生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月30日 | 第16章ホモサピエンスの愛
青春時代か30代前半ぐらいまでなら、周囲の人々を恨んだり、憎んだり、嫉妬したりする生活は人間成長の糧となりますが、晩年になっても未だ、周囲の人々を恨んだり、憎んだりする人は、本当に不幸です。何故、そうなのかは一概に分かりませんが、とにもかくにも、恨み、憎しみ、嫉妬は人間関係にしても国際政治にしても平和、幸福への道は歩めません。これはホモサピエンスの歴史を少し勉強すれば、直ぐ分かります。60代以降、幸せな日々を送りたい人は、この問題を正面から取り組む必要があるようです。今回の16章は少々気障なテーマで気が引けますが「愛と感謝と祈りの旅」とは、人生の晩年に、どうしても到達したい哲学の領域だからです。臨終の人々を見送るとき、憎悪、恨み節、不幸の連続だった、と叫びながら死にゆく人々を沢山みてきましたが、見送る人々は最悪です。それにくらべ、重症の患者さんでも、心から「有難う」と言いながら天国に旅立つ人を見送る遺族は幸せ。この違いは、その人の平素の思索内容が支配しています。私のブログ、今、書いている第16章のテーマ「ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅」のテーマについて、何故、このようなテーマか、という質問が多いのは、現代思想を研究していく良い機会です。この16章の話題はアフリカ、欧米、南米、古代から現代までのホモサピエンスの歴史と、あちこち飛びますが、これも現代に生きる人々が、どんな困難、事件、事故、病気に遭遇しましても、サムシンググレートを信じて、明るく、元気に、爽やかに生きていく思想を、ご一緒に思索し、元気に生きていく知恵を、お互いに探していきたい一存からです。さて、「平和構築」という言葉がありますが、最近の日本やアメリカ、欧米の首脳は、何故か、この「平和構築」という努力目標を口にしません。何故でしょう?この平和構築と言う言葉こそ、今、一番政治家に求められている概念です。ホモサピエンスの歴史の中で、この平和構築という概念が無視されていた時代を、皆さま、是非、勉強してみて下さい。この概念「平和構築」を無視しますと、実に惨めな歴史が生まれてきています。愛と感謝と祈りの日々を送るためにも、是非、平和構築、という言葉を意識しつつ生きていきたいものです。言い訳じみた今日のブログとなりましたが、多くのご質問に答えさせていただきました。
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月28日 | 第16章ホモサピエンスの愛
「真の愛」という言葉に若い頃から悩まされてきました。小学生から大学を卒業するまで、色々の場面で「人を大切にしなさい」と教師には言われ親からも説教されてきました。戦争中は神奈川県の葉山に住んでいましたが、そこには御用邸があり、昭和天皇に対する敬意をいかに表現するかを小学校の先生たちは盛んに私達に教育すます。戦後、越後の山奥に疎開しますと、今度はアメリカの軍人たちをいかに歓迎すべきか、先生たちに教育されます。何が何だか分からなくなり、子供の私は混乱していきました。高校に入ると、戦時中、軍事教練をしていた先生が学生に戦後は、あべこべな事を言うので、冬でしたが、その教師は学生につかまり、この嘘つきめ、と冬のプールに叩き込まれたのを見たことがあります。その先生は戦時中に言う「人を大切に、国を大切に」という内容が、戦後まるで逆になったからでしょう。こうして時代が変わり、政府がアメリカの影響を受けて大いに変わり、言う内容があべこべ、という風潮が出てきます。ギリシャ、ローマ時代の「真の愛」と中世期、近代、現代、さらには中国、欧米、南米、太平洋等、国が変われば、「真の愛」に解説も、それぞれ違ってきます。地球のあちこちで、人を、自分を大切にするには、どうしたらいいのか悩む人々に、びしっと、この「真の愛」について解説した名作は無いものでしょうか?哲学の世界で言う「真善美」をびしっと語る名作は、日本では西田幾多郎「真善美」しかありませんが、それとても非常に抽象的で分かりにくい本です。愛の孤独感で生き甲斐を喪失した人々に長年、関わりながら、いまでも答えらしいものが見えてきないのは何故なのでしょう?この問題について、これから思索していこうと思います。ホモサピエンスはアフリカで誕生して以来、この愛の領域についてギリシャ神話で語り、聖書で語り、それぞれの民族の民話で語り続けている理由は、何でしょう?一人ひとりの答えは全部、違うようですので、それでは、どうしたらいいのでしょう?多分、納得のいく答えは、自分の成育史の中での過去の事例を意識化する方法しかなさそうです。例えば、あの事例では、自分は心の底からA君との友情に感謝しているなあ、とか、B子さんとの恋、愛情に感謝している、とか父、母、兄弟、おじさん、おばさん、先生とのあの風景が、我が人生での「真の愛」だったかも、という事例を色々思い出し、その事例から「真の愛」は、あれかもしれない、という事例を10から20ほど思い出すと、自分なりの「真の愛」が見えてくるようです。一番の早道は、それぞれが出会う伝統宗教の哲理をまず検証し、それに加えて自分の事例を加味して学友と語り合う方法が無駄のない方法かもしれません。ホモサピエンスは、永遠に「真の愛」に飢えている生き物なので、この探求、追求が「生き甲斐の心理学」を学ぶ醍醐味です。私の結論はお会いした時に、恐る恐る語ります。ほんものの愛、恋、友情、信仰が人を一番幸せにすることは間違いないようですので、この思索は続きます。皆様の「真の愛」について、勉強会で語り合いたいです。 



