんな色でしょう?若いころ、イギリスの大学研究室での心理療法の期末試験に<あなたにとっての暗い色を一つあげて下さい>というのがありました。世界各地から来ていた青年たちがあげた色を、それぞれが、その違いと解釈に驚き、そして、暗い世界、病理の世界をもたらす遠因について何かを悟ったようです。私が<暗い>と感じていた色をイギリス人のw君には喜びの色でしたし、インドからきていたN君には愛の色でした。このように暗いと感じているものを絶対に信じてはいけない、暗いと解釈して自殺などしてはいけない、心の病に自分を追い込んではいけない、と私も他の研究生も気づいたようです。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年09月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
暗い感情は人類の宝物、というお話。意気投合して愛しあい結婚したいと思うのですが、何となく踏み切れない、その理由がわからず悩む若い男女は沢山います。人間は自分の悩みやストレスが何処からくるか分からないのが普通です。ですから私のような職業が世界中にあるのです。さてストレスとか暗い感情は一見疎ましく思われていますが実はこの暗い感情が一番大切な知恵の源です。第5章のストレス曲線に入りました。暫く有名なストレス曲線を学びます。暗い感情は人類の宝だからです。これから暗い感情をダイヤモンドに替える方法を学びます。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年09月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
古代の神話が現代人に語り掛けていることを楽しみながら勉強しようというお話。古代からの世界神話を色々比較してみると何が健全な心か分からなくなります。ギリシャ神話のゼウスは牛になったり鳥になったりして美しい女性をわがものにしますし日本神話のイザナキは愛妻イザナミの腐敗した身体に怖れ逃げ出したりします。外観だけを見ていると何が健全で、何が病的か、分からなくなりますが、冷静に読み解くと美しいもの、汚いもの、永遠のもの、はかないものをキチンと語っています。特に自分の感情、本音、好き嫌いを正直に表現すること、人生の諸問題から逃避せず堂々と正面から戦うことが幸福への道であることを全ての神話は暖かく語り続けています。違う人種から生まれている神話ですが、同じ事を語りうるのは何故でしょう?人類は本来、互いに親密になりたくてたまらない存在なのです。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年09月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
孤独死とか自殺防止とかを職業上、対応することがあります。私の人生経験によれば、生き抜く決意をしていない人は生きる楽しみの感度が低いのです。何らかの環境と教育で生きる楽しみを背中で教えてもらえなかった幼少期が原因ですが、逞しく明るく元気に生きていこうと決意し意識ている人は少ないようです。人生のどこが楽しいのか、結論は人の役に立つ決意と志がないと、本当の生き甲斐、生きる楽しみ、五感と体感の感動の燃焼は半減します。どんな環境になっても明るく楽しく爽やかに生き抜く決意をすると天は味方してくれますし生きる喜びを永続的に、泉が湧くように自然に感じさせてくれます.

