生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
花と小鳥のお話。こんな場合、どう考えたら良いのかなあ、この感情をどう処理したら、この私の奇妙な行動をどう治したらいいのだろう、こんな時<五感>を<理性>で処理出来る人はひたすら幸福な道を歩みます。私は沢山の失敗をしてきました。悔いを残したいずれの場合も理性を優先して五感を抑圧したケースに悔いを残しています。五感を抑圧した出来事は、いつまでも悔しく、心残りがあり、往生際が悪く、嫌な暗い想いでとなり私を傷つけています。それに比べ五感を理性で上手に処理出来たケースは人生を豊かにし、美しい想い出となって、私を優しく幸福にしています。散歩で出会う小さな花達にも声をかけ、美しく鳴く小鳥達に出会えば、何故か涙が出るくらい、自分の人生を、生きてきて良かった、と感謝する気分になります。日々の五感をあるがままに、純粋に、味わう訓練は人の心を一致(感情と意識が一致)させます。心理療法家の日々の血のでるような修行で一番重要なものがこの純粋と一致の訓練。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
永遠の恋のお話。愛する人がいると永遠に愛しあいたい、と本気で思うものです。マザーテレサが恋している相手はサムシンググレート。その方への愛情が路上で行き倒れた人々への支援活動となっています。深層心理学での<純粋と一致>の一番相応しい事例です。さて古代からの神話は心理学の勉強で非常に役立ちます。その神話の世界でも、心を病んでいく事例が沢山出てきますが、現代の優れた心理学から比較しても、何故病んだかの説明は十分納得がいく説明になっています。古代の賢者の観察力は臨床の場数を踏んだ慧眼。現代の心理療法が重視している<純粋と一致>を良く理解している証拠。逆に古代神話や各種宗教の教典や聖書の知恵を現代の学者が活用しているのも事実です。さて、現代の恋人が何故、すぐ別れてしまうかの理由は、この<純粋と一致>の人間の原則を無視した恋だからです。最初から<偽らない思考と感情と行動>を示せば、相応しい恋人が必ず現れます。裏切られた、と嘆く前に、この<純粋と一致>の法則を大切にしたいもの:永遠の恋は伝説ではなくこの<純粋と一致>を努力する恋人達へのプレゼント。<純粋と一致>を理解出来ない相手の場合はこの話題を恋の話題にしたら如何?。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
無知の恐怖、というお話です。私を含め人は時々過ちを犯します。その中でも<個性の美>を<病理>と勘違いする過ちが一番恐ろしい過ちかもしれません。病理と判断された人は余程知識があるか、毅然として生き抜く知恵があれば別ですが、だいたいの人は落ち込んでしまいます。自分より一見勉強をしているような立場の人々(心理療法家、医師、親、先輩、尊敬する友人や大人)が本来個性の美として尊重し、育てるべき個性の美を、無知ゆえに病理にしてしまったのですから。子供時代、青年時代に、そう扱われた若者は悲劇です。個性の美か、病理か、を洞察し、識別する方法は7つの視点から考察する<プロセス・スケール>という有名な理論があります。その7つの視点から、誠実にきちんと洞察してもらい、識別して、初めて個性の美か、病理か、を判断する必要がある事をしっかりと意識し、知覚しておきましょう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
喜びは一致から、というお話です。名曲を一人で聴いて感動するのも人生の喜びの一つですが、二人で感動を共有すれば更に生きる喜びは倍増します。喜びの内容はどんなに仲の良い恋人でも違いますから、完全に一致しよう、などと考えるのは哀しみを増すだけです。喜びの内容や度合いは違いますから、それなりに感動していれば感謝すべきでしょう。真善美という言葉がありますが音楽や絵画にしても名曲、名作と呼ばれている作品はいづれも真善美の世界です。何が真理か、何が善か、何が美か、楽しみながら思索すればする程、喜びは真善美に近いものとなります。武道でも呼吸と技が一致すると相手を完全に飛ばす事が出来ます。深く大きな喜びは常に何かと一致しています。真善美を改めて意識し知覚するのも人生の神秘に一致していきます。喜びは日々の宝、友と喜びを共に出来る人は幸せ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「純粋な人」って、どんな人のことでしょう?生き甲斐探索の旅は続きます。悔いのない人生を探し求めて歩く時、子供の時から大人に怒られ、自然な正直な気持ちや感情、体感を意識出来ない大人になっている事。社会で生き抜く為に、いつのまにか自分を押さえ、感情を正直に表現出来なくなっている事。これはこれで大切な生きる知恵の獲得の修行でした。さて、50代、60代で一番困る心のありようは、自分の考え方、感じ方、行動の仕方を意識出来ない人が沢山居ます。自分の五感、体感、本当の考え方を倫理・道徳・価値観に左右されてしまい、正直に<意識し知覚出来る人>が案外居ないのです。心理療法での<純粋な人>とは、心の奥底の感情や意識をそのまま表現出来る人の事を言います。さて、言葉にする、しないは、自由意志の問題ですが、深層心理でうごめく色々の感情や考え方を正直に、一旦、意識出来るよう、平素、楽しみながら訓練しておきましょう。ぼけ防止にもつながります。心を純粋にする訓練(綺麗な天使になれ、と言う意味ではありません)をしないと心を病む傾向に自分を追い込みます。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛を見抜けるか?という思索です。晩年離婚がいとも簡単に行われていく姿ほど、哀しい物語はありません。かっては愛しています、と叫んでいたのに! 長い人生を共に苦労していたのに、あれよ、あれよ、と離婚に向かって流されていく二人を、私は悔しい想いで眺めます。安易さが流行する時代です。美しいものを求めて戦う喜びを知らない人々が何故増えたのでしょうか?宝物を苦労しないで手に入れようと何故思うのでしょう!素晴らしい宝は血の出るような努力でしか得られません。往生際の悪い人間が何故増えたのでしょうか? さて、人生の諸々の場面で、いよいよ、自分を愛してくれている人の中から、いよいよ一人を選択すべき時が来ました。愛を見抜く時が来ました。何を基準に選べば、悔いが無いでしょう? 答えは古代から現代まで、いつの時代もただ一つ:正直に自分の心を見つめながら自分の命を捧げても悔いのない人の愛を選ぶ事。選んだら生涯愛し続ける人を選べるのは、その人の責任。愛した人が暴力(言葉と腕力)をふるうようになりましたら、賢い人と相談しつつ、自分の人生を再度、決めていく必要があります。暴力を平然として使う男女は、本当に危険人物です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心を見つめる、幸福になるためには、さて何を見つめたらいいのでしょう?悔いのない人生を生きたい、そう願いながら、悔いだらけの人生。しかし、自分を愛してくれる人が一人、そばに居れば、まずはそれだけで人生は幸せと解釈すべきでしょう。それほど本物の愛との遭遇は人生にはありません。爽やかな愛情生活を身近に持つ人々を観察していると、いつも楽しみながら自分の心を見つめる生活をしています。心の奥底から泉のように湧き出す想いを正直に感じ取る力は、平素の心を見つめる修行の賜。努力しないで手に入る良い物は世間には一つもありません。ところで心の何を見つめたら良いのでしょうか?その人の心のやすらぎ、平安な気分を手にいれる方法を考えることを心を見つめる、と言います。心の安らぎは老化を防ぎ、悪い遺伝を良い方向に変え、自律神経をなだめ、免疫を高め、内分泌を良くします。<心の環境を整える>とは<心の安らぎを保持する事>を意味しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