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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月25日 | 第16章ホモサピエンスの愛
人を大切にする、人を愛する、という意味が未だに分かっていないようです。男の友情とか、女の友情とか言いますが、その違いも、真剣に問い詰められますと、明確な返事も出来ません。こうして数十年の人生が流れて、今日にいたった次第ですが、もう、このような理屈は、哲学的に思索する必要がないのかもしれない、と今、ふと、気づきました。それよりも身近な友達や学友達が、どう人々と関わって、泣いたり、笑ったりしているかを、明るく楽しく爽やかに、ひそかに観察してみたくなりました。そこにこそ愛情、友情の人間らしい現実が見えてきて、身近な人間関係での喜怒哀楽の中に大きな人生での愛の姿が見えてくるのかも、とふと、思いました。愛について思索する方法は、大げさな、ドラマチィックなものではなく、日常生活でのマンネリズムの中で垣間見られる人間関係での喜怒哀楽にこそサムシンググレートの配慮、摂理、愛の姿があるらしい。心がジーンとくる相手の眼差し、言葉、雰囲気をこれから大事にしていきたくなりました。ギリシャ神話、新約聖書、旧約聖書、ケルト神話、日本神話を気楽に読んできましたが、どの物語も現代の人間関係での喜怒哀楽を大げさに表現してはいます。これらの大げさな物語が何を示唆しているかを私は長年、少々考えすぎたような気がしてきました。日常生活での喜怒哀楽の奥に潜む真理を古代の人々が大げさに言いたくなる気持ちがわかってきたような気がします。現在の人間関係を益々大切に生きていくために、ギリシャ神話や古典を益々、愛読していこうと、としみじみ思う今日日曜の朝です。
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月24日 | 第16章ホモサピエンスの愛
私達の祖先のお話。アフリカまでさかのぼるお話ですが、笑いながらご一緒に楽しい旅をしていきましょう。さて私を産んでくれた母、その母を産んだ女性、こうして人類誕生の地アフリカまで旅をしていくと、私の空想は無限に拡がります。最近、憩室出血という病気になり救急車で某大学病院へ。23日間、入院していました。今日で退院して8日目。そんな次第で、日本の縄文時代に生きていた女性、私の直系の母達の色々の病気を想像しています。その頃、どんな病気があったのか、色々の本には、色々の医学者が現代に残された土偶から空想をしつつ検討していますが、私も興味があるので、こんな空想をしています。私のミトコンドリア(母から子に遺伝していく遺伝子)はC3というグループなので日本列島に来るルートは、どうもシベリア経由らしい。しかし、いい加減かもしれないので、縄文時代の直系の母をとりあえず日本に住んでいると仮定してイメージを膨らませていきますが、アフリカでホモサピエンスが誕生したとして、私の直系の母は、私が存在しているので、どの時代にも、直系の母(女性)は確実に存在しています。私の大好きな日本の縄文時代に生きていたとして空想を拡げます。さて、縄文時代の平均寿命は31才、と私の愛読書には書いてあります。その縄文時代には、私の、今回の病気「大腸憩室症」も存在していたかどうか知りませんが、どうもあったらしい。縄文時代の病気は遺跡から推察すると、(1)むし歯(2)インフルエンザ(3)筋萎縮症(4)慢性結膜炎(5)食中毒(6)結核(7)小児麻痺、ほとんど無いと推察される病気としては(1)癌(2)糖尿病(3)高血圧や動脈硬化。あとは争いによる出血多量死、出産による死亡、何んといいましても生存平均年齢が31才という時代。現代医学の無い時代はただひたすらにサムシンググレートに祈りを捧げていたようです。どんな言葉で祈っていたのでしょう?多分、神様、助けて下さい、というようなホモサピエンスの叫びだと確信します。その証拠が土偶です。世界各地の遺跡から出土する絵画、石器、土偶には切ないほどのホモサピエンスの祈りと叫びが描かれています。こうして、今までも、これからもホモサピエンスの本当に祈りが続いていきます。日々の心の底からの叫びは、遠慮することなく天に向かって本音で、正直に語り続けていく人間の姿は何んと美しいものでしょう。心の底から正直に語るホモサピエンスを小さな倫理観で軽蔑したり、馬鹿にしたりする事無く、互いに愛と感謝と祈りで助け合える世界がくると良いですね。

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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月20日 | 第16章ホモサピエンスの愛
今日は異性への魅力について思索してみます。ポール・ヴァレリーの名言に「恋とは、二人で馬鹿になることである」があります。私はそうはおもいませんし、幼稚園時代から今日まで、異性が好きになるときは、いつも真剣だったように思います。アフリカでホモサピエンスが誕生し、地球上、いたるところに私達の仲間が生きていますが、異性との関係については、あの二人は、まじめ、いいかげん、不責任等と批判されながら世界各地で、男女の歴史が流れています。アフガニスタンの動乱のさなかで、香港、ケニア、中国、日本、アメリカ、ロシア等でも、日々、男女の歴史が展開しています。ホモサピエンスの歴史、例えば、ロマノフ王朝のアナスターシャ、ジュリアスシーザーとクレオパトラ、則天武后、色々の歴史の評価を受けながら時が過ぎていきます。私のこれからの人生では、恋とは二人で馬鹿になることである、という生き方はしたくありませんが、異性への魅力感を生き抜くエネルギーにして、大いに活用していこうと思います。この年齢になりますと、薔薇の花をめでるような感情で異性を大切にしようと思えます。若い頃のような感情はないとはいえませんが、神様の美しい創造物という視点で見られるようになりましたのも真実です。サマセットモームが「恋とは、互いに相手を知らない男女の間に起こる出来事である」と言いましたが、それも真実でしょうが、やはり旧約聖書の雅歌の思想が何んといいましても私は大好きです。恋の世界を神様との愛として解釈しているこの雅歌は、異性に対する愛の在り方を永遠に説き続ける名作、人類の宝物と言えます。異性に対する哲学は万とありますが、雅歌を読まずして恋をするのは本当にもったいない。異性とのお付き合いで感じるストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)は、実に多くの知恵を悟らせてくれます。その5つのストレスには、これからの生き方を示唆してくれる自己実現への道を暗示さえしてくれています。理想と現実のギャップがストレスですので、何故、この異性は自分を不安感に追いやるのか、ノートに書きだしていきますと、自分の理想の領域に過ちがあることが分かったり、現実の解釈が間違っていることに気づいたりします。自己分析していくうちに、今、お付き合いしている異性が自分にはもったいない人間であることにも気づきます。大切な異性は、仕事上であれ、学問上の仲間であれ、宝物です。こうしてホモサピエンスの理想の生活 愛と感謝と祈りの旅が始まります。


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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月18日 | 第16章ホモサピエンスの愛
愛読者の皆様、命拾いをした今回の病気「憩室出血」を契機に、気楽に書く事を決意し、この16章は「ホモサピエンスの愛」について書いていきます。毎日は書けませんが気の向くまま自分の為に書いていきますので、皆さまもあまり学術的に批判せず、おバカちゃんのたわごと、と笑いながら読んでいただけるとありがたいです。

さて大学病院の検査室での場面:下血が止まらない状態、つまり肛門からどくどくと暖かい血が流れ出ている状態ですが、モニターには私の大腸の中を内視鏡が、どこが破裂した憩室かを探し求めて動いていくのが見えます。大腸の中がカラーで映し出されているのですが、美しい細い肉の糸状の林の中を、どこが爆発した憩室か、カメラが動いていきます。耳元で医師があったぞ、と叫びます。血止め作業も見えてきます。何んとか探し当てて血止めに成功したようです。


モニターを見ている私の血圧が40くらいになったそうです。半死状態ですが、まだ意識はあります。今から思いに、その時、幻聴幻覚を見ていました。

救急車で搬送された日から3回目の内視鏡検査でした。

さて、こうして23日後に退院した私ですが、現代医学で救われた私ですが憩室は縄文時代にも、世界各地にも、当然ありました。この憩室爆発での下血で死んでいった私達の祖先も沢山いたわけですが、この第16章 「ホモサピエンスの愛」では日本ばかりでなくロマノフ王朝、イギリス王朝、ギリシャ、ローマ、アフリカ、中国、世界中の歴史や現代nミトコンドリアを中心とした遺伝子的人類のお話を、あちこち気ままに飛びながら書いていきます。下血のお話は今日で終わりです。

この退院までの23日間に受けた講座生徒の皆様、医師の方々、天使の看護師さん、色々のカトリツクの修道会の神父さんやシスター方、友人たち、親戚、学友、なんと大勢の未知の新聞、ラジオ等の愛読者の方々のお祈りのお陰で無事、こうしてブログを書くことができました。

毎日は書けませんが気ままに、歴史が古代だろうが現代だろうがロマノフ、イギリス、フランス、あちこと気ままに飛び歩きだすのが今日です。ホモサピエンスの愛を巡り、心理療法から学習したホモサピエンスの生き甲斐の心理学とは何か、いよいよ愛の世界の本質に迫ります。


ではまた。

猛暑の中、皆さまも憩室出血になりませんように、御身大切に。




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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月17日 | 第16章ホモサピエンスの愛
皆様のお祈りのお陰で、無事退院できました。憩室出血という病気で20日以上入院を余儀なくされ一時は血圧40になり、あ、これが幻聴幻覚だなあ、とあの世への旅を少し垣間見ました。宗教心理学の講義で再三、勉強した世界でしたが、生まれて初めて自分で体験しますと、先輩の諸理論の正確さ、深さ、体験からくる理論の面白さを改めて知りました。私の嫌いな分野でしたが、実は,大学病院の検査室に救急車で搬送され、その手当を受けていました。大腸の中の治療の画面を医師が見ながら、どこが出血の憩室か、必死で探している様子を私も見ています。その時、私は廊下の奥の扉に到着し、この扉の奥が天国であることを知ります。しかし扉を開けようとしても開きませんでしたので、諦めて戻り、あ、生きていた、と意識します。こんな混沌とした体験をしました。この23日間の体験でしみじみ思ったこと、それはやはり「愛」という領域と「感謝」という美しい心と、人間の限界を思い知らされた命の儚さに基づく永遠の神仏への「祈り」という営みの神秘現象です。赤ちゃんのような素直な叫び、それが基本となり、それぞれの天が与えた「個性の美」を加えた「祈り」がいかに重要か、80億の人類が、それぞれの「個性の美」を天からも賜物と意識して、これからの地球の平和に活躍する方法はないものか、それを「生き甲斐の心理学」という姿で大いに残された人生を生きていきたい、と思いました。毎日は書けませんが、のんびりと想いを書いていこうと思います。宜しくお付き合い下さい。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年08月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
皆様、猛暑の中、逞しく生活されつおられる事とご推察申し上げます。暫く私も静養いたします。そこでひとつ素晴らしい提案をいたします。テキスト生き甲斐の心理学第1から11章は既に2005年12月5日から毎日解説してありますので、このブログの各章、特に興味のあるところを読んで頂き、それに該当する自分の人生は、どの場面かなあ?、と楽しく思索するのです。この手法を自己分析、と言います。例えばフロイドの14の防衛機制、カールロジャースの6条件、エリクソンの8つの発達過程での人格形成表、を暗記して使いこなしていませんと、日常生活で自分の分析はなかなか難しいと思います。まして、他者分析は全く不可能に近いでしよう。。自己分析が出来ませんと、政治、経済、その他のホモ・サピエンスが関わる分野では、観察分析力で楽しく仕事がすすみません。このテキストを読みながら、もし、ロジャースの六条件に関心が深い方の場合、拗れた親友との会話の中で少しカチンときた言葉がとびだしても、この六条件で対応していきますと、以外と簡単に、友情が回復するばかりでなく、更に美しいものが飛び出します。また、元気になりましたら、いままでとは違う視点で書いていく予定です。


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