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年09月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
五感は何を意味するか、というお話。哲学の話ですが、人間が持つ五感の意味は色々ありますが、その中で私が成程、と思う説をお話します。古代から人間は、あの世はあるか、魂はあるか、と信じたり、疑ったりして人はそれぞれの道を歩いてきました。魂があると信じた或る賢者たちは、五感は確かに生物体としての勘違いや、その他いろいろ問題がある領域でもありますが、五感は魂の世界を予感させるものと考えた人々もいます。五感から観えてくるあの世の美しさ、神々しい香り、恋人の肌から感じる暖かいぬくもりから感じる神仏の愛、美しい音楽の世界から感じるあの世の喜び、一度、そんな視点で永遠の親密性を考えるとあの世の世界が楽しくなります。今回の臨死体験で、理論を超えた神秘的な体験をしましたので、今後、益々、学問を大切にしつつ、我流の哲学に陥らないよう注意して生きていきたい、と思います。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年09月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心地よい礼儀は最高の愛、というお話です。親密性が高まるとお行儀が悪くなる人、品位の低下する人、動物的な本能丸出しになる人、相手をけなし傲慢になる人、こうなると愛は育ちません。互いにそれを好む男女は犯罪に走りやすい人々でしょう。太陽も月も数百年後までその位置を計算できますが、その動きにサムシンググレートの存在を感じます。そのように人間の親密性の中にも心地よい礼儀と秩序を感じない愛は永続しません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年09月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
親密性は美しい、というお話です。欧米での心理療法の試験で落第点をつけられる難しい問題の一つが<何故、親密になるのを恐れるのか、その理由を述べよ>です。欧米の人の挨拶は日本人から見れば信じられないほど親密な表現をしています。しかし試験ではこの質問で落第するのは欧米人で、東洋人の方が合格率が高いのです。健康な人はどの文化圏でもいつも開放的で瞬時に他者と自由な関係が持てます。親密性にこだわる訳でもなく、健康的な親密性を自由に深めたり避けたりしつつ心の緊張もなく人生を楽しんでいます。幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感)を心から味わえる前提がこの親密性です。愛の世界を実現する最高の親密性を深く思索してみましょう。この親密性を深く研究していきますと、神仏の慈愛を感じやすくなるので、宗教心理学では、この課題を大事にしています。日常での周囲の人々の愛を深く感じる人ほど、健全な神仏の愛を体感できるそうです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年09月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
読者の皆様、憩室出血という病気も快復し、おかげさまで元気になりましたら、また、第15章の続きを書きたくなりました。何故か分かりませんが。宜しくご愛読下さい。多分、元気になりましたら、愛と感謝の日々などというテーマよりも、更に新しい人生を開拓したくなったからかもしれません。さて。男と女、人類と神仏、親子、友達、職場の人間関係、それぞれの関係に於ける親密性のあり方を思索していないと、上手な心理療法は出来ません。関係と時と場所をわきまえないで、その親密性を求める所に悲劇が生まれます。職場の人間関係の中で夫婦の親密性を上司や部下に無意識で求めていたら不満と恨みが残るだけです。親子の間で甘えのみで求めあったら互いに爆発するばかりです。愛の姿は関係性と時と場所で変化するのが自然で、微妙な変化を互いに楽しめる大人の男と女は本当の知恵者の愛を楽しめるでしょう。
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年09月22日 | 第16章ホモサピエンスの愛
元気に生きていたのに突然大腸憩室出血という病気で救急車騒ぎで大勢の皆様に迷惑をかけてしまいました。その際に頂いた友情、愛情、言葉にならない親切、本当に有難うございました。さて長い人類の歴史を勉強していきますと、信じられない非道、恐ろしい復讐、戦争、反乱等で人間不信に陥りますが、自分自身の人生では、あまり、そのような歴史上感じるような恐ろしい状況は、ないようにも感じますが、細かく回想すると、結構、1970年代の南米、1960年代のロシアでの体験、1980年代のアイルランド ベルファーストのIRAの体験があるようです。しかし、何故か私は鈍感なのか、当時はあまり恐怖心がありませんでした。しかし、今回の憩室出血では、臨死体験をしました時に、その時はあまり感じませんでしたが、退院後、何故か、急に死ぬのが怖くなりました。その辺りの心の変化を考えてみたくなりました。若い頃、感じなかった死への恐怖がこの病気の後、何故、死が怖くなったのか?神様の愛を信じている私が、何故、自分の死が怖くなったのか、思索してみたくなりました。
皆様は自分の死を、どう感じておられるのか、ともに嫌な課題ですが、明るく爽やかに、思索していだだけると幸い。


下記の本を時々参照させていただきながら思索しています。感謝です。
(1)人生が変わる英語の名言:晴山陽一著:青春文庫:
(2)ミトコンドリアの新常識:NHK取材班:NHK出版
(3)愛の祈り:ジャンガロ著:大滝玲子訳:女子パウロ:
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年09月16日 | 第16章ホモサピエンスの愛
今回は自分の体の中で働いてくれているミトコンドリアについて思索してみます。世界の名作を読む習慣も幸福への道ですが、自分を支えてくれている貴重な身体の、色々の働きについて意識化し、その働いてくれている色々のものに感謝する習性も「生き甲斐の心理学」ですので、一緒に考えていただけると幸いです。さて、優しい人々に囲まれ、明るく元気に生きていられる自分に感謝している人、逆に、不満をいつも口にして暗い日々を生きている人、それぞれ人生の事情があり、その生き方を軽率に批判は出来ません。さて、ミトコンドリアという言葉は今では、世界に知れ渡っていますが、時々、このミトコンドリアについて思索したほうが益々幸せ感を感じることが出来るようです。ご存じのように私達人間は約60兆の細胞で構成されていて、赤血球を除いた、その一つ一つにミトコンドリアが存在していて、素晴らしい働きをこつこつと働いてくれているお陰で人間は生きています。このミトコンドリアの働きを知ると人生が変わります。どう変わるかといいますと、元気にいきていますと、ついつい人は自信過剰となり知らず知らずに傲慢になっていくようです。良い友人や先輩が身近にいますと、日々、順調にながれますが、元気ですと、ついつい自分の体を粗末にしてしまいます。最近、私も、こりごりしたことがあり、大いに反省しているところです。人と自分を哀しめてしまいました。他者や自分を寂しい想いにさせる事の反省をしている日々ですが、これからは本物の愛情、友情、思いやりとは何かを、再度思索しつつ生きて行こうと考えている時、ふと或本を書棚にみつけ再読している内に、自分の体で働いていたミトコンドリアに想いがいたった次第です。こんな身近に素晴らしい友、ミトコンドリア君が存在していたのを長らく忘れていました。真の愛とは何か、人と自分を大事にするとはどういう事なのか、もう一度、青年に戻り、初心に帰り、古代の歴史に戻り、地球の色々の国の文化を新鮮な目で、もう一度楽しもうと胸がどきどきしています。ホモサピエンスの歴史を真の愛とは何か、という視点から楽しく思索していきたいもの。


下記の本を時々参照させていただきながら思索しています。感謝です。
(1)人生が変わる英語の名言:晴山陽一著:青春文庫:
(2)ミトコンドリアの新常識:NHK取材班:NHK出版
(3)愛の祈り:ジャンガロ著:大滝玲子訳:女子パウロ:
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年09月10日 | 第16章ホモサピエンスの愛
1984年に亡くなったアメリカの教育者・ベンジャミン・メイスという方の名言に「人生の悲劇は、目標が達成できなかったことにあるのではなく、達成すべき目標をもたないことにある」という言葉があります。私達、生き甲斐の心理学で言うところの「自己実現への道」を意味していますが、このメイスさんの言葉は素晴らしいですが、まてよ、というスタンスも大事です。といいますのは、目標が明白でも人生の悲劇はやまほどあるからです。ここではホモサピエンスを悩ませる交通事故、病気、自然災害を、どう解釈するかを思索していきます。これらは、私達の人生が狂わせます。真面目に生きている人々に、何故、悲劇があるのか?ニュースをみれば、すぐ分かります。民話、宗教、哲学を学んでも、自分が心底、納得できる解釈に出会うまで、この虚しさは解決出来ません。さて、最近、思わぬ突然の病気(憩室出血)で、私も相当、大きなショックを受けていたようで、退院して3週間くらい経過し、元気になりましたが、今後の生き方の解釈に大きな変化が出始めています。生きる目標とか日々の在り方は、案外、明確ですが、湧き出す感情が、退院以降、信じがたい「虚しさ」を感じだしていることです。湧き出す感情には深い意味があると長年勉強してきただけに、自分のあまりにも虚しいこの感情を、どう扱うべきか、今、考えています。解釈の方向は、多分、日常生活で関わる家族、親戚、学友、知人とのかかわりへの在り様だろう、と思います。愛と感謝と祈りの生活、というと、何か気障で恥ずかしい感じもするのですが、日常で感じる愛と感謝と祈り、とは、具体的に、私の場合、どんなことなのか、今、思索しています。この虚しさという感情を何故、神様が私に与えているのか、予感ですが、これを乗り越えられたら、大きな幸せが直ぐそばにきているのもと、何となく感じています。


下記の本を時々参照させていただきながら思索しています。感謝です。
(1)人生が変わる英語の名言:晴山陽一著:青春文庫:
(2)ミトコンドリアの新常識:NHK取材班:NHK出版
(3)愛の祈り:ジャンガロ著:大滝玲子訳:女子パウロ:
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年09月05日 | 第16章ホモサピエンスの愛
私の若い頃のお気に入りの言葉に「恋とは、二人で一緒にバカになることである:ポール・ヴァレリ」がありました。今、想うに、幼稚園時代から大学生徒時代はいつも片思いでしたし、社会に入り結婚するまでも、恋と言える体験はあまりありませんが、一人空想に耽りあの方、この人と心騒がせた思い出はあります。親友の恋を実に冷静な醒めた目で観察したり、小説を読んだりしている内に、このヴァレリの言葉に触れていたく感心し、少々、己の青春の侘しさをひがみながら、この言葉に納得したものです。しかし、もう少し、真面目に、正直に思索すると(当時、変な倫理観があったようで何故か、恋愛を恐れていたようです)、案外、激しい恋をしていたようです。気障なようですが、人間を愛するときは、いつも、神様の愛の領域(今から想うに、どうも軽薄な倫理観なようでしたが)でもありましたし、年齢が高くなるにつれて、神聖な愛を体感していたようです。愛と性という言葉はあまり好きではありませんが、人間らしい五感と体感を神様の前でも恥ずかしくない感覚がしっかりと存在していたのも事実です。新旧聖書に言葉として表現されたいる作品としては雅歌があります。あの愛の言葉での表現は、今でもあの言葉で愛を表現したいという憧れの世界でもありますが、日常生活で感じる人間の何とも言えない優しさ、美しさ、友情、愛情は実にこの世の宝物です。これからも明るく爽やかな感情を大切にしつつ、学びの友たち、生き甲斐の心理学を学ぶ学友達と、ホモサピエンスの長い長い精神史を学びつつ、これからの人生を大いに楽しく生きていきたいなあ、というのが今朝の心境です。人生で初めての入院生活と少々、危険な病状を体験し、何となくあの世とこの世を往復したような、夢か現か、幻聴なのか現実なのかの識別が難しい時空の体験をしたせいか、今、現実に生きている喜びをしみじみと感じる毎日です。これからも私をしる皆様、人生の友として、かつ、魂の友として、宜しくお付き合いいただけると幸いです。友人、学友のありがたさをこんなに感じるのは何故なんだろう?、


下記の本を時々参照させていただきながら思索しています。感謝です。
(1)人生が変わる英語の名言:晴山陽一著:青春文庫:
(2)ミトコンドリアの新常識:NHK取材班:NHK出版
(3)愛の祈り:ジャンガロ著:大滝玲子訳:女子パウロ:
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