直ぐ、錯乱する人のお話。心理療法では暗い感情の領域を5つに分類しています。人はどんな問題でも最初に不安感が生まれます、未解決に放置しておくと、不安は怒りとなり、身体症状が出るようになり、欝、錯乱へと生育していきます。このストレス曲線と呼ばれる暗い感情は、もともと人間が幸福になる、気付く為の布石の感情なのですが、人は何故かこの法則を知りません。この精神状態の時は誰かから極めて正直なコメント、特に自分の痛い所、真実を指摘されると錯乱します。そんな時は近くのお気に入りの美しいお庭を散歩しながら自分の心を不安にしている物を意識し知覚すると第一感情の不安の実体が何か見えてきます。不安が見えてくると第2感情の怒り、第3の身体症状、第4の欝、第5感情と言われる錯乱は消滅していきます。ストレス曲線は幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)になる為のもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
正直と愚直、という概念のお話。正直な人、愚直な人、に触れるといつも二つの印象を持たされます。自分の心をいつも上手に、爽やかに、相手に嫌な感じを持たせずに表現出来る人、逆に、相手に嫌みと怒りを与える人。どこが違うのでしょうか? <自己肯定、他者肯定>型は<爽やかさ>を与え、<自己肯定、他者否定>型は嫌みを与えているようです。肝心な時に、正直に言わなかったばかりに、私は沢山の悔いを残して生きてきました。不思議な事ですが私が深く反省をすればする程、身近に知恵者が集まるのです。その人々は、いつも相手を爽やかにさせ、生きる希望を与えつつ、自分はいつも正直に本音を語って明るく元気に生きている不思議な人達。良き友人を鑑に出来る私は幸せ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心の奥底、としばしば言いますが、生き甲斐の心理学では、どんな意味なのでしょうか?心理療法家の<人間観>は治療の成否を左右します。フロイドのようにラッキョの皮を一枚一枚取り去っていくと心の底は<無>という人間観と、最後に<愛である神>を知覚する場合とは、人を大切にする<基本的人権>への敬意は相当違ってきます。深層心理学を世界的な学会のレベルで勉強していけば、直ぐ分かる事ですが、人間の心の奥底をのぞくと(一枚一枚、色々の雑念を取り除く事)最後の<原初感情>と呼ばれる心は二つです、一つは<好き、嫌い>の感情、もう一つは<怖い、怖くない>の感情、この二つの感情が、言語も発達していない時代、神話もない時代、宗教もない地球を生き抜いた人類の知恵でした。この女性が好き、この動物は怖くない動物、この森は怖くない森、この男性は怖くない、こうして生き延びる知恵をこの二つの原初感情が示唆してくれます。更に最後の最後の心の奥底にあるもの、それは愛:神聖な愛。これを尊敬しない思想は役に立ちません。正直に心の奥底を見つめて知覚できるものは自己肯定、他者肯定の愛。性善説の心理療法家、性悪説の心理療法家、あなたはどちらを選びますか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
嘘で固めた歴史文書、のお話。教典、聖書、古事記、その他権威ある歴史文書には沢山の嘘が書かれています。その中の<言葉>に囚われて心を病んだ人々を心理療法で対応してきました。現代社会に生きる私達は、その言葉を巡る学術論争は世界の一流の学者にまかせるとして、どんな教典にしても、その中の<言葉>の解釈から自分の心を病む、病ませる事だけは止めましょう。馬鹿馬鹿しい事です。自分を心の病に追い込むまで言葉に囚われる事は健康的ではありません。人々を健康に、幸せにするのが教典ですから。一番多いのが<愛さねばならない>の教えです。愛せない自分に苦しみ、愛を感じない自分に苦しむ人の何と多いことか!この世界で一番幸せになる方法は愛以外にはありません。それだけに愛には男女は敏感です。権威ある文書ほど、翻訳ものが多い。その翻訳も誤訳があります。<言葉>は大切ですが心の病に追い込む程の価値はありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
神話の嘘を怒る人のお話。<嘘>を見抜く力さえあれば、相手がどんな嘘をついても、恐れる事はありません。相手にしなければ済む問題だからです。嘘をつかれたら、どう対処するかは、つかれた人間の問題です。こちらではどうしようも無い領域だからです。さて、相手と自分の嘘に苦しみ身体症状まで出てしまう事例が心理療法家の仕事になる場合があります。どう対処すべきか、悩む所ですが、4つの大きな指針しかありません。1:体験の解釈、2:アイデンティーの統合度、3:現実吟味力、4:防衛機制。もうすこし簡単な診断方法は、気楽に神話の話を持ち出してみる方法です。メソポタミア、エジプト、ギリシャ、日本の有名な神話を持ち出してみるのです。神話を楽しめるくらいの心を育てる、その神話をどう楽しむか。美しい永遠の愛は神話を楽しむ世界から始まります:



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
嘘のない社会、のお話。長い長い心理療法の仕事を通して<嘘>に悩み、貴重な、一度しかない人生を自分から断ち切った人、自己嫌悪に苦しむ多くの人々を見てきました。さてこの地上で、他の条件が変化せずに、もし<嘘の無い社会>が突然生まれたらどうなるでしょう?<一般意味論>と言う学問があります。その学問が、教えようとしている内容は<どんな正確な言葉でも、表現の正確さはあいまいである。だから言葉で戦争をしたり、人と争う事は意味がない>事を教えている学問だ、と私は解釈しています。世界に無数にある色々の言語、その言語を更に翻訳して互いの意志の疎通を図っていますから、真意は遙か遠い所にあるのに、いいかげんな言葉で人は争います。<嘘つき>とののしる人は<思い通りにいかない場合><期待通りにいかない相手>に投げかけている人すらいます。<嘘>と言う言葉は実にいい加減な使い方をされていて人々を混乱させる言葉です。<嘘をつく>、この恐ろしい意味不明な言葉をもう一度点検する必要があるようです。地上で一番重要な愛の世界を破壊させる恐ろしい言葉が<嘘>と言う言葉。言葉はいい加減なところが多いので、大事ですが、いい加減なところがあるのも事実です。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
正常な嘘、と病的な嘘、のお話です。いくつになっても環境と状況により本音を意識しようとしても、意識出来ないのに苦しみます。<意識出来ない原因>は教育、人間の優しさ、礼儀、倫理と色々の複雑な心理から<本音>が分からなくなってしまうのでしょう。特に子供時代<個性の美>を両親、教師等周囲の大人が意識して育ててくれない場合は、大人になった後も、五感と体感レベルでの本音を正直に意識出来ない人間が多いのです。<正常な嘘>をつくことで、人(自他)の生命を救い、権利を守り、生きる喜びを維持促進する場合もあるのです。この配慮は美しい愛の配慮となります。一番恐ろしい嘘は自分に嘘をつくこと。本音はAという領域を希望しているのに、何故かBという希望していない領域が本音だと勘違いする現象。自分に嘘を言うと一度しかない人生をめちゃめちゃにしてしまいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年10月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
美人の嘘、と、そうでない方の嘘のお話です。心理療法家の修行の話をします。イギリスの大学で<テーマ:純粋と一致>のワークショップの話です。心理学関連の各地大学研究室からの参加者の中に、実に清楚な美人とこれまた実に珍しい巨漢の不美人がいました。最後の日、教授が単位を与えた研究生はワークショップ中、その清楚な美人と巨漢の不美人への対応を正直に言語・感情表現をした学生に単位を与えました。その二人は修士号を持つ女性で、かつ教授の教え子でした。私達を査定する為に参加していたのです。二人はワークショップ中、どんな対応をされたか、嘘を平然とついているのに、何故、正直に、怒ったり、たしなめたり、純粋な正直な気持ちをぶつけなかったのか、を親切に冷静に語ってくれました。冷や汗の出る辛い時間でした。心の本音と意識と言語が著しく相違している学生には単位が出ませんでした。美人の嘘には寛大、巨漢の不美人には厳しかった、しかし、正直に、素直に、心の中の本当の気持ち(思考と感情)を一致させていた学生には単位が出ました。深層心理での思考と感情を正確に意識出来て、正確に言語化した私も単位をもらえましたが、実に複雑な気持ちになりました